2013年12月21日土曜日

今後のこともあるので「みつを」撲滅について

みつをやみつを的なものについては折に触れて攻撃を続けていて、それにしても君はみつをが嫌いだねぇという話しなんですけど、あれは危険なものなので、なんで攻撃するかについて改めて詳らかにしておこう。

人間、生きていくには自分以外の他人と関係しなければならず、関係が生じれば、その濃さに応じた承認を必要としてしまう。
それこそ、接点ができればその瞬間に自分とあの人はどんな関係なのか、勝手に定義してしまう。
みつをはその辺の困難に目をつけて、他者無しで楽になろうぜとよびかけている。
自分だけの世界を見て楽になろうぜと勧められてるんだから、それを受け取った瞬間になんとなくほっとするのは当たり前。
でも、そこが問題。
自分じゃない人間を相手にして、疲れたり傷ついたりおかしくなったりするという摩擦に、自己肯定を持ち出してもなんにも解決しないし、そのまま他者との関係に晒され続ければ、順当にすり減ったり関係が変になっていくだけです。
他者は消えない。君と彼らとの間に流れている時間も止まらない。
世界との接し方として、なにがどうあれ先ず自分を肯定するなんて、そんなのが心にいいわけないじゃないか。他人は消えてなくならないし、それこそ自分一人だと生命の維持すら難しいのが人間ですよ。
みつをの言葉を受け入れるなんてのは、自分しか自分を認めてくれる人間が居ないとか、その手の寂しいことが口から出てしまう状態に陥る最初の一歩です。
世の中に自分だけってことはないわけで、大なり小なり衝撃はあるんだから楽天的にいこうぜってんならまだ正常ですけど、安心して自分を肯定してればなんとかなるよってところにとどまってるわけで、まやかしでも最悪の部類ですよ。
楽じゃないのは当たり前だからこそ、楽天的にいくのが大事なわけです。
全員がみつをの言葉の通りに生きる様になったら?
ブツブツと自分を励ましてるだけのへっぽこ二等兵を束ねて、こいつら使えねぇなぁって舌打ちしながら使役する人が、のんびり搾取の方法を模索する世の中になりますよ。勘弁です。