再開発しました。シネコンできるから3セクのミニシアターやめるね。というアナウンスの中に、「ミニシアターが担ってた単館系の映画の上映はシネコンで継続すっから」が無いってことは、シネコンでやる映画は、イオンやらファボーレのシネコンでやる映画と一緒かもしれないってことだし、フォルツァ総曲輪のホールの方を使ってる人たちも、そのまま解散でいいの?
なんとなくネット上を探してるんだけど、文句言ってる人をほとんんど見かけない。
Facebookの検索機能の弱さが恨めしいけど、本当にギャースカ言ってる人間が少なくて、そっちにも違和感感じる。というか、なんで文句言わないんだろ。
文化との接点を殺す、センスのかけらもない判断ですよ。9年もやっておきながら、思春期が大人の仲間になるだけの十分な年月を経たというのに、蓋開けてみたらフォルツァ総曲輪って場所から全くなんにも学んでなかったって雰囲気ですよ。
コンテンツの多様さとか、映画館の維持がとかいう決まり文句を持ち出す前に、シネコンとミニシアターの客層の違いが頭の片隅にあったのかすら疑わしいわけですよ。そこに集まっていた人やら客の顔が見えてないんだ。
富山市の3セクですから、富山市マターですよとかって言うんだったら、氷見市の魚々座みたいに、地元民と地元じゃない人間で料金傾斜かけるぐらいして、地元じゃない奴らはイレギュラー。でも、入り口まで来てるんだし、仕方ないから入場させてやるよ。って、そんなことしてないじゃないか。ってことは、金払えば皆等しい客だよね。やんごとなき納税者様には、市の広報かなんかで、ちょっとぐらい上映される映画の情報をあげてたの?
ギャーギャー言わないと、ほらね。一部の愛好家以外は、誰も文句言わないじゃんってなるよ。
ハゲが文句言ってるじゃん「いいね!」するよ。じゃないんだよ。
俺は、場を殺される側なので、完全に一部の愛好家よりも悪い、実際はあんまり関係ない利害関係者。
ハナクソにもならないノイズ。「なんか絡みたくて言ってるんじゃない?」って片付けてもオッケーなカテゴリーに入ってるんすよ。
今までも場所無いねって思いながら演劇やってたけど、自力でなんとかなるわってのも正直なところ。氷見駅前の工事が終わって、氷見キネマが再開したら、単館系のいいやつが回ってくるし、フォルツァ行くよりも近い。
それとこれとは別だ。別だよ。あの場所で、一回でもなんかしたやつ、一本でも映画た奴は、それが自分の血肉になってない。まるで無駄だったってんなら適当でいい。でも、そうでないなら、文句言うべきだ。血肉になったんだろ?おまえ、身を切られたぜ。
でないと、同じ様ななめた真似する奴が、近所で出てくる。平気だぜ。何人居ようが「市民」とは別扱いの「一部の愛好家」ってやりゃいいだけだもの。
文化、みんなの地元にあるでしょ。それだけで満足しとけよ。獅子舞とか曳山とか最高じゃん。映画とか芸術は、なんか適当にチャンネル用意しとくよ。業者も居るし、他にも代わりあるからいいでしょ。って、これはもう、マンガが無いなら絵本を読めばいいよ。嫌なら都会に行け。って言われてるのと同じですよ。
どうやっても代替品にならねぇ。でも、それが認識されてるか疑わしいので、みんなで文句言いませんか?
2016年2月17日水曜日
2015年9月10日木曜日
この日記よりも、セーフプロジェクトのブレイクの方が本望なんだと、かなり真面目に思案しています。
なんとなく中学英語のCDのリピートを継続しています。効果は実感してないです。これに加えて、先日からやんごとなき理由で崩し字の学習を始めております。ようやく、「は」「ば」「もの」は概ね判読できる様になってきました。先が長すぎて、ぐらっときますね。
とはいえ、ただの日本語の平仮名だというのに読めないというのは問題じゃないかと考えるところのものであります。
ところでこの間、飽きるまで引きこもろうと決めまして、とりあえず引きこもっています。
家で仕事してるんで、引きこもりもなにもないやろって話しではあるんですが、そう定義してFacebookとかも連携しているサービスからの投稿とかはやってるんですが、特段見ていなかった、Facebook自体になにか投稿するってことは停止しております。
そもそもやっぱり、Twitterの方が居心地いいっすよね。
こういうことすると、すわ情報の絞り込みかライフハックか引き寄せかということ勘ぐる人も居るかと思いますが、アホかという話しでして、引きこもりは引きこもり。ただの引きこもりであります。仕事して勉強して遊んでたら出かける時間なんてねぇんだよ。1日40時間くれよ責任者出てこーい。
そういえば、先日から日本サービスが始まって、絶賛お試し中のNetflix。ChromeOSで見られるのに、Linuxではさらっと視聴できず、ささっと見るもん見たら継続せずにお別れかしらと考えております。
とはいえ、結構な多言語対応していることを発見しまして、音声英語、字幕英語で……。早口わかんねぇよ!もっとゆっくり喋れよ!
これは腰据えてかかる必要がありますな。
つまりそんな時間は無いので、Netflix。Linuxで見られる様になるか、『Six Feet Under』全シーズン多言語状態で追加してくれたら、英語とフランス語で繰り返し見る。見ますが、10月の頭までにそんな状態になるとも思えないなぁ。
さよならを前提のお付き合いとか、ドキドキしますね。
どうも時々のエラーの出方がおかしいということで探ってみると、手持ちメモリの不良も発覚しまして、嗚呼、中古パーツしか使わないと決めるとこんな苦労が……。と、じっと手を見ることにもなったりしていますが、それもロマンの一部であります。
ともあれ、Minecraftを動かすディレクトリはつつがなくRAMディスクに突っ込みましたし、ついでに実行の優先度をあげて動かしてみると、案外どうにかなるもんで、現在、そこそこ快適に動いています。大いに感謝するものであります。
笑えるのが、別のサーバ上で動かしていたワールドを動かすと、chunkが読めない!とかいうエラーがそれなりに頻繁に出たんですが、しょうがないなぁと新しいワールドを作ってみると、大人しくなっているという謎の現金っぷり。読めないってエラーは出てるけれど、なんも表示されてないってこともないわけで、気にするもんでもないんでしょうが、なにはともあれ、ログに出るエラーが少ないのは気分が良いものであります。
こうなってみると、システム全体をRAMディスクに突っ込んで運用したいところ。
メモリ8Gとか16G載るんだぜという古PCを持て余していたら、頂戴したいであります。最終的にはシステム全体をRAMディスクに放り込んでルーター兼マイクラサーバというところまで持って行こうかしらと、野望が膨らみます。
などと言いつつ、がんばったところで、最後にものを言うのはマシンスペック。悪いロマンですな。
とはいえ、ただの日本語の平仮名だというのに読めないというのは問題じゃないかと考えるところのものであります。
ところでこの間、飽きるまで引きこもろうと決めまして、とりあえず引きこもっています。
家で仕事してるんで、引きこもりもなにもないやろって話しではあるんですが、そう定義してFacebookとかも連携しているサービスからの投稿とかはやってるんですが、特段見ていなかった、Facebook自体になにか投稿するってことは停止しております。
そもそもやっぱり、Twitterの方が居心地いいっすよね。
こういうことすると、すわ情報の絞り込みかライフハックか引き寄せかということ勘ぐる人も居るかと思いますが、アホかという話しでして、引きこもりは引きこもり。ただの引きこもりであります。仕事して勉強して遊んでたら出かける時間なんてねぇんだよ。1日40時間くれよ責任者出てこーい。
そういえば、先日から日本サービスが始まって、絶賛お試し中のNetflix。ChromeOSで見られるのに、Linuxではさらっと視聴できず、ささっと見るもん見たら継続せずにお別れかしらと考えております。
とはいえ、結構な多言語対応していることを発見しまして、音声英語、字幕英語で……。早口わかんねぇよ!もっとゆっくり喋れよ!
これは腰据えてかかる必要がありますな。
つまりそんな時間は無いので、Netflix。Linuxで見られる様になるか、『Six Feet Under』全シーズン多言語状態で追加してくれたら、英語とフランス語で繰り返し見る。見ますが、10月の頭までにそんな状態になるとも思えないなぁ。
さよならを前提のお付き合いとか、ドキドキしますね。
そういえばマイクラサーバ
なんだかんだで、古PCをいただいてセッティングしたMinecraftのサーバですが、常時立ち上げておくなら勝手知ったるRPM系だろうとCentOS7を突っ込んだところ、なんだか色々と様子が変わっており、ついでに新しいことを学習する羽目になりました。ヤラレタ。どうも時々のエラーの出方がおかしいということで探ってみると、手持ちメモリの不良も発覚しまして、嗚呼、中古パーツしか使わないと決めるとこんな苦労が……。と、じっと手を見ることにもなったりしていますが、それもロマンの一部であります。
ともあれ、Minecraftを動かすディレクトリはつつがなくRAMディスクに突っ込みましたし、ついでに実行の優先度をあげて動かしてみると、案外どうにかなるもんで、現在、そこそこ快適に動いています。大いに感謝するものであります。
笑えるのが、別のサーバ上で動かしていたワールドを動かすと、chunkが読めない!とかいうエラーがそれなりに頻繁に出たんですが、しょうがないなぁと新しいワールドを作ってみると、大人しくなっているという謎の現金っぷり。読めないってエラーは出てるけれど、なんも表示されてないってこともないわけで、気にするもんでもないんでしょうが、なにはともあれ、ログに出るエラーが少ないのは気分が良いものであります。
こうなってみると、システム全体をRAMディスクに突っ込んで運用したいところ。
メモリ8Gとか16G載るんだぜという古PCを持て余していたら、頂戴したいであります。最終的にはシステム全体をRAMディスクに放り込んでルーター兼マイクラサーバというところまで持って行こうかしらと、野望が膨らみます。
などと言いつつ、がんばったところで、最後にものを言うのはマシンスペック。悪いロマンですな。
2015年8月4日火曜日
いかん。左右ともにいけてないよなぁと思ってたのをそのままポロリして、思わぬ場所でやらかしてしまった……。
ここまでの禿の今日は……
地元の歩き方教室の先生がFacebookで、このブログを支持していた。http://ameblo.jp/hsybga/entry-12057519701.html
歩き姿フェチで、先生の活動をチラチラ見ている身としても、先生自身は断固支持するものの、ブログの彼女のエントリーにはSEALDsの例の梅田演説と同じくらい違和感を感じるので、その旨書いた。
ん〜。シールズの女の子とたいしてかわらないレベルで、自分の言葉を喋っていない印象ですね。ネトウヨのスタートラインから改めて世界を眺めています!的な。シールズは、サヨクの伝統芸能的な作文で失礼します!ですが。と、これに、先生のFacebookともだちの方から、自国に誇りを持つことが何故「ネトウヨ」となるのか?
とお叱りを受けたので、長くなるものあれだしと、諸々端折って所見を述べたものだ。以下。
出雲の勢力圏のもの知らずの若者に、地元の国譲り神話も教えず、いきなり大和王権からスタートってのは、たいへん結構な情報操作に見えますね。背後には一国一文化の次世代の党が居られる様なので無理もないんですが、何十年も歴史勉強してきた凄い喫茶店のマスターの凄さも疑わしくなります。地元愛が見えない愛国心とか、信用に値しないなぁ。いやぁ、確かに端折り過ぎてますよね。これに対して、
答えになっていない、ネトウヨの定義をせよ。と更にお叱りを受けたので、とりあえず、
あ、返事書いてる最中にブサヨ呼ばわりのテンプレートが入ったのでので、同じマルクス主義者でも、俺はグルーチョ・マルクス主義者だと答えたら、「マルクス主義は既に崩壊してますので、そんな主義の方との議論には応じるつもり全くありません」とか言われた。
ちょっと悪ふざけが過ぎたな……。これは申し訳ない。
グルーチョ・マルクスの名言がネット上にまとめられていたので、貼っておこう……。
さて、先生のエントリーのコメント欄をこれ以上騒がせるのも忍びないので、場所をここに移す。
というか、先生に見つかって喧嘩なら他所でやれと言われてしまった。申し訳ないっす。
つか、いいのかこれ。右左インテリどの方向からも嫌われそうだぞ……。しゃあないか……。
お叱りへの返答
ところで、逐語的な解答を希望しておられたとは、意外でした。最初の書き込みからはみ出さない様に書いてみましょう。自国に誇りを持つなら、彼女の場合は、教えてもらったことを更に深める目的で、自分たちの地元の歴史を勉強してみても良かったのではないかと考えます。
彼女の地元は、日本の王権確立のひとつのヤマ場になった土地の筈。いろいろ面白いのではないかと考えます。
愛国心の源足りうるのはまず自らのコミュニティの文化、歴史や土地への素朴な愛着であると考えます。まずは体験し、把握している範囲に対しての愛着や敬意から体験的に自然発生して然るべきで、彼女の様に自虐史観への憤慨の様なものや、国民の象徴である皇室の歴史に対する敬服を誰かに吹きこまれてというのは、実際には非常に足腰の弱いものになります。体験、経験ではなく、ただの思想ですね。
愛国心というのは、そもそも普通なら成長とともに育まれるものであり、たとえ国を憎み、捨てる様なことになっても、その人を苛むものだという理解です。
思想は揺らぐ可能性があります。なんだかんだで転向もできる。そんなものが愛国心では、その時々に簡単に形を変えて記号化して誰かに利用されてしまうのではないでしょうか。
利用ってのは具体的には、同じ様に感化された人を寄せ集めて、敵を作りあげてみせ、「憎い!」と言わせること。自分自身が「愛国者」であると公言させること。公言した人を仲間に賞賛させること。
国を愛しているという記号の下に集まる人間の一定の人たちを把握できれば、彼らを使っての論調形成は、普通よりも容易になります。
「愛国心を持たせない様にしている日本のマスコミや教育学会」と十把一絡げにしておられますが、そもそも愛すべき国というのは何で、マスコミや教育者は何を伝えていないんでしょうか。
彼らをひとくくりにして、「間違っている」と見なしたきっかけってのは、インターネット由来の情報や一定の書籍群ですか?
幸いなことに、日本ではまだ、ある程度は自力で判断できる状態にあり、海外の視点でどの様に見られているか、様々な情報にアクセスして、いろいろ判断できると状況だと見ていますが、いかがなものでしょう。
あなたが、俺は既に結社している活動家だということなら、それなりにがんばっていただきたいのですが、
- 俺の書き込みに答えてない。
- 言葉の定義をしろ。
- ネトウヨ呼ばわりするならサヨク。つまりはブサヨという決めつけ。
- 日本が嫌いなら出て行け。
ってのは、やっぱりインターネットでよく見るテンプレートから、まるではみ出してないですよ。
私の文章はわかりにくいと、よく言われますが、他の人が書いた文章の読解力の方はどうにかありますので、テンプレートに準拠しない形で、ご自身の言葉と進め方で、ご自由にどうぞ。恐らくは、問題ありません。
2015年6月25日木曜日
ホトビジネスのインパクト
TEDxHimiのチームが少しづつ動き出している。
実際には、これから価値を作っていかなければならいノーマークの田舎TEDxで、そもそも来年1月の本番のクオリティが低かったらなんにもならない。
とはいえ、TEDxの看板があればそれでオッケーなので、とりあえずつながっておくということも、不可能ではない。
実行していく以上は、加速して練度も向上させていきたいわけで、斜に構えていては価値の向上に失敗すると考えている。
それでなくても、せめてTEDの動画のなんの価値を誰かに広めようとしたことがあるかという問いにまで口ごもられるわけだから、とりあえず、何か最初のハードルを自分で決めさせてあげるから、それを飛び越えてこっち側に来たまえとしか言いようがない。
成功は分かち合いたいが、当然、失敗の可能性もある。TEDを半端にしか知らない皆さんにはTEDxに関わったんですよと言えば多少の箔は付くのかもしれないが、この遊びの本当に面白い部分は、そんなところにはない。
まてよ?箔さえ付けばいいって連中は、別に面白くなくてもいいのか。これはしまった。
スタッフは絶賛募集中です。価値を広めるとは、どういう行為を言うのか、そもそも価値ってなんだとか、なにをどう広めるのかについて、いろいろやってみませんか?
どれどれと、教わったURLを見に行くと、これがまたとてつもない深さの業を感じさせる。途轍もないと漢字で書き直したい。
しかも、ソーシャルネットワーク界隈で容易に観測されるマルチ文脈との親和性も高く、その香ばしさは、久々に定点観測でもしなければならないのかと五分ほど悩んでしまうレベル。
スピリチュアル、身体、性、女性性。自ら進んで告白していける様に仕向けていく構造。
あまりに熱いので、勢い余ってTumblrに以下のエントリーを上げる。
nakazomblr
http://nakazo.tumblr.com/post/122308226243
まもなく本番。役者の仕上がり方はいい感じだが、まだ台本が本当の完成にまではいっていない。
題名は一応、『オスティナート』『執拗音型』『執拗反復』といった辺りから、そのままか、何かこういうことを連想させる題名でいくことにする。というか、明日にはフライヤーを印刷屋さんに突っ込もうと思うので、早々に何か決めねばならない。
実際には、これから価値を作っていかなければならいノーマークの田舎TEDxで、そもそも来年1月の本番のクオリティが低かったらなんにもならない。
とはいえ、TEDxの看板があればそれでオッケーなので、とりあえずつながっておくということも、不可能ではない。
実行していく以上は、加速して練度も向上させていきたいわけで、斜に構えていては価値の向上に失敗すると考えている。
それでなくても、せめてTEDの動画のなんの価値を誰かに広めようとしたことがあるかという問いにまで口ごもられるわけだから、とりあえず、何か最初のハードルを自分で決めさせてあげるから、それを飛び越えてこっち側に来たまえとしか言いようがない。
成功は分かち合いたいが、当然、失敗の可能性もある。TEDを半端にしか知らない皆さんにはTEDxに関わったんですよと言えば多少の箔は付くのかもしれないが、この遊びの本当に面白い部分は、そんなところにはない。
まてよ?箔さえ付けばいいって連中は、別に面白くなくてもいいのか。これはしまった。
スタッフは絶賛募集中です。価値を広めるとは、どういう行為を言うのか、そもそも価値ってなんだとか、なにをどう広めるのかについて、いろいろやってみませんか?
SMLM
午前中、知人からタレコミ。富山にも「ジェムリンガ」に蝕まれたコロニーがあった。どれどれと、教わったURLを見に行くと、これがまたとてつもない深さの業を感じさせる。途轍もないと漢字で書き直したい。
しかも、ソーシャルネットワーク界隈で容易に観測されるマルチ文脈との親和性も高く、その香ばしさは、久々に定点観測でもしなければならないのかと五分ほど悩んでしまうレベル。
スピリチュアル、身体、性、女性性。自ら進んで告白していける様に仕向けていく構造。
あまりに熱いので、勢い余ってTumblrに以下のエントリーを上げる。
nakazomblr
http://nakazo.tumblr.com/post/122308226243
考察の行方
霊感商法だったら商売としてコピーするの難しいけど、ゆるふわスピリチュアルはどこかで占いっぽい妥当さとか、身体感覚みたいなところとかに持っていくことがあって、技術としてコピー可能だったり、商材として扱えるって寸止め感覚のまま、心に入り込んで思い込みに作用するから、そんな意味ではたち悪いな。やってらんないっすね。
自分が体験している状態を、間違って教えられている可能性については、なかなか他人に違うよと言われても、認めるの難しそうだ。
高額の自己啓発に突っ込む奴が、この金で覚悟を買って自分を追い込んで上に行く!のと似たような論法に、更に神秘が交じるわけで、あなたが反発するのも、魂が凝り固まっているせい。とか言われると、その時点で終了だ。
ここにMLMが絡むと、そもそもが信用のストックを消費しながら展開していく宿命上、喉から手が出るほど欲している、クライアントの個人的な納得と忠誠心を入手できるわけで、強い。強いな。なんて強いんだ。
そんなわけで募集します。締め切りは明日の17時。
前金応談と儲け折半で、新時代のSMLM(スピリチュアル・マルチ・レベル・マーケティング)のスタートの理論を教えます。君の覚悟が本物なら、運命は自ずと開ける。
すげぇ将来性のある、社会のためになりそうなビジネスだから、志を応援する意味で大サービス。
だいたい80ページぐらいのパワポ、普通ならこれ、40万相当だよ。って感じの資料を作っとく。無料でつけちゃう。
まずはコメント欄、メンションで挙手。直メッセージは無視すっからね。
覚悟を示せ!
血パンダの稽古
夜は血パンダの稽古。車が壊れた栗山を拾って呉羽芸創へ。まもなく本番。役者の仕上がり方はいい感じだが、まだ台本が本当の完成にまではいっていない。
題名は一応、『オスティナート』『執拗音型』『執拗反復』といった辺りから、そのままか、何かこういうことを連想させる題名でいくことにする。というか、明日にはフライヤーを印刷屋さんに突っ込もうと思うので、早々に何か決めねばならない。
2014年9月1日月曜日
平常時は無敵扱いの愛で地球が救われたことがないから、愛は地球を救うって宣言したら強いフレーズになる。これ、大声で言うにはセンスやそれらしい覚悟が必要ですよ。
残念ながら中学に入った辺りから24時間テレビを見ていないので、もう30年近く縁遠い番組なのだけれど、毎年みんな飽きないなぁと思いながら、今年も近年のループネタ、「ボランティアとギャラ」「仕込みやらやらせ」という話しで盛り上がり、なんだかんだで、みんなテレビ大好きだよなぁと、それはもう、ネット経由でも十分に目に入るので、つらつらと考えていた。
諸々の啓発と、いわゆる弱者やハンディキャッパー、社会的なマイノリティな皆さんと、そうじゃない人々が、立場の違いから生じる互いのロジックとエゴを丹念にぶつけあうだけの24時間テレビをやれば、万事解決じゃないだろうか。
あとは、露悪的にならないバランス感覚にお金を十分にかけて、そういう番組に対して、地味過ぎとか辛いとか、そういうことを理由にオワコンとか抜かす奴を吊るし上げるネット工作員も組織してガンガン雰囲気作ればいいんじゃないだろうか。
『愛は地球を救う』と言い続けるには金がかかります。当たり前。普通に不可能への挑戦を叫んでいるわけだもの。新規顧客を獲得する以上のコストかけないと、どうにもなりませんよ。本当に救う様になったらハッピーなのに、みんな文句ばっかりですよ。
こんなんじゃ、下りのエスカレーターを並々と水入れた紙コップの水をこぼさない様に走りながら、上に豆腐を配達しようとしているみたいなもんですよ。
だからこそ、やり方がクールじゃないからダメ呼ばわりされるわけで、それが昨今、インターネッツのおかげでクールじゃねぇなと下るエスカレーターの速度が加速しているわけですよ。
現状、全国で「いいこと」に協力しているつもりになっている人々は十分に組織されているんじゃないかと、そんな風にも見えているわけで、風評が本格的になって面倒なことにならないうちに、「ボランティアとギャラ」「仕込みやらやらせ」とかでループして喜ぶ様な邪魔な芽は摘んでおくのが丁寧な仕事じゃなかろうかと考えるものであります。負けないでいただきたい。
命を削っているこん平師匠に大歓声あげている連中はTwitterで確認しているので、本当にもう、テレビの前の皆さんというか、ネットとテレビを併用している皆さんを、剣闘士が残虐な方法で死なないとおさまらないローマ市民の出来損ないみないたいな状態からなんとか救い出して欲しいものであります。
というか、命削るのも仕事ってメンタリティじゃないかと推察できる人に、わざわざ命削らしてる段階でノーアイディアだよ。
明敏に皆さんを満足させられるのは、きっとテレビだけだ。で、テレビでしか実現できないってことは、そういうテレビ番組には大勢の人が関わらないと成立しないと思うから、当然お金かかる筈だ。です。
あれ?見てないから言えるだけかな。実際、24時間テレビ見たら腹立つかな。
というか、こんなことに頭使いたくないので、本当に来年からはお願いしたい。
俺は自衛のために夏の終わりにネットつながない期間をもうける方向で今から修行しようと心に誓いました。
なんと!書きながらなんとなく思い出した『タイトルの魔力』Kindle版だけになとる!
諸々の啓発と、いわゆる弱者やハンディキャッパー、社会的なマイノリティな皆さんと、そうじゃない人々が、立場の違いから生じる互いのロジックとエゴを丹念にぶつけあうだけの24時間テレビをやれば、万事解決じゃないだろうか。
あとは、露悪的にならないバランス感覚にお金を十分にかけて、そういう番組に対して、地味過ぎとか辛いとか、そういうことを理由にオワコンとか抜かす奴を吊るし上げるネット工作員も組織してガンガン雰囲気作ればいいんじゃないだろうか。
『愛は地球を救う』と言い続けるには金がかかります。当たり前。普通に不可能への挑戦を叫んでいるわけだもの。新規顧客を獲得する以上のコストかけないと、どうにもなりませんよ。本当に救う様になったらハッピーなのに、みんな文句ばっかりですよ。
こんなんじゃ、下りのエスカレーターを並々と水入れた紙コップの水をこぼさない様に走りながら、上に豆腐を配達しようとしているみたいなもんですよ。
だからこそ、やり方がクールじゃないからダメ呼ばわりされるわけで、それが昨今、インターネッツのおかげでクールじゃねぇなと下るエスカレーターの速度が加速しているわけですよ。
現状、全国で「いいこと」に協力しているつもりになっている人々は十分に組織されているんじゃないかと、そんな風にも見えているわけで、風評が本格的になって面倒なことにならないうちに、「ボランティアとギャラ」「仕込みやらやらせ」とかでループして喜ぶ様な邪魔な芽は摘んでおくのが丁寧な仕事じゃなかろうかと考えるものであります。負けないでいただきたい。
命を削っているこん平師匠に大歓声あげている連中はTwitterで確認しているので、本当にもう、テレビの前の皆さんというか、ネットとテレビを併用している皆さんを、剣闘士が残虐な方法で死なないとおさまらないローマ市民の出来損ないみないたいな状態からなんとか救い出して欲しいものであります。
というか、命削るのも仕事ってメンタリティじゃないかと推察できる人に、わざわざ命削らしてる段階でノーアイディアだよ。
明敏に皆さんを満足させられるのは、きっとテレビだけだ。で、テレビでしか実現できないってことは、そういうテレビ番組には大勢の人が関わらないと成立しないと思うから、当然お金かかる筈だ。です。
あれ?見てないから言えるだけかな。実際、24時間テレビ見たら腹立つかな。
というか、こんなことに頭使いたくないので、本当に来年からはお願いしたい。
俺は自衛のために夏の終わりにネットつながない期間をもうける方向で今から修行しようと心に誓いました。
なんと!書きながらなんとなく思い出した『タイトルの魔力』Kindle版だけになとる!
2014年8月26日火曜日
点でしか把握できないこと
氷水ネタは散々茶化したけれども、特段沈静化するものでもないので改めて乗っておきます。
母数やソースの少ないところから始める。
自分の身の回りでネットで、ホーキング博士に言及する書き込みを行った人は、ここまで一人だけだった。
その人らしいいつもの皮肉で、「ホーキング博士がかかっている病気なのに、みなさんご存知ないんですね」といった内容の書き込みを見て、ホーキング博士、超有名だと思っていたけれど、そうでもないのかもしれないとも思いはじめていたので、たった一人の書き込みだけれども、我が意を得た気持ちになった。
先日、とあるお医者さんと雑談で、氷水というキーワードが出たので、
「なんでホーキング博士のこと、忘れちゃうのかね」
「みんなそれぞれ自分のことで忙しいんすよ」
「ナルホド」
といった会話を交わして、それもそうかと納得した。
確かに、あらゆることが常にそうだ。 他人の病気や困難についてアイコンは機能しない。
キーワードが出て来てもアイコンを思い出さないのが普通。アイコンを見ても行動につながらないのが普通。
だとしたら、難しいことを言っている車椅子の天才を見ても、それ以上の関心を持たないことが普通の忙しさだ。何度テレビのニュースで見てもだ。
なんだかんだで、人の「心地よい」とか「自分のためにプラスになる」という欲望との直結がなんだかんだで効果的なキャンペーンになることは確かだ。
なんのことはない。それがマーケットやブランドの理論だった。
どうしてそういう普通から離れられないのか。忙しいから忘れてしまうことはあるだろう。
人なのか人でないのかといえば、人の筈だ。人格だ。
各々生活もし、心も持っているのに、セグメントを構成する要素でありペルソナに合致する「人」でどうするんだと心地よさと個人的な不快だけで構成されて、あくせくと長生きを目指す情報ばかり見ては感心してすぐに忘れてどうするんだ。
「何度も聞いている筈なのに初耳の問題」「目にとまっても問題として認識されないこと」は社会から一切なくならない。それでいいのか? 確かに足下の身近な問題ですら、行動しないでいられるし、何かしていれば活動家だと言われるのが普通で、一人の人間にカバーできることには限りがあるけれど、おい。普通って一体なんだ。
過去の災害は忘れられ、改めて人が死ぬ。教訓は風化して、改めて人が死ぬ。理論上は問題ないものの運用に無理があって事故が起こる。
これが普通だとしたら、普通の撲滅について真剣に考える必要があるんじゃないだろうか。
活動はいくらもあるだろうから、せめて極端な啓蒙の必要ない社会を作るための、もっと冴えたアプローチはないものだろうか。
いや、ずっと、一貫してそんなことを考えているので、これは別に皮肉でもなんでもないです。
『おそいひと』、インディーの映画なので実際そんな映画があったのかどうかも都市伝説の域に達しつつありますが、結構中古で流通していて、日本橋で100円とか200円でワゴンの中にあったという報告もあります。Amazonでも購入可能です。
なんだアフリかよということではなくて、私自身の一貫性についての担保ってことで。
母数やソースの少ないところから始める。
自分の身の回りでネットで、ホーキング博士に言及する書き込みを行った人は、ここまで一人だけだった。
その人らしいいつもの皮肉で、「ホーキング博士がかかっている病気なのに、みなさんご存知ないんですね」といった内容の書き込みを見て、ホーキング博士、超有名だと思っていたけれど、そうでもないのかもしれないとも思いはじめていたので、たった一人の書き込みだけれども、我が意を得た気持ちになった。
先日、とあるお医者さんと雑談で、氷水というキーワードが出たので、
「なんでホーキング博士のこと、忘れちゃうのかね」
「みんなそれぞれ自分のことで忙しいんすよ」
「ナルホド」
といった会話を交わして、それもそうかと納得した。
確かに、あらゆることが常にそうだ。 他人の病気や困難についてアイコンは機能しない。
キーワードが出て来てもアイコンを思い出さないのが普通。アイコンを見ても行動につながらないのが普通。
だとしたら、難しいことを言っている車椅子の天才を見ても、それ以上の関心を持たないことが普通の忙しさだ。何度テレビのニュースで見てもだ。
なんだかんだで、人の「心地よい」とか「自分のためにプラスになる」という欲望との直結がなんだかんだで効果的なキャンペーンになることは確かだ。
なんのことはない。それがマーケットやブランドの理論だった。
どうしてそういう普通から離れられないのか。忙しいから忘れてしまうことはあるだろう。
人なのか人でないのかといえば、人の筈だ。人格だ。
各々生活もし、心も持っているのに、セグメントを構成する要素でありペルソナに合致する「人」でどうするんだと心地よさと個人的な不快だけで構成されて、あくせくと長生きを目指す情報ばかり見ては感心してすぐに忘れてどうするんだ。
「何度も聞いている筈なのに初耳の問題」「目にとまっても問題として認識されないこと」は社会から一切なくならない。それでいいのか? 確かに足下の身近な問題ですら、行動しないでいられるし、何かしていれば活動家だと言われるのが普通で、一人の人間にカバーできることには限りがあるけれど、おい。普通って一体なんだ。
過去の災害は忘れられ、改めて人が死ぬ。教訓は風化して、改めて人が死ぬ。理論上は問題ないものの運用に無理があって事故が起こる。
これが普通だとしたら、普通の撲滅について真剣に考える必要があるんじゃないだろうか。
活動はいくらもあるだろうから、せめて極端な啓蒙の必要ない社会を作るための、もっと冴えたアプローチはないものだろうか。
いや、ずっと、一貫してそんなことを考えているので、これは別に皮肉でもなんでもないです。
『おそいひと』、インディーの映画なので実際そんな映画があったのかどうかも都市伝説の域に達しつつありますが、結構中古で流通していて、日本橋で100円とか200円でワゴンの中にあったという報告もあります。Amazonでも購入可能です。
なんだアフリかよということではなくて、私自身の一貫性についての担保ってことで。
2014年8月15日金曜日
消される覚悟で真実を曝露するから、市民の皆さんに知って欲しい。
最近ちょくちょく見かける、陰謀論に簡単に納得する全ての分別ある大人に考えて欲しい。
そもそも陰謀論というのは、素直に信じるためにあるのではなく、分別ある大人にとっての最後の娯楽として地上に存在しているのだ。
その覚悟をしてもらうために、これまで私が探し求めてきた世界の真実と、その輪郭についてここに公表しようと思う。
つまり、全ては影の支配者に盗聴されているということ。iPhoneに秘密裏にアクセスできる窓が開けられていたことが最近報道されているし、Facebookを始めとするあらゆるソーシャルネットワークは実際のところ民衆の監視装置に過ぎない。
そんな環境で、真実は常に不完全な形で小出しにリークされ、その都度細かく否定され続けたり、ニュースそのものに関心を持てなくなる様にコントロールされている。
例えば、先ほどのiPhoneにアクセス云々という報道の前には、レノボ製のPCからは中国に情報を流しているという報道があった。企業からの情報漏洩も止まるところを知らず、我々は自分のプライベートな情報が我知らず利用されることについて、どんどん感覚を麻痺させられている。
そして、影の支配者は我々民衆を刺激し、その反応を観察している。つまり、我々は常に監視下にあり、常に適切な形で真実を隠蔽する情報操作を受け続けている。様々なサイトを訪問して気づく人も多いだろう。一度見た商品の広告が永遠に表示され続けている。そのくらいの追跡は簡単にできることなのだ。
社説やコラムが、極端にレベルの低い新聞もそうだ。何が言いたいのか雰囲気で理解するしかない社説やコラムを毎朝読者に読ませている新聞があれば、その新聞社は、かなり積極的に情報操作に加担していると考えて良い。
スクリーン、スポーツ、セックスの3S愚民政策は、GHQが日本に対して行っただけではなく、米国民自体にも行われてきた。娯楽のふりをして、真実を不完全な形でリークして否定するというマッチポンプで、我々は世界の真実を嘘だ、創作だと思わせられている。
ハリウッド映画だけではない。テレビ、ラジオ、インターネットを使っている限り、現代社会ではこの流れからは逃れられない。
インターネットの普及以来、異星人に関して『未知との遭遇』や『V』の様なある意味で大雑把な作品が見られなくなったことについて、考えてみて欲しい。これがつまり、情報発信してそれに対する反応を、より細やかに観察した成果だ。我々は、ほんの十数年の間に、より巧妙に「作り話」だと思わせられている。
これは、あらゆる分野に於いてそう言える。
軍産複合体、穀物メジャー、医療マフィア、イルミナティ、諸々の巨大な利権を持つ組織。あるいは異星人。あらゆる陰謀が世界を覆い隠しているのだ。
ここまでおつきあいしていただいた皆さんは、思考も整理できて、そして、お気づきになられただろう。
明敏な市民の皆さん。真実の扉はもう情報の外側にしかない。
そしてまた、皆さんの日常に目を向け、こういう類いの情報を、なんだかんだで積極的に利用している自己啓発系の人々やマルチ、マルチ紛いの豚にも気をつけていただきたい。
そもそも陰謀論というのは、素直に信じるためにあるのではなく、分別ある大人にとっての最後の娯楽として地上に存在しているのだ。
その覚悟をしてもらうために、これまで私が探し求めてきた世界の真実と、その輪郭についてここに公表しようと思う。
インターネットは監視装置
先ず考えて欲しいのは、インターネットも多くのパソコンで使われているOSも米国製だったり、米国由来の技術が使われている。その意味についてだ。つまり、全ては影の支配者に盗聴されているということ。iPhoneに秘密裏にアクセスできる窓が開けられていたことが最近報道されているし、Facebookを始めとするあらゆるソーシャルネットワークは実際のところ民衆の監視装置に過ぎない。
そんな環境で、真実は常に不完全な形で小出しにリークされ、その都度細かく否定され続けたり、ニュースそのものに関心を持てなくなる様にコントロールされている。
例えば、先ほどのiPhoneにアクセス云々という報道の前には、レノボ製のPCからは中国に情報を流しているという報道があった。企業からの情報漏洩も止まるところを知らず、我々は自分のプライベートな情報が我知らず利用されることについて、どんどん感覚を麻痺させられている。
そして、影の支配者は我々民衆を刺激し、その反応を観察している。つまり、我々は常に監視下にあり、常に適切な形で真実を隠蔽する情報操作を受け続けている。様々なサイトを訪問して気づく人も多いだろう。一度見た商品の広告が永遠に表示され続けている。そのくらいの追跡は簡単にできることなのだ。
マッチポンプで消されていく真実
日本では、インターネットではマスコミをことをマスゴミと呼んで揶揄し、テレビはインターネットをバーチャルで役に立たないもの。ともすればセックス目的のいかがわしいものと決めつける。 こうして両方に争いを演じさせながら、どんどん民衆から判断力を奪っていく八百長試合が繰り返されているというのが真相だ。社説やコラムが、極端にレベルの低い新聞もそうだ。何が言いたいのか雰囲気で理解するしかない社説やコラムを毎朝読者に読ませている新聞があれば、その新聞社は、かなり積極的に情報操作に加担していると考えて良い。
スクリーン、スポーツ、セックスの3S愚民政策は、GHQが日本に対して行っただけではなく、米国民自体にも行われてきた。娯楽のふりをして、真実を不完全な形でリークして否定するというマッチポンプで、我々は世界の真実を嘘だ、創作だと思わせられている。
ハリウッド映画だけではない。テレビ、ラジオ、インターネットを使っている限り、現代社会ではこの流れからは逃れられない。
インターネットの普及以来、異星人に関して『未知との遭遇』や『V』の様なある意味で大雑把な作品が見られなくなったことについて、考えてみて欲しい。これがつまり、情報発信してそれに対する反応を、より細やかに観察した成果だ。我々は、ほんの十数年の間に、より巧妙に「作り話」だと思わせられている。
これは、あらゆる分野に於いてそう言える。
軍産複合体、穀物メジャー、医療マフィア、イルミナティ、諸々の巨大な利権を持つ組織。あるいは異星人。あらゆる陰謀が世界を覆い隠しているのだ。
ここまでおつきあいしていただいた皆さんは、思考も整理できて、そして、お気づきになられただろう。
明敏な市民の皆さん。真実の扉はもう情報の外側にしかない。
そしてまた、皆さんの日常に目を向け、こういう類いの情報を、なんだかんだで積極的に利用している自己啓発系の人々やマルチ、マルチ紛いの豚にも気をつけていただきたい。
ここからが命がけ。旧支配者と呼ばれる
だが、陰謀論の真実は(窓に窓にとくわせふじこは割愛)2014年7月3日木曜日
Facebookがユーザーの感情操作実験ですって
[じわっと継続しそうなネタなんで、とりあえず現時点を書き留めておきます。]
Facebookがユーザーの感情操作の実験をしていたそうで、倫理に反するとか騒がれてますが、確かに気分は悪いですね。
そうなると結構客観的にボスとかリーダーへの追随やら、馴れ合いのコロニーやら、職業やら出自の違いやら、罪の無いルサンチマンの噴出(笑)なんてことは、日常的に観察できるわけじゃないですか。
そこを更に操作しようだなんて不潔よ!とか、そういうことなんだけど、そもそもFacebookやってたら妙な耐性が付く様に思えるんですが、ダメ?俺だけ?
何かを見て何かを考える前に、感情に走っちゃいかんですよ。テレビ相手に本気で怒ったり泣いたりする人とか、いまどきはドン引きするじゃないですか。
訓練されていない個人は、普通に感情を垂れ流すんですよ。そこに対しては「腹でも減てるのか?」「ハグが足りないのか?」「いい気になるなよ、このエロガッパ!」とか、愛らしいツッコミの応酬でハハハと笑うのが、平成の世で推奨されるインターネッツ江戸しぐさってもんでしょ。
アホのコロニーにアホと言ってはばからない勇気と、そのアホと同じ様なアホコロニーを持たない奴だけが、アホにアホと言えるんだぞ自問しろ。というジーザスクライストの教えがおぼろげにだけど記憶に刻まれていることを、改めて自覚させてくれる。Facebookってのは、そんな風にありがたい存在だと考えるわけです。
読まなあかん本が多過ぎて時間は無いんだけど、なんとなくで生きるには人生が長過ぎると思える程度にインターネッツは機能しいて、ネット見てたらよくわかるのが、立ち位置が違えばロジックも違うってことで、だからこそ、全一の何かに従しようぜ!みたいなことをしている連中が、いかに不健全かがよくわかると思うんですけど、いかがなもんですかね。
ネガでもポジでも、絶対位置は同じで、それこそ人を巻き込んで共感程度で集金したり、カモったりカモられたりで組んず解れつしない分、ネガ側人達の方がマシな気がしますよ。
ネットを捨てて町に出ろってことじゃなくて、普通に頭使おうよ。お前は誰だ?ってことですよ。
インターネッツのこうしたサービスについて言うなら、マーケティングされない権利は必要かもしれないけど、まだまだ先の話しになりそうだから、地味に自己防衛しようぜということでもいいかもしれない。
Facebookがユーザーの感情操作の実験をしていたそうで、倫理に反するとか騒がれてますが、確かに気分は悪いですね。
最近、Facebookユーザーを対象に、本人の了解なく一週間にわたる感情操作実験が行われていた。予算の一部は陸軍から出ている。この研究は、ユーザーのニュースフィードの内容が、ユーザー本人の感情形成に影響を与えるかどうかを発見することを目的とし、歪曲されたコンテンツを見た後の投稿内容のトーンを測定することによって判断するものだ。とはいえ、人間なんてのは、近くに居る誰かに影響されるのは当たり前で、Facebookともなれば、本当ならちょっと縁遠い人の行動やら感情まで見えてしまったりするんですよね。
70万人近いFacebookユーザーが、ポジティブあるいはネガティブに偏ったコンテンツを見せられた。研究の結果、ポジティブなニュースフィードを与えられたユーザーはよりポジティブな内容を投稿し、ネガティブなニュースフィードを与えられたユーザーはネガティブな内容を書き込んでいたことがわかった。
http://jp.techcrunch.com/2014/06/30/20140629facebook-and-the-ethics-of-user-manipulation/
そうなると結構客観的にボスとかリーダーへの追随やら、馴れ合いのコロニーやら、職業やら出自の違いやら、罪の無いルサンチマンの噴出(笑)なんてことは、日常的に観察できるわけじゃないですか。
そこを更に操作しようだなんて不潔よ!とか、そういうことなんだけど、そもそもFacebookやってたら妙な耐性が付く様に思えるんですが、ダメ?俺だけ?
何かを見て何かを考える前に、感情に走っちゃいかんですよ。テレビ相手に本気で怒ったり泣いたりする人とか、いまどきはドン引きするじゃないですか。
訓練されていない個人は、普通に感情を垂れ流すんですよ。そこに対しては「腹でも減てるのか?」「ハグが足りないのか?」「いい気になるなよ、このエロガッパ!」とか、愛らしいツッコミの応酬でハハハと笑うのが、平成の世で推奨されるインターネッツ江戸しぐさってもんでしょ。
アホのコロニーにアホと言ってはばからない勇気と、そのアホと同じ様なアホコロニーを持たない奴だけが、アホにアホと言えるんだぞ自問しろ。というジーザスクライストの教えがおぼろげにだけど記憶に刻まれていることを、改めて自覚させてくれる。Facebookってのは、そんな風にありがたい存在だと考えるわけです。
読まなあかん本が多過ぎて時間は無いんだけど、なんとなくで生きるには人生が長過ぎると思える程度にインターネッツは機能しいて、ネット見てたらよくわかるのが、立ち位置が違えばロジックも違うってことで、だからこそ、全一の何かに従しようぜ!みたいなことをしている連中が、いかに不健全かがよくわかると思うんですけど、いかがなもんですかね。
ネガでもポジでも、絶対位置は同じで、それこそ人を巻き込んで共感程度で集金したり、カモったりカモられたりで組んず解れつしない分、ネガ側人達の方がマシな気がしますよ。
ネットを捨てて町に出ろってことじゃなくて、普通に頭使おうよ。お前は誰だ?ってことですよ。
インターネッツのこうしたサービスについて言うなら、マーケティングされない権利は必要かもしれないけど、まだまだ先の話しになりそうだから、地味に自己防衛しようぜということでもいいかもしれない。
2014年4月18日金曜日
いわゆる“キュレーション”のレベルの件
今朝、Facebookで目撃した動画。
※実物が存在しているので、リンク貼りますしネタにもしますが、閲覧数は稼がせたくない!そんな困った状態なことをここに告白します。
http://feely.jp/278/で紹介されてたもんですが、曰く、
まさに、いわゆる「キュレーション」でスピリチュアル系のセミナー屋の動画の文脈が微妙に変わる瞬間ですよ。
そんなウンコの様な現象には、もう歯止めが効かないものですかね。なんか、広告料みたいなお金でも発生してるんでしょうか。
で、このスピリチュアルなセミナー屋が動画の閲覧数だけを取り出して、多くの人に支持されています!とかいう風に宣伝したら、その数に騙されてまたセミナー屋にお金を渡してしまうスパイラルにみんなで加担という流れ。
俺も今こうやって動画を共有してるんで、自分のブログを汚して、連中に加担しているというなんともいえない状態なわけです。
ちなみにこれ、お金が沢山放り出されるんじゃなくて、みんなから声かけられまくって触られまくってお金も、という描写にすれば、看板書き換えてるネェちゃんの靴を触るってのと対比もできるし、ワンネスとかそういうスピリチュアル主張とも絡められてもっと皆さんの意識に刷り込めるものがあったろうに、残念ながらこんな構造。
スピリチュアルなものは、あくまでも不過視で感じ取ることしかできないけれど、利益を得る事はできるし、改めてしみじみ感じてもオッケーという理解があってのシナリオだってことですよ。
更に一段突っ込めば、言い方変えて効率よくマネーをゲットだぜ!という制作側のシンプルな深層心理も、そのままビンビン伝わってきます。
おお、作品ってのはマジで内発なんで、とにかくフロイト的な防御をするか、全部どばーっと出すかしなきゃダメって教訓を思い出しましたよ。自分でやるときは気をつけます。
なにはともあれ、キュレーションとかやってる連中も含めて、透けて見えるんじゃなくて、透かして見るってのも大切ですね。
一番いいのはスルーか?俺が率先して失敗していて、大変申し訳ないんですけど。
※実物が存在しているので、リンク貼りますしネタにもしますが、閲覧数は稼がせたくない!そんな困った状態なことをここに告白します。
http://feely.jp/278/で紹介されてたもんですが、曰く、
たったワンフレーズの言葉を変えるだけで、全てが変わってしまうそんなことを感じられる動画です。
まさに、いわゆる「キュレーション」でスピリチュアル系のセミナー屋の動画の文脈が微妙に変わる瞬間ですよ。
そんなウンコの様な現象には、もう歯止めが効かないものですかね。なんか、広告料みたいなお金でも発生してるんでしょうか。
で、このスピリチュアルなセミナー屋が動画の閲覧数だけを取り出して、多くの人に支持されています!とかいう風に宣伝したら、その数に騙されてまたセミナー屋にお金を渡してしまうスパイラルにみんなで加担という流れ。
俺も今こうやって動画を共有してるんで、自分のブログを汚して、連中に加担しているというなんともいえない状態なわけです。
ちなみにこれ、お金が沢山放り出されるんじゃなくて、みんなから声かけられまくって触られまくってお金も、という描写にすれば、看板書き換えてるネェちゃんの靴を触るってのと対比もできるし、ワンネスとかそういうスピリチュアル主張とも絡められてもっと皆さんの意識に刷り込めるものがあったろうに、残念ながらこんな構造。
- 謎めいた一人の女が何かをして去り、その結果利益がもたらされる。
- 彼女の靴にしか触れることができない。彼女は上位存在。
- 利益を得られて初めて、改めて彼女から肩に触れてきて、それでも何があったのかという全貌は明かされることがない。
スピリチュアルなものは、あくまでも不過視で感じ取ることしかできないけれど、利益を得る事はできるし、改めてしみじみ感じてもオッケーという理解があってのシナリオだってことですよ。
更に一段突っ込めば、言い方変えて効率よくマネーをゲットだぜ!という制作側のシンプルな深層心理も、そのままビンビン伝わってきます。
おお、作品ってのはマジで内発なんで、とにかくフロイト的な防御をするか、全部どばーっと出すかしなきゃダメって教訓を思い出しましたよ。自分でやるときは気をつけます。
なにはともあれ、キュレーションとかやってる連中も含めて、透けて見えるんじゃなくて、透かして見るってのも大切ですね。
一番いいのはスルーか?俺が率先して失敗していて、大変申し訳ないんですけど。
2011年9月3日土曜日
富山カレーフェスタ2011
(カレーフェスタの組織の性質上、以下の内容は仲個人の視点からの記述で、委員会の公式見解ではないので、その辺はなにとぞ差し引いて読んでください。)
富山カレーフェスタ2011が11月19日/20日の両日、富山市のグランドプラザで開催される。
カレーフェスタ実行委員会のブログ
カレーフェスタのFacebookページ
このカレーフェスタの実行委員会は、もともとTwitterで集まった人間が、Facebookでグループを作り、情報を共有しながらミーティングを重ねて準備に励んでいるという、ちょっと今風の集まりだ。全員のつながりを見ても、Twitterをやる以前から面識のあった人間が委員会の中に3人以上居るというメンバーは稀だろう。
現時点でも正式な委員長は不在。先日新聞の取材を受けた時も、「委員長は?」という質問に「まだ居ないですね。そんな意味ではモダンな組織です」などと答えてしまい、記者さんに苛立たれてしまったのではないかと危惧している。
後日、記者の方に喋った内容と記事を照らし合わせてみるに、内部の人間相手に根掘り葉掘り裏を取ったのは、単に「中心が無い=モダン」という表現にいらっときたから、まともにハナシ聞くのをやめて、記事書くための確認フラグを淡々と立て続けたのではないかと、まさにそんな感じだった。本当に苛つかせていたとしたら、非常に申し訳ない。
単にネットからリアルに流れても、そのまま集合知や個々の力の活用に活路を見出しているだけのリゾーム的な組織というだけだが、世間はまだまだそれに耐えられず、中央集権的な形を好むというのは十分に理解している筈なのに、ありのままを喋るというのは、そんな意味では失敗だし、事前の準備としてそんな形式を整えておくというデリカシーも大切だ。
申し訳ないついでにタネを明かせば、イメージキャラクターの「カレーちゃん」など、こういうステキなイラストを提供してくれている、ねぎタンさんに至っては、委員会の人間、誰も会った事が無い。しかし、彼のクオリティや「使ってくれればいいっす!」という一貫した姿勢に、全ての委員が驚嘆し信頼を寄せている。 →ねぎタンさんのpixivの入り口
こういう組織で、アウトプットや行動そのもので個々人がつながることについて何かが不安なら、何が不安なのか教えて欲しい。
個人的にはこんな形には幾度か経験があるし、不安に耳を傾けたこともあるが。これまでのところ、金とか自分の責任に帰結するポジショントークめいた言葉に分解できる意見以外に耳にしたことがない。組織というのは、傍から見ればなんであれ怪しいし、視点が違えば腑に落とすプロセスも違う。
さて、富山のTwitterユーザーの一部でカレーが意識され始めたのは、日曜の昼間からカレーを食うために集まろうぜというTwitterのオフ会が発端だった。そこに12人集が集まり、それ以来、誰かがカレーを食べたとかつぶやこうものなら、\カレー!/\カレー!/とリツイートが帰って来て、タイムラインが\カレー!/で満たされるという現象が始まった。
2010年の8月から9月頃にかけて、「カレー」という言葉が富山でつぶやかれた回数は、全国の水準を軽く越えており、現在も高水準を保っている。
その頃に、食べログに登録されているインド料理の店の数と国勢調査の世帯数を付合わせると、富山県のカレー屋の世帯カバー率が全国3位の高水準であることが発覚した。日本海側で見るとダントツの数字である。
とはいえ、この3位という数字、即座に「それはいいね」となる人間といえば\カレー!/で騒いでいる界隈だけで、他にはピンとこなかったのも確かだ。
富山県内では、高岡でコロッケの町おこしをしてみたり、B級グルメは様々な自治体がそこはかとなく注目しているキーワードだろう。にもかかわらず「カレーが3位」は、「ふうん」「へぇ」で終わるのだ。
ひとつには、やはり「1位」以外には何の価値も無い事、もうひとつはただのチンピラが、ざっくり調べたらこんなでしたという結果に過ぎないこと。単純な説得力不足はあるだろう。ただの事実なんて、誰も喜ばない。
ただ、背景として、富山の幹線道路8号線沿いで、ロシア人と中古車の取り引きをしているパキスタン人の食事場所としてのカレー屋や、「デリー」「タージマハール」など本格系の展開、最近一部チェーンの展開をきっかけに力が入っている金沢カレーとレギュレーションの近い富山の老舗カレー店の存在があることには即座に目が向かない、知識不足というよりは連想力の不足。加えて既存のソースからアクションを起こすこと、その掘り起こしのスタートに関わることに対する腰の重さを感じたことも確かだ。
見過ごされている日常に埋もれた地域の資産というのは、恐らくそこかしこにある筈だ。新たに何かする必要はなく、過去から現在に続いている何かに価値は確実に存在している。何故なら継続しているから。簡単な話しではないだろうか。
などと言いつつ、祭りを中心に据えて人の心に訴求するというのは、古代からお馴染みの中心を作る手法だ。
中心のないモダンな組織とか言っておきながら結局はそこかよ。という突っ込みはさておき、富山はカレーで盛り上がるべきだ。
何故なら、富山県民はカレーという食の存在に価値を見いだし、愛している。統計的に見て外食をしない富山県において、ちょっと調べた程度で本格カレー店の世帯カバー率が高いということが判明する以上、こんなデータから敢えて目を背ける必要があるだろうか。
気覚いてしまった以上、行動しないまま後悔する方が愚かなことだ。
富山カレーフェスタ2011が11月19日/20日の両日、富山市のグランドプラザで開催される。
カレーフェスタ実行委員会のブログ
カレーフェスタのFacebookページ
このカレーフェスタの実行委員会は、もともとTwitterで集まった人間が、Facebookでグループを作り、情報を共有しながらミーティングを重ねて準備に励んでいるという、ちょっと今風の集まりだ。全員のつながりを見ても、Twitterをやる以前から面識のあった人間が委員会の中に3人以上居るというメンバーは稀だろう。
現時点でも正式な委員長は不在。先日新聞の取材を受けた時も、「委員長は?」という質問に「まだ居ないですね。そんな意味ではモダンな組織です」などと答えてしまい、記者さんに苛立たれてしまったのではないかと危惧している。
後日、記者の方に喋った内容と記事を照らし合わせてみるに、内部の人間相手に根掘り葉掘り裏を取ったのは、単に「中心が無い=モダン」という表現にいらっときたから、まともにハナシ聞くのをやめて、記事書くための確認フラグを淡々と立て続けたのではないかと、まさにそんな感じだった。本当に苛つかせていたとしたら、非常に申し訳ない。
単にネットからリアルに流れても、そのまま集合知や個々の力の活用に活路を見出しているだけのリゾーム的な組織というだけだが、世間はまだまだそれに耐えられず、中央集権的な形を好むというのは十分に理解している筈なのに、ありのままを喋るというのは、そんな意味では失敗だし、事前の準備としてそんな形式を整えておくというデリカシーも大切だ。
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カレーちゃんサリー着用版 |
こういう組織で、アウトプットや行動そのもので個々人がつながることについて何かが不安なら、何が不安なのか教えて欲しい。
個人的にはこんな形には幾度か経験があるし、不安に耳を傾けたこともあるが。これまでのところ、金とか自分の責任に帰結するポジショントークめいた言葉に分解できる意見以外に耳にしたことがない。組織というのは、傍から見ればなんであれ怪しいし、視点が違えば腑に落とすプロセスも違う。
さて、富山のTwitterユーザーの一部でカレーが意識され始めたのは、日曜の昼間からカレーを食うために集まろうぜというTwitterのオフ会が発端だった。そこに12人集が集まり、それ以来、誰かがカレーを食べたとかつぶやこうものなら、\カレー!/\カレー!/とリツイートが帰って来て、タイムラインが\カレー!/で満たされるという現象が始まった。
2010年の8月から9月頃にかけて、「カレー」という言葉が富山でつぶやかれた回数は、全国の水準を軽く越えており、現在も高水準を保っている。
その頃に、食べログに登録されているインド料理の店の数と国勢調査の世帯数を付合わせると、富山県のカレー屋の世帯カバー率が全国3位の高水準であることが発覚した。日本海側で見るとダントツの数字である。
とはいえ、この3位という数字、即座に「それはいいね」となる人間といえば\カレー!/で騒いでいる界隈だけで、他にはピンとこなかったのも確かだ。
富山県内では、高岡でコロッケの町おこしをしてみたり、B級グルメは様々な自治体がそこはかとなく注目しているキーワードだろう。にもかかわらず「カレーが3位」は、「ふうん」「へぇ」で終わるのだ。
ひとつには、やはり「1位」以外には何の価値も無い事、もうひとつはただのチンピラが、ざっくり調べたらこんなでしたという結果に過ぎないこと。単純な説得力不足はあるだろう。ただの事実なんて、誰も喜ばない。
ただ、背景として、富山の幹線道路8号線沿いで、ロシア人と中古車の取り引きをしているパキスタン人の食事場所としてのカレー屋や、「デリー」「タージマハール」など本格系の展開、最近一部チェーンの展開をきっかけに力が入っている金沢カレーとレギュレーションの近い富山の老舗カレー店の存在があることには即座に目が向かない、知識不足というよりは連想力の不足。加えて既存のソースからアクションを起こすこと、その掘り起こしのスタートに関わることに対する腰の重さを感じたことも確かだ。
見過ごされている日常に埋もれた地域の資産というのは、恐らくそこかしこにある筈だ。新たに何かする必要はなく、過去から現在に続いている何かに価値は確実に存在している。何故なら継続しているから。簡単な話しではないだろうか。
などと言いつつ、祭りを中心に据えて人の心に訴求するというのは、古代からお馴染みの中心を作る手法だ。
中心のないモダンな組織とか言っておきながら結局はそこかよ。という突っ込みはさておき、富山はカレーで盛り上がるべきだ。
何故なら、富山県民はカレーという食の存在に価値を見いだし、愛している。統計的に見て外食をしない富山県において、ちょっと調べた程度で本格カレー店の世帯カバー率が高いということが判明する以上、こんなデータから敢えて目を背ける必要があるだろうか。
気覚いてしまった以上、行動しないまま後悔する方が愚かなことだ。
2011年8月20日土曜日
Facebook系の流言
先日、FacebookのウォールにFacebook関する流言が二つ同時に入って来た。
どちらも興味深い内容で、伝播経路も違うので、元を追いかけてみたりしながら、Facebookのノートで『Facebook系の流言が二つ同時に目に入る日とか、面白過ぎたのでメモ。』とG+の方にもざらっと所見を書き留めたが、追跡が一段落したのでまとめなおす。
流言のひとつは、Facebookがhttpsで接続できる様に、ユーザーに通達無しで仕様変更したという内容のもの。
ざっくりググってたところから手繰って確認できる最初の投稿が8月初旬。そこから、Yahoo知恵袋への質問投稿が8月11日。ブログやノートにこの件で私と同様、「目にするけど気になる」的なまとめを行なっている人が出始めているのを確認できたのが14日以降、私がウォールにこの件で書き込んだのが18日。
この情報自体は2週間以上生きていて、これからも恐らく広まる可能性があり、「Facebookがまたユーザーに通達なしで」という部分の表現が柔らかになった類型も確認できたうえに、誰からの情報か、実名を明かさない形のものも発見できた。
Facebook内での個人のウォールやグループのウォールでのこういった情報の伝播が、以外にも鈍足でそれなりに長寿命だということが伺い知れる。
ちなみに、Facebookにおけるhttps利用の拡大云々は、今年の1月の末頃にアナウンスされているし、これのせいで、アプリの作り方が悩ましくなっている件は春頃から言われていること。
公式のFacebookを「安全に利用するために」のページは4月頃に大幅に更新されている。
この流言の元になる様な設定画面とか、何かのアナウンス、アラートの変更でもあったものか、発端になった何かについても知りたいところではあるが、このコピペは、あまり質の良いものとはいえない。言うなれば、「善意のチェーン情報」とでもいうべき代物だ。
発信源となった人物を確認しているわけではないので、この情報がFacebookに対して悪意を含んでいるかどうかは判断できないが、『またユーザーに通達なしで、システム変更をした』というネガティブな切り出しから、『「https」から始まっていないとハッキングの対象となるそうです。』という流れで、Facebookに通常のWeb接続をしていては、クラックされる可能性があるという風な印象を持たせる流れになっている。
『〜となるそうです』という伝聞調が、システムの変更によりそうなったらしいイメージを強調する上に、この情報の発信源となった人物の他にも第三者的な視点からもそんな指摘があったと、情緒的な部分に訴える説得力を持たせており、斜め読みでの把握が非常に危険な文章といえる。
重ね重ね、発信源の意図は確認していないが、この手の伝聞調で責任を回避しつつの注意喚起というのは、そもそもオーソドックスな流言のスタイルといって差し支えない。
この情報拡散には、士業系やIT系っぽいアカウントが一役買っている場合も見られて、それがまた興味深い。斜め読みでのひっかけを練り込んだ文章や「友情な情報なのでシェア」という合い言葉での判断放棄について考えさせられる。
セキュアな接続云々という点の解説を省くとするなら、この程度の表現に止めるのが妥当ではないだろうか。
Facebookで、ブラウザとサーバ間の通信を暗号化して行なうhttpsの利用範囲が拡大されています。
アカウントの設定項目で基本的にhttpsのみで利用できる様になっているので、これまでhttpで接続していた人も、念のため、httpsで接続する設定に変更して、これを機にパスワードも変更しましょう。
(以下手順)
流言だということはさておき、内容的にはIT系の業者でよほど「仕事はデザインです。デザインしかしていません」という人でもない限り、そのまま拡散するのはいかがなものかという内容の文章だ。鈍感なユーザーのためには『ハッキングの対象になる』という強い脅しがどうしても必要と感じるならば、暗号化しないでサーバとの通信を行なう云々の部分で何か工夫すれば目的は達成するものと思う。
とはいえ、Facebookをhttpsによる接続のみでの利用する場合、ゲームなどのアプリを利用する場合はhttpでの接続に戻される場合がある。
以下のページが表示されて、通常のhttpでのアクセスに切り替わる。
Facebookの解説によれば、自動的にhttpsに戻るとあったが、このページではログインしなおせとなっており、実際に自動的にはhttpsに復帰しないので、注意が必要だ。
もうひとつは、『Facebookが勝手に招待メールを友達に送信する設定を解除する』というもの。
こちらは、Blogが発信源となっている様で、httpsによる接続の件に比べて様々なプラットフォームに拡散しているが、Facebook上で拡散があるとするなら、恐らくこれからだろう。
Facebookが『すでにFacebookを利用している友達を探しましょう』という甘言でメールのアドレスブックのデータをインポートさせ、本当に友達を探してくれたり、Facebookをやっていない人にメールを出してしまったりするのはそれなりに悪名高い事実だと認識していたが、そうでもなかった様だ。
この件は、メールをやり取りしている相手の連絡先をFacebookにインポートする操作をしない限りは、招待メールが行くことは無いという事実をスルーしてることが悪質だ。
やりもしない操作を自動でFacebookがやっているかもしれないという不安を煽り、実際に連絡先をインポートしてしまっているかを再確認する手順は抜きで、Facebookの設定でFacebookをやっていない友人に対して、2週間置きに案内メールが行く設定になっており、それがそもそもおかしいので、この設定を直そう。と、根本とズレた解決策を提示する。
つまり、連絡先のインポートを行なわなかった人に対しても、空騒ぎを誘発する構造になっている。
内容的には以下の流れとなる。
1. Facebookへの招待メールが自動的に送られる。
この部分、何がトリガーになるかは解説無し。
とにかく自動でメールが行くという印象を与える。
2. 招待に応じなかった人に対して、2週間おきにメールするという設定があり、Facebookをやりませんかというスパムを自覚無く送ることになる。
これが解決策として提示される。
なんで招待メールを送るというのがデフォルトになっているのかというツッコミで、Facebookに対してある種の不信感を煽る場合もある
3. 2週間おきにメールを出すという設定の変更は以下の通り。
完全な嘘ではない二つのことがつながっている。
「Facebookが自動でメールを出してあなたの信用を危うくする」
↓
「変な設定があるからこれを修正」
2週間置きに案内メールを出すというデフォルトの設定は突っ込みどころとしてカウントすべきだが、そもそもの問題として、インポートの操作を行なわなければ自動でメールは出ないので、解決策としてはインポート済みのアドレスをFacebookから削除することを紹介すべきだ。
連絡先のインポートは、アカウント登録時に登場する他、アカウント登録後は「友達を編集」→「友達を招待」→「メールの連絡先をインポート」とクリックして、更にその先にも操作が待っている。そんな場所に設置された機能だ。
Facebookのこの機能にある問題点は、「インポートしたらどうなるのか」という事を知るチャンスが、インポートを実行する流れの中で、最後になる操作画面からの小さなリンクが最初で最後だという点。
連絡先のインポートをやってしまう可能性が一番高いアカウント登録時に『既にFacebookを利用している友達を探しましょう』となんとも優秀な誘い文句はあるものの、実際に連絡先をインポートしたらどうなるかという説明が、インポート実行前にきちんとされないことだ。
情報の質という意味では、『https』『メール送信』ともに、無知に対して不安を煽るタイプの典型の様なものなので、細かい事を人に教え疲れたIT系の人間には、気になりながらもスルーしている人も多いものと思う。
この話題は、Facebookの操作というよりはWebの通信や、情報をどうコントロールするかという部分に関わっていくため、きちんと解説しようとした瞬間に、「Facebookの話しなのに、なんだか難しいことを言い始めた。手順を教えるか、もっとシンプルな反応はできないの?」という無惨な反応を得ることも容易に想像できて、面倒なことこの上ない。
Facebookを利用しているユーザーには特に、具体的な「使う」というイメージが希薄なまま、「使いこなせない」という先入観を抱え、ある筈の場所にボタンが出たり出なかったりするIEを使って、Facebookの迷宮と対峙している人も多いものと思うので、これを相手にしたくないのは理解するが、こういう流言をきっかけに、少しでも多くの人にWeb技術の基本的で少し面倒な部分を知ってもらうのも、悪い話しではないように思う。
どちらも興味深い内容で、伝播経路も違うので、元を追いかけてみたりしながら、Facebookのノートで『Facebook系の流言が二つ同時に目に入る日とか、面白過ぎたのでメモ。』とG+の方にもざらっと所見を書き留めたが、追跡が一段落したのでまとめなおす。
流言のひとつは、Facebookがhttpsで接続できる様に、ユーザーに通達無しで仕様変更したという内容のもの。
(実名某からの情報という前置き)この件、Facebook内の情報の伝播や寿命という面でとても面白い。
...Facebookがまたユーザーに通達なしで、システム変更をした模様です。
今ご覧のFacebookページのURLが(画面の一番上です)、
「https」から始まっていないとハッキングの対象となるそうです。
「http」か「www」で始まっている場合はセキュリティの設定を変更して下さい。
(変更の手順と拡散してくださいというしめくくり)
ざっくりググってたところから手繰って確認できる最初の投稿が8月初旬。そこから、Yahoo知恵袋への質問投稿が8月11日。ブログやノートにこの件で私と同様、「目にするけど気になる」的なまとめを行なっている人が出始めているのを確認できたのが14日以降、私がウォールにこの件で書き込んだのが18日。
この情報自体は2週間以上生きていて、これからも恐らく広まる可能性があり、「Facebookがまたユーザーに通達なしで」という部分の表現が柔らかになった類型も確認できたうえに、誰からの情報か、実名を明かさない形のものも発見できた。
Facebook内での個人のウォールやグループのウォールでのこういった情報の伝播が、以外にも鈍足でそれなりに長寿命だということが伺い知れる。
ちなみに、Facebookにおけるhttps利用の拡大云々は、今年の1月の末頃にアナウンスされているし、これのせいで、アプリの作り方が悩ましくなっている件は春頃から言われていること。
公式のFacebookを「安全に利用するために」のページは4月頃に大幅に更新されている。
この流言の元になる様な設定画面とか、何かのアナウンス、アラートの変更でもあったものか、発端になった何かについても知りたいところではあるが、このコピペは、あまり質の良いものとはいえない。言うなれば、「善意のチェーン情報」とでもいうべき代物だ。
発信源となった人物を確認しているわけではないので、この情報がFacebookに対して悪意を含んでいるかどうかは判断できないが、『またユーザーに通達なしで、システム変更をした』というネガティブな切り出しから、『「https」から始まっていないとハッキングの対象となるそうです。』という流れで、Facebookに通常のWeb接続をしていては、クラックされる可能性があるという風な印象を持たせる流れになっている。
『〜となるそうです』という伝聞調が、システムの変更によりそうなったらしいイメージを強調する上に、この情報の発信源となった人物の他にも第三者的な視点からもそんな指摘があったと、情緒的な部分に訴える説得力を持たせており、斜め読みでの把握が非常に危険な文章といえる。
重ね重ね、発信源の意図は確認していないが、この手の伝聞調で責任を回避しつつの注意喚起というのは、そもそもオーソドックスな流言のスタイルといって差し支えない。
この情報拡散には、士業系やIT系っぽいアカウントが一役買っている場合も見られて、それがまた興味深い。斜め読みでのひっかけを練り込んだ文章や「友情な情報なのでシェア」という合い言葉での判断放棄について考えさせられる。
セキュアな接続云々という点の解説を省くとするなら、この程度の表現に止めるのが妥当ではないだろうか。
Facebookで、ブラウザとサーバ間の通信を暗号化して行なうhttpsの利用範囲が拡大されています。
アカウントの設定項目で基本的にhttpsのみで利用できる様になっているので、これまでhttpで接続していた人も、念のため、httpsで接続する設定に変更して、これを機にパスワードも変更しましょう。
(以下手順)
流言だということはさておき、内容的にはIT系の業者でよほど「仕事はデザインです。デザインしかしていません」という人でもない限り、そのまま拡散するのはいかがなものかという内容の文章だ。鈍感なユーザーのためには『ハッキングの対象になる』という強い脅しがどうしても必要と感じるならば、暗号化しないでサーバとの通信を行なう云々の部分で何か工夫すれば目的は達成するものと思う。
とはいえ、Facebookをhttpsによる接続のみでの利用する場合、ゲームなどのアプリを利用する場合はhttpでの接続に戻される場合がある。
以下のページが表示されて、通常のhttpでのアクセスに切り替わる。
Facebookの解説によれば、自動的にhttpsに戻るとあったが、このページではログインしなおせとなっており、実際に自動的にはhttpsに復帰しないので、注意が必要だ。
もうひとつは、『Facebookが勝手に招待メールを友達に送信する設定を解除する』というもの。
こちらは、Blogが発信源となっている様で、httpsによる接続の件に比べて様々なプラットフォームに拡散しているが、Facebook上で拡散があるとするなら、恐らくこれからだろう。
Facebookが『すでにFacebookを利用している友達を探しましょう』という甘言でメールのアドレスブックのデータをインポートさせ、本当に友達を探してくれたり、Facebookをやっていない人にメールを出してしまったりするのはそれなりに悪名高い事実だと認識していたが、そうでもなかった様だ。
![]() |
アカウント登録時に出る画面 |
![]() |
アカウント登録後は「友達を招待」になる |
この件は、メールをやり取りしている相手の連絡先をFacebookにインポートする操作をしない限りは、招待メールが行くことは無いという事実をスルーしてることが悪質だ。
やりもしない操作を自動でFacebookがやっているかもしれないという不安を煽り、実際に連絡先をインポートしてしまっているかを再確認する手順は抜きで、Facebookの設定でFacebookをやっていない友人に対して、2週間置きに案内メールが行く設定になっており、それがそもそもおかしいので、この設定を直そう。と、根本とズレた解決策を提示する。
つまり、連絡先のインポートを行なわなかった人に対しても、空騒ぎを誘発する構造になっている。
内容的には以下の流れとなる。
1. Facebookへの招待メールが自動的に送られる。
この部分、何がトリガーになるかは解説無し。
とにかく自動でメールが行くという印象を与える。
2. 招待に応じなかった人に対して、2週間おきにメールするという設定があり、Facebookをやりませんかというスパムを自覚無く送ることになる。
これが解決策として提示される。
なんで招待メールを送るというのがデフォルトになっているのかというツッコミで、Facebookに対してある種の不信感を煽る場合もある
3. 2週間おきにメールを出すという設定の変更は以下の通り。
完全な嘘ではない二つのことがつながっている。
「Facebookが自動でメールを出してあなたの信用を危うくする」
↓
「変な設定があるからこれを修正」
2週間置きに案内メールを出すというデフォルトの設定は突っ込みどころとしてカウントすべきだが、そもそもの問題として、インポートの操作を行なわなければ自動でメールは出ないので、解決策としてはインポート済みのアドレスをFacebookから削除することを紹介すべきだ。
連絡先のインポートは、アカウント登録時に登場する他、アカウント登録後は「友達を編集」→「友達を招待」→「メールの連絡先をインポート」とクリックして、更にその先にも操作が待っている。そんな場所に設置された機能だ。
Facebookのこの機能にある問題点は、「インポートしたらどうなるのか」という事を知るチャンスが、インポートを実行する流れの中で、最後になる操作画面からの小さなリンクが最初で最後だという点。
連絡先のインポートをやってしまう可能性が一番高いアカウント登録時に『既にFacebookを利用している友達を探しましょう』となんとも優秀な誘い文句はあるものの、実際に連絡先をインポートしたらどうなるかという説明が、インポート実行前にきちんとされないことだ。
情報の質という意味では、『https』『メール送信』ともに、無知に対して不安を煽るタイプの典型の様なものなので、細かい事を人に教え疲れたIT系の人間には、気になりながらもスルーしている人も多いものと思う。
この話題は、Facebookの操作というよりはWebの通信や、情報をどうコントロールするかという部分に関わっていくため、きちんと解説しようとした瞬間に、「Facebookの話しなのに、なんだか難しいことを言い始めた。手順を教えるか、もっとシンプルな反応はできないの?」という無惨な反応を得ることも容易に想像できて、面倒なことこの上ない。
Facebookを利用しているユーザーには特に、具体的な「使う」というイメージが希薄なまま、「使いこなせない」という先入観を抱え、ある筈の場所にボタンが出たり出なかったりするIEを使って、Facebookの迷宮と対峙している人も多いものと思うので、これを相手にしたくないのは理解するが、こういう流言をきっかけに、少しでも多くの人にWeb技術の基本的で少し面倒な部分を知ってもらうのも、悪い話しではないように思う。
2011年8月1日月曜日
Web上に何かを出力するスタンス。
Twitter、Facebookが日本国内でなんとなく定着して、それぞれの使い方が模索されている中で、ブログやmixiを辞めたという話しも普通に耳にする様になって久しい。
日本人は、Blog登場以前からWeb日記を公開して互いの日常を報告しあうという習慣も持っていたわけだが、それを当時話題になったSNSにしっかりと組み込んだのがmixiだったと考えている。
Web日記と、それを書きたい、読みたいという日本人のメンタリティが大きく変化しない限りは、mixi自体がどうなるかはともかく、mixi的な場は無くならないだろうし、それぞれのプラットフォームの持つ時間性や、場の特製を考えると、Google+の今後の最適化を以てしてもBlogとWeb日記が消えることはないだろう。
Twitterが流行した時に放棄されたブログやWeb日記は、実際のところ筆者にとっては、時間性のそぐわない出力先だったのかもしれないと推測している。
これは、何を書いていたかというよりは、どんな姿勢が筆者にとって自然で、最適だったかということに直結していたということだ。
日々の細かなネタの報告であれば、実際、Twitterの軽さと速さ、フォロー関係の適度な距離、それが練れてきた際の類は友を呼ぶが故の居心地の良さは、十分な満足感を与えてくれる。写真との連携も容易で誰かからのコメントも軽く得られる、素晴らしいプラットフォームだ。
同じ理由で、mixiで充足しているユーザーは、現時点でもmixiから別のサービスに移動する必要を感じていないものと思う。
何故、そこに出力するのかということを考えた場合、その全てを承認欲求と片付けてしまっては少し寂しいものもあるだろうが、自分が見た事、聞いたこと、自分の考えを誰かに伝えたいと思うこと自体が、全ての出力の原動力だと思われる。
いろいろな意見はあるだろうし、数字としてアクティブユーザーの動き云々というデータもあるかもしれないが、人と人の自然なネットワークというのは、結局は類が呼ぶ友であり、同じ匂いの仲間というものにどうやったら会えるのかということに尽きていく。
IT系の仕事をしている以上、ここに商用、ビジネスでの利用という要素を加えて考察しなければ、誰からも評価されない日記になっていしまうのでもうひと頑張りするが、果たして人は、自らの特性をしっかりと見極めて出力しているのだろうか。また、それをきちんと指南してくれる業者や参考書と出会えているのだろうか。
Twitterで人に絡まれることは、可能性として考えられる。基本的に、顔見知りから数hop程度にしか伝播しない筈のFacebookのコメント欄ですら意見の相違を目の当たりにすることがある。
何かの行動と良しとみるか、不適切と見るかは、そのまま、プロフェッショナルとしての姿勢の問われ方、ターゲットとしている客層へのアプローチに直結している。この点について、良い仕事をすると見せるために、どこまで口を閉ざしていられるかのバランスが、とても重要な要素だということを教えてくれる本や、そこまで突っ込んだ勉強会の類いは少ない様に思う。
となれば、結局はどこの企業で躾けられたか、起業前の経歴はどうかというスタートラインから日本の会社はなかなか抜け出せないのではないだろうか。
口を開けば、誰の仲間かわかる。その事実にあまり目が向けられないまま、これまで以上の人が、自分の時間性にあわせて公に近い場所で出力し続ける時代になっている。自分の作品を書くという初期衝動の実現からドロップアウトした身としては、いろんな場所にいろんな形式の出力先があって、非常に複雑な気分だが、楽しくもある。
日本人は、Blog登場以前からWeb日記を公開して互いの日常を報告しあうという習慣も持っていたわけだが、それを当時話題になったSNSにしっかりと組み込んだのがmixiだったと考えている。
Web日記と、それを書きたい、読みたいという日本人のメンタリティが大きく変化しない限りは、mixi自体がどうなるかはともかく、mixi的な場は無くならないだろうし、それぞれのプラットフォームの持つ時間性や、場の特製を考えると、Google+の今後の最適化を以てしてもBlogとWeb日記が消えることはないだろう。
Twitterが流行した時に放棄されたブログやWeb日記は、実際のところ筆者にとっては、時間性のそぐわない出力先だったのかもしれないと推測している。
これは、何を書いていたかというよりは、どんな姿勢が筆者にとって自然で、最適だったかということに直結していたということだ。
日々の細かなネタの報告であれば、実際、Twitterの軽さと速さ、フォロー関係の適度な距離、それが練れてきた際の類は友を呼ぶが故の居心地の良さは、十分な満足感を与えてくれる。写真との連携も容易で誰かからのコメントも軽く得られる、素晴らしいプラットフォームだ。
同じ理由で、mixiで充足しているユーザーは、現時点でもmixiから別のサービスに移動する必要を感じていないものと思う。
何故、そこに出力するのかということを考えた場合、その全てを承認欲求と片付けてしまっては少し寂しいものもあるだろうが、自分が見た事、聞いたこと、自分の考えを誰かに伝えたいと思うこと自体が、全ての出力の原動力だと思われる。
いろいろな意見はあるだろうし、数字としてアクティブユーザーの動き云々というデータもあるかもしれないが、人と人の自然なネットワークというのは、結局は類が呼ぶ友であり、同じ匂いの仲間というものにどうやったら会えるのかということに尽きていく。
IT系の仕事をしている以上、ここに商用、ビジネスでの利用という要素を加えて考察しなければ、誰からも評価されない日記になっていしまうのでもうひと頑張りするが、果たして人は、自らの特性をしっかりと見極めて出力しているのだろうか。また、それをきちんと指南してくれる業者や参考書と出会えているのだろうか。
Twitterで人に絡まれることは、可能性として考えられる。基本的に、顔見知りから数hop程度にしか伝播しない筈のFacebookのコメント欄ですら意見の相違を目の当たりにすることがある。
何かの行動と良しとみるか、不適切と見るかは、そのまま、プロフェッショナルとしての姿勢の問われ方、ターゲットとしている客層へのアプローチに直結している。この点について、良い仕事をすると見せるために、どこまで口を閉ざしていられるかのバランスが、とても重要な要素だということを教えてくれる本や、そこまで突っ込んだ勉強会の類いは少ない様に思う。
となれば、結局はどこの企業で躾けられたか、起業前の経歴はどうかというスタートラインから日本の会社はなかなか抜け出せないのではないだろうか。
口を開けば、誰の仲間かわかる。その事実にあまり目が向けられないまま、これまで以上の人が、自分の時間性にあわせて公に近い場所で出力し続ける時代になっている。自分の作品を書くという初期衝動の実現からドロップアウトした身としては、いろんな場所にいろんな形式の出力先があって、非常に複雑な気分だが、楽しくもある。
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