2011年9月3日土曜日

富山カレーフェスタ2011

(カレーフェスタの組織の性質上、以下の内容は仲個人の視点からの記述で、委員会の公式見解ではないので、その辺はなにとぞ差し引いて読んでください。)


富山カレーフェスタ2011が11月19日/20日の両日、富山市のグランドプラザで開催される。

カレーフェスタ実行委員会のブログ
カレーフェスタのFacebookページ

このカレーフェスタの実行委員会は、もともとTwitterで集まった人間が、Facebookでグループを作り、情報を共有しながらミーティングを重ねて準備に励んでいるという、ちょっと今風の集まりだ。全員のつながりを見ても、Twitterをやる以前から面識のあった人間が委員会の中に3人以上居るというメンバーは稀だろう。
現時点でも正式な委員長は不在。先日新聞の取材を受けた時も、「委員長は?」という質問に「まだ居ないですね。そんな意味ではモダンな組織です」などと答えてしまい、記者さんに苛立たれてしまったのではないかと危惧している。
後日、記者の方に喋った内容と記事を照らし合わせてみるに、内部の人間相手に根掘り葉掘り裏を取ったのは、単に「中心が無い=モダン」という表現にいらっときたから、まともにハナシ聞くのをやめて、記事書くための確認フラグを淡々と立て続けたのではないかと、まさにそんな感じだった。本当に苛つかせていたとしたら、非常に申し訳ない。

単にネットからリアルに流れても、そのまま集合知や個々の力の活用に活路を見出しているだけのリゾーム的な組織というだけだが、世間はまだまだそれに耐えられず、中央集権的な形を好むというのは十分に理解している筈なのに、ありのままを喋るというのは、そんな意味では失敗だし、事前の準備としてそんな形式を整えておくというデリカシーも大切だ。

カレーちゃんサリー着用版
申し訳ないついでにタネを明かせば、イメージキャラクターの「カレーちゃん」など、こういうステキなイラストを提供してくれている、ねぎタンさんに至っては、委員会の人間、誰も会った事が無い。しかし、彼のクオリティや「使ってくれればいいっす!」という一貫した姿勢に、全ての委員が驚嘆し信頼を寄せている。 →ねぎタンさんのpixivの入り口
こういう組織で、アウトプットや行動そのもので個々人がつながることについて何かが不安なら、何が不安なのか教えて欲しい。
個人的にはこんな形には幾度か経験があるし、不安に耳を傾けたこともあるが。これまでのところ、金とか自分の責任に帰結するポジショントークめいた言葉に分解できる意見以外に耳にしたことがない。組織というのは、傍から見ればなんであれ怪しいし、視点が違えば腑に落とすプロセスも違う。

さて、富山のTwitterユーザーの一部でカレーが意識され始めたのは、日曜の昼間からカレーを食うために集まろうぜというTwitterのオフ会が発端だった。そこに12人集が集まり、それ以来、誰かがカレーを食べたとかつぶやこうものなら、\カレー!/\カレー!/とリツイートが帰って来て、タイムラインが\カレー!/で満たされるという現象が始まった。
2010年の8月から9月頃にかけて、「カレー」という言葉が富山でつぶやかれた回数は、全国の水準を軽く越えており、現在も高水準を保っている。
その頃に、食べログに登録されているインド料理の店の数と国勢調査の世帯数を付合わせると、富山県のカレー屋の世帯カバー率が全国3位の高水準であることが発覚した。日本海側で見るとダントツの数字である。

とはいえ、この3位という数字、即座に「それはいいね」となる人間といえば\カレー!/で騒いでいる界隈だけで、他にはピンとこなかったのも確かだ。
富山県内では、高岡でコロッケの町おこしをしてみたり、B級グルメは様々な自治体がそこはかとなく注目しているキーワードだろう。にもかかわらず「カレーが3位」は、「ふうん」「へぇ」で終わるのだ。
ひとつには、やはり「1位」以外には何の価値も無い事、もうひとつはただのチンピラが、ざっくり調べたらこんなでしたという結果に過ぎないこと。単純な説得力不足はあるだろう。ただの事実なんて、誰も喜ばない。
ただ、背景として、富山の幹線道路8号線沿いで、ロシア人と中古車の取り引きをしているパキスタン人の食事場所としてのカレー屋や、「デリー」「タージマハール」など本格系の展開、最近一部チェーンの展開をきっかけに力が入っている金沢カレーとレギュレーションの近い富山の老舗カレー店の存在があることには即座に目が向かない、知識不足というよりは連想力の不足。加えて既存のソースからアクションを起こすこと、その掘り起こしのスタートに関わることに対する腰の重さを感じたことも確かだ。
見過ごされている日常に埋もれた地域の資産というのは、恐らくそこかしこにある筈だ。新たに何かする必要はなく、過去から現在に続いている何かに価値は確実に存在している。何故なら継続しているから。簡単な話しではないだろうか。

などと言いつつ、祭りを中心に据えて人の心に訴求するというのは、古代からお馴染みの中心を作る手法だ。
中心のないモダンな組織とか言っておきながら結局はそこかよ。という突っ込みはさておき、富山はカレーで盛り上がるべきだ。
何故なら、富山県民はカレーという食の存在に価値を見いだし、愛している。統計的に見て外食をしない富山県において、ちょっと調べた程度で本格カレー店の世帯カバー率が高いということが判明する以上、こんなデータから敢えて目を背ける必要があるだろうか。
気覚いてしまった以上、行動しないまま後悔する方が愚かなことだ。