2011年8月24日水曜日

夏の読書感想文『切りとれ、その祈る手を』

(書いている途中で気覚きました。これ、なんとなく感じていたお題のニュアンスから、かなりズレてる気がしますが、引き続き「野戦と永遠」読むのでご容赦。)

Twitterでお世話になって、最近はGoogle+遊んでもらっている小津坊乙さんからのムチャ振りで、夏休みの課題図書よろしく佐々木中の『切りとれ、その祈る手を』という本をポチって読んだわけですが、普通は他の本もパラパラやりながらなんですけど、これはほぼ一気読みでした。思えば私、生まれて初めて株式会社の社員になってからこの10年、全くこういった思想系みたいなところをキャッチする情報のアンテナなんざ降ろしておりまして、佐々木中のことも知りませんでした。
読書にはとにかく刺激を求める方ですが、刺激的な読書というやつともとんとご無沙汰でした。
記憶に残る一気読みといえば、3年ほど前の『コレラの時代の愛』の後半150ページと、一昨年末から年が明けるまで、小説といえばスティーブン・ミルハウザーばっかりチマチマ読んでいたと、この程度です。あと他に、ここ5年以内に初めて名前を知った小説家で心に残ってるといえば、貰い物の時代小説で北原亞以子ですか。NHKでドラマもやってた『慶次郎縁側日記』は、多分あらかた読みました。
全く久々の思想書というか、いや、『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』が文庫本で読める時代ですよ。貧乏だった頃にうへぇとなって、図書館で眺めた本も色々文庫で出ているんですが、だからってあなた、こちとら仕事も忙しいし、やっぱり難しいもんは難しいわけで、気合い入れて一気読みとかできるわけないわけです。パラパラと拾い読みです。はい。

で、そんな風に一気読みした『切りとれ、その祈る手を』なんですが、これがしかしまぁ、全くいけすかないアジ満載のパンフレットなわけです。
アマゾンでポチってから本が手に入るまでのタイムラグで、佐々木中の顔とTwitterアカウントだけは把握していたんですが、なんだか今風な容貌をした愛されキャラの新鋭思想家が、編集者を前に語った五日分の夜話という体裁。
本になるまでの当然の作業として、喋ったことを改めて構成しなおしているんでしょうけれど、喋ったんじゃないの?喋りとして成立していない風な言葉運びにわざわざ直してどうするんだよ、語りの言葉として書き直している以上、こんなモノローグがあるかこの野郎!って箇所がポロポロと見られて、これなら喋ったことを書き起こしてもらった後に、きちんと普通の文章として書き切りなさいよ。というのが一番素直な感想です。
ただ、それがまるで駄目かというと、なんともいえない小気味良さでして、とにかく毎夜尻上がりに景気良くアジる。最終の五夜目ともなるともう、笑えるくらい痛快です。とにかく『真面目に読め!』『真面目に読んだからには、必ずややむを得なくなるから書け!真面目に書け!』『世界は終わらないし文学も終わらないんだよバカ!終末とか言ってキャッキャしてるとかバカだろ!バカ!おまんま代は別のところで稼げバカ!』とか、概ねそんなことが書いてある本です。
まともに書いたら喧嘩になりますよ。きっと。佐々木中の言ってる「文学が終わったとか言ってるくせに文書いておまんま食べてる連中」呼ばわりされてる人達は、真面目にやってる人ほど、カチンとくる筈です。
こちとら、これっぽっちも賢くないアート系崩れなんで、全くカチンとも来ないんですが、結局なんでしょう。これ、昔かぶれまくったオジサンにとっては、なんだか普通のアジ本ですわ。

読みながらいろいろ小難しいことも考えたんですが、詰まるところ、これ、田舎の高校生には素晴らしく良い本ですよ。俺も田舎の高校生だったんで、本当にそう思います。
思えば私、高校生ぐらいで文学にかぶれまして、その頃は別冊宝島で現代思想入門みたいなのも出ていて、平積みになってた様な時代ですよ。朝日出版社の復刻版の『リゾーム』が多分高校2年生の夏ぐらいです。学校の勉強できないアホな高校生だったわけですけど、なんか変な装丁の長細い本から、どうにもわけのわからない刺激だけを感じて、なんだよこれ!わかんねぇよ!フロイト読めばいいのかよ!どうしたらいいんだよ!フーコー?フーコーってのを読めばいいのか!?とか、そんな風に激しく迷走した挙げ句、ボルヘスにはまって、マルケスにやられて、気覚いたら演劇とかやってたという有様。
そんなこんなで、30歳になるまでベケットになるべく戯曲書いてたもんですから、ポストモダン以降だろうがなんだろうが、きっと悲劇はまだまだ世の中に存在できる。とか、普通に信じて淡々と迷走していたもんで、『切りとれ…』第三夜の終わりに終末論を否定するべくベケットが引き合いに出て来て、ホラ見たか。終わらねぇのよ。で、ハナシは続くぜ。ときた日には、ついつり込まれて「だよね。終わるわけないない」と、なんだかちょっと嬉しくなってしまいました。

申し訳ないくらい個人的な読書経験のおかげで『切りとれ…』の第一夜が、「俺ハカセ!俺は読みまくってるぜ!お前らもだろ?」って感じで読めてしまったもので、客席を温めるつもりの威嚇射撃なら、これで十分という手応え。この手の点呼に対しては「先生。一応、予習してありまーす」と小声で応えられるし、こちとら全く勝負の場所でもないんで、気分的には適当な目立たない席で鼻くそほじりながらです。そこにもってきて、読んだ事ある様な人が沢山出て来た挙げ句、文学とはという定義を散々喋ってから、膨らむからと寸止めして、ヴァージニア・ウルフですよ。先生、過激そうに見えて、やっぱり気を使ってるんですわ。初日の威嚇射撃ってのは、そうあってほしいものです。
後もうずっとそんな感じなんですが、こういうのも「うひょー!アカデミックだぜ!」って経験を通って、まだまだ現役で思想書を追いかける人とか、勉強している人には、「おめぇ何を今更その程度のもんをひけらかしてんだよ!」と、ストレートにうざがられるかもしれない。
でもこれ、煽動用のパンフなんで、真面目に読む本じゃない。喧嘩になりそうな表現をわざわざ柔らかくして、いちいちこれだけのお歴々を並べ立てるなんて、なんだか大げさだなぁと、全夜を通じて一種の娯楽の開始宣言として受け止める人もそれなりに居たのではないかと、そう信じたいものです。

あと、これまた本が届くタイムラグの間に見かけたんですが、情報云々でブツクサ言ってる人が居ました。情報なんて今も昔も受けなかったらそれで仕舞いですよ。インターネットだって、基本的に自分でそれがありそうな場所に近寄らなきゃ、要らない情報は入らないでしょ。自動的に脳に入ってくる電波じゃあるまいし、情報化の波とか、ひょっとしてパソコン立ち上げたら自動的にブラウザが立ち上がって、世界の情報を網羅したニュースサイトのトップページでも表示するのかと、そういったレベルの批判しか見受けなかったので、この点もスルーです。

ところで、革命ですってよ。革命。世界は終わらない。安心して読んで書いて革命せよ。って景気いいじゃないすか。
正直、世界を革命できなくてもいいんですよ。そんなことは、そういうところで勝負しておまんま食いたい奴に任せておけばいいんです。ただし、君はどうなんだい?って問いに対して、どこまでうざく即答できるかって、やっぱり大切なことです。
ビジネス書とか沢山あるじゃないですか。おんなじことに対するハウツー本が何冊もあって、それを何冊も読んで目からウロコ落としてる人が居るんですよ。刺激を受けるとか本当か?とか思うわけです。
正直なところ、物語に対しての不感症はただの教養の欠如で、感性とか素養の問題じゃないと私信じています。だから、ラノベから出ない奴も、恋愛映画が見られない奴も、基本的にはただ知的な好奇心に欠けている様にしか見えない。
本を読まないし、それと仕事が切り分けられている実務家のハナシは非常に具体的で明快です。つまらなくても。時間の分の深みはある。でも、絶えずビジネス書を必要としている割に複雑な物語を読むところまで到達していない奴らのハナシは、大雑把にはそうかもしれないけれど、そこってあまりにも普通に言われ過ぎているわけだし、そこからスタートするの?的なことを、さも重要そうに手繰り合わさせられたり、ただの逆張りだったり、無自覚に一人称が複数形だったり、『切りとれ…』でいうところの終末論めいた下品な切迫感に操られていたり、みつをだったりして、どうにもなりません。何のことかわからないかもしれませんが、教養のある大人の口走ることじゃないうえに、現実の時間の分の深みも無いわけです。

『切りとれ…』にはアジなりに良い事がポツポツ書いてありました、その中の一つに、ようやくこの本のおかげで自分でも言語化できた問いがありました。

読んだらからには準拠できるか?準拠できてるかどうか怖くなるくらい読んだか?準拠してるか?マジで準拠してんのか?

何百冊のハウツー本を読んでいると自己紹介する人に、「で、何に準拠しているの?」と聞いて即答できるか、本当に聞いてみたい。ただ消費する行為で何処かに流れ着くことはあっても、明確に自分を変える力なんて無いでしょ。
これだって、所詮は自分の中にもともとあったものが明確になっただけですよ。そう思えば、余計に自分が何に準拠しているのか、さらにどう変わるのかってのは、非常に重要なことですが、ここまでわかりやすいと、この本だって、哲学でもなんでもないハウツーです。昔の偉い人を並べて、どうだ!読め!書け!革命だ!とか、脅迫しているわけです。

なにはともあれ、読め。で、書けよ。おまえらも。どんな状態がやばいかはこの本に書いてあるし、この後も佐々木先生が優しく教えてくれてるかもしれないから、とりあえずいいんじゃね?と、そんな次第。

大人は手遅れかもしれないので、20歳ぐらいまでの若者にオススメです。こんなに優しい先生の本はオジサンが高校生の時には無かった、善し悪しはともかく、オジサンは若い衆が羨ましいです。

沢山人が出て来てよくわからない?そのわからない不安が消える程度に、出て来た奴の本を読んでから、再スタートすればいいんだよ。

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