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2016年1月28日木曜日

TEDxHimi2016を終えて

情熱的で勇気の出るやつは、恐らくそのうちファウンダーが書くと思うので、忘れないうちに、とりあえず会場の裏方的な備忘録。
各地のTEDxから応援に駆けつけてくれた皆さんに感謝を。ありがとうございました。
特に、仕事をふらない前提だったのに、いきなり映像のオペ席に座らせてしまったTEDxKyotoの金谷さんには、タスクやら人員の最終的な管理を見ていた身として、穴があったら入りたい感満載でおります。ありがとうございました。

氷見でやる意義?

TEDxHimiは、日本海側初というだけでなく、日本の5万人規模の都市で行われた最初のTEDxらしく、準備開始当初から、こんな質問を受け続けました。
「なぜ氷見?」「氷見でやる意義は?」
お決まりだとは思います。
この質問に対しては、本当に嘘くさいところまで、どこまでも遡って最もらしいことは答えられるんですが、おそらく、この質問をする人が満足する答えが、私自身の口から出ることはありません。
氷見でやる理由もなにも、場を作り、そこに集い「Ideas worth spreading」をやれと定義されて、TEDからTEDxHimiのライセンスを受けているファウンダーが「Ideas worth spreading」やるから力貸してよと声を出しているから、それに力を貸してTEDxHimiを実行するだけのことで、それ以上の本質はありえないと考えています。
トークイベントは「Ideas worth spreading」のひとつの手段。紙を綺麗に切るのはハサミがいいのかカッターがいいのか、道具を選ぶ理由を聞かれても、適材適所でとか、手元にあるもんで切りなはれとか、カッター派ですとか、ハサミ派ですが握り鋏はちょっと……。とか、そうならざるを得ないのと同じです。
こういった戸惑いはあったものの、富山県内、氷見市内からの支援には非常に熱いものがありました。今後、いかに地元に受け入れられていくか、氷見市界隈はTEDxを開催している場所だということを、地元の皆さんに自慢してもらえるようになることも、ひとつの指標であると見ています。

初回を終えて

初回を終えて、全体のスケジュールが最低でも二週間、できれば一月半前倒しにできていれば、今見えている範囲でのクオリティの向上は実現できるのではないかと考えています。
今の時点で、やり足りないとか、もっとうまくやりたいと考えた関係者に対してはもう、このエントリーが「ありがとう。お疲れ様。次回はもっと前倒しでいこうぜ」と、これが最初の発声です。
ファウンダーも既に、次回のテーマのアイディアを思いついたらしく、そんな内容のコメントをFacebookで目撃しています。そんなわけで、よろしくね。

『トークイベントの会場の熱や圧力をどのように高めていくのか』スピーカーに対して集中せざるを得ない環境の作り方と演出の問題。
今回も、空間そのもの、開始から終了まで一貫した意図がありました。今後もそれは変わりません。
会場の制約、予算との兼ね合いはあるものの、こちらはその都度、様々なアイディアを投入できそうです。
カメラで撮影した場合にどう見えるかという問題もあります。
切り取られた絵についても、しっかりと見ていきたいと考えています。
次回からは、段取り合わせを最低でも二回以上は確保したいものです。

『参加者の会場での快適さや居心地の良さはどのように確保するか』機能的にはかなりしっかりこなせていたロビー周辺ですが、参加者に快適に楽しんでもらう、少し避難する場所としては、今回は少し手薄だったかもしれないと見ています。
会場の制約もありますが、これも今後の課題。

『ゴミの減量。そもそもゴミを出さない方法は無いのか』
参加者に提供するものの工夫も含めて、いろいろと困難は見えますが見えるものは隠れているものよりも解決は楽な筈。
全体が200人程度のトークイベントなら、完全にコントロール可能なのではないかと見ています。

私自身は、この三点についてのアプローチを中心に、今後もTEDxHimiのクオリティを向上させる努力を継続していきたいと考えています。
とにかく、私自身はそうでもないですが、スタッフの多くが半分は優しさでできていることで、悪く出た目もあるように感じています。なので、スケジュール前倒ししようぜ。
もう一点、とりあえず条件はどうあれ、なんとかするしかないという風に考えなければ、何も前に進まないということが、多くの場面で見られました。フォーマットもレシピもないなら作るしかないわけで、この模索の方法を共有することの難しさを改めて感じました。今回のTEDxHimiは、裏方としては、0から1を作る作業でもあったわけです。
当然、各地のTEDxのフォーマットをありがたく参考にし、利用させていただいたことは言うまでもありませんが、それを氷見で具体化するにはどうしたらいいのかという点での模索も多くありました。これはもう、一回やったので、ある意味クリアです。

なにはともあれ、スタートラインにはどうにか立てたわけで、早々に、次回の準備に入りたいと思います。

2015年6月25日木曜日

ホトビジネスのインパクト

TEDxHimiのチームが少しづつ動き出している。
実際には、これから価値を作っていかなければならいノーマークの田舎TEDxで、そもそも来年1月の本番のクオリティが低かったらなんにもならない。
とはいえ、TEDxの看板があればそれでオッケーなので、とりあえずつながっておくということも、不可能ではない。
実行していく以上は、加速して練度も向上させていきたいわけで、斜に構えていては価値の向上に失敗すると考えている。
それでなくても、せめてTEDの動画のなんの価値を誰かに広めようとしたことがあるかという問いにまで口ごもられるわけだから、とりあえず、何か最初のハードルを自分で決めさせてあげるから、それを飛び越えてこっち側に来たまえとしか言いようがない。
成功は分かち合いたいが、当然、失敗の可能性もある。TEDを半端にしか知らない皆さんにはTEDxに関わったんですよと言えば多少の箔は付くのかもしれないが、この遊びの本当に面白い部分は、そんなところにはない。
まてよ?箔さえ付けばいいって連中は、別に面白くなくてもいいのか。これはしまった。
スタッフは絶賛募集中です。価値を広めるとは、どういう行為を言うのか、そもそも価値ってなんだとか、なにをどう広めるのかについて、いろいろやってみませんか?

SMLM

午前中、知人からタレコミ。富山にも「ジェムリンガ」に蝕まれたコロニーがあった。
どれどれと、教わったURLを見に行くと、これがまたとてつもない深さの業を感じさせる。途轍もないと漢字で書き直したい。
しかも、ソーシャルネットワーク界隈で容易に観測されるマルチ文脈との親和性も高く、その香ばしさは、久々に定点観測でもしなければならないのかと五分ほど悩んでしまうレベル。
スピリチュアル、身体、性、女性性。自ら進んで告白していける様に仕向けていく構造。
あまりに熱いので、勢い余ってTumblrに以下のエントリーを上げる。

nakazomblr
http://nakazo.tumblr.com/post/122308226243
考察の行方 
霊感商法だったら商売としてコピーするの難しいけど、ゆるふわスピリチュアルはどこかで占いっぽい妥当さとか、身体感覚みたいなところとかに持っていくことがあって、技術としてコピー可能だったり、商材として扱えるって寸止め感覚のまま、心に入り込んで思い込みに作用するから、そんな意味ではたち悪いな。
自分が体験している状態を、間違って教えられている可能性については、なかなか他人に違うよと言われても、認めるの難しそうだ。
高額の自己啓発に突っ込む奴が、この金で覚悟を買って自分を追い込んで上に行く!のと似たような論法に、更に神秘が交じるわけで、あなたが反発するのも、魂が凝り固まっているせい。とか言われると、その時点で終了だ。
ここにMLMが絡むと、そもそもが信用のストックを消費しながら展開していく宿命上、喉から手が出るほど欲している、クライアントの個人的な納得と忠誠心を入手できるわけで、強い。強いな。なんて強いんだ。
そんなわけで募集します。締め切りは明日の17時。
前金応談と儲け折半で、新時代のSMLM(スピリチュアル・マルチ・レベル・マーケティング)のスタートの理論を教えます。君の覚悟が本物なら、運命は自ずと開ける。
すげぇ将来性のある、社会のためになりそうなビジネスだから、志を応援する意味で大サービス。
だいたい80ページぐらいのパワポ、普通ならこれ、40万相当だよ。って感じの資料を作っとく。無料でつけちゃう。
まずはコメント欄、メンションで挙手。直メッセージは無視すっからね。
覚悟を示せ!
やってらんないっすね。

血パンダの稽古

夜は血パンダの稽古。車が壊れた栗山を拾って呉羽芸創へ。
まもなく本番。役者の仕上がり方はいい感じだが、まだ台本が本当の完成にまではいっていない。
題名は一応、『オスティナート』『執拗音型』『執拗反復』といった辺りから、そのままか、何かこういうことを連想させる題名でいくことにする。というか、明日にはフライヤーを印刷屋さんに突っ込もうと思うので、早々に何か決めねばならない。

2015年6月6日土曜日

TEDのトーク、どれ好き?という話しになって思い出した。

ジェイミー・オリバーの料理番組は、無目的にテレビのチャンネル変えていて放映しているとつい見てしまう。初めてテレビで見て15年近く経つけれど、真似してみようと思ったことがほぼ無いのに見てしまうというのがたまらない。テレビを見ることが少ない割に、量を見ている気がする。

食ということになると、人の脳みそは結構蝕まれている。
「虫で赤かったなんて!」とか「プラスチック食ってたなんて!」とか「腐らないのは変だ!」「工場が衛生的だからだ!」という言い合い。

人間ってのは、呼吸も含めて不純物を取り込まないと生きていかれない上に、燃費も悪くてダメな動物なわけで、それでも食物をありがたくいただく文化を獲得しているというのに、「食うな!」という皮肉に対しても「不食の一派が……」という斜めからのまじレスも入る始末。

なにがなんだかわからないんだが、とにかく美味いものが食べたくて、健康にはなりたくて、好き嫌いやら、そもそも食べられないものやら、なんにしても、自分が食いもんでガタガタ言いたくなる瞬間自体、いい気分ではないし、誰かが食いもんでガタガタ言っているのを見るのも嫌だ。

ジェイミー・オリバーのスピーチはガタガタ言うべきところは何処かという彼の視点がクリアになっていて、とてもいい。彼の言い分が納得できれば、自分の行動に落としこむこともできる。つまり、愛ティアを広めることに加担できる。素晴らしくTED的だ。


2015年5月12日火曜日

ぼちぼち始動

昨日からTEDxHimiのパートナー候補への接触を始めている。
組織との最初の接触で、接点となる個人に最初になにが伝わるのか。彼、彼女がTEDを知らない場合、パートナー=運営資金の寄付と捉えた場合。
TEDを知っていたとしても、例えば、自分たちは十分ビッグネームだから、身銭は切らないけど名前だけ貸してあげるよときた場合。
接触した相手からなにが出てくるか、自分たちがなにを引き出せるか。お互いのクオリティについての考察や、熱意の行方めいたことについても随時考えていくとして、当然、TEDxHimiのチームのクオリティの向上についても考えていかなければならない。
なんだか、否応なく具体的にスタートしてしまったので、一応書き留めておく。

2015年1月26日月曜日

TEDxを富山県というか、氷見市で実行する準備が始まっております。

TEDxやるので一緒にやらんかねというお話しです。
ガイドラインも過去の記録もあるので土俵としては万全だし、相手はいきなり世界なんで、ちょっと気持ちが奮い立ちませんか?と、そんな趣旨です。

実は結構前からTEDxをやろうぜという話しになってまして、ついに本格的に準備を始めているわけですが、なかなかどうして手が足りないのであります。
今なにが問題って、デザイナーがいないんですよ。あと、スピーカーを選んでくる目を持ってる人というか、今もみんなでがんばって探しておるわけですけれども、世界に広めるべき素晴らしいアイディアをシェアしてくれる人ってのを、とにかく見つけねばならんなぁという前に、「よし、この人は掛け値なく凄いはずなんだけど、コンタクトとっみてどうすっか決めようぜ」って話しがしっかりできる人ですね、マジでもう選んでくる前の段階なんですけど、これがまたなかなかどうして難しいのであります。できる人を探してます。
いやいや、そういうピンポイントな分野の頭数だけじゃなくて、準備のメンバーが全般的にちゃんと足りているのかって話しは無論あるんですが、TEDxの「いけ好かない」サロン遊びの趣旨をきちんと理解して、世界の土俵に乗る覚悟のある骨のある人はおらんものかということであります。

本当に繰り返しになりますが、今の時点で具体的に足りないのは、特にデザイン面できちんと制作ができる人と、スピーカーをキュレーションする人です。
当然、手弁当だし、仕事じゃなきゃヤダって人は、なんかほら、他のプレゼンイベントでお金の匂いのするところに寄り付いていけばいいんですよ。世の中にはいくらでもあるし、そっちの方が健全だとかそういう意見もあるかもしれない。
なんでこんなことを考えたかというと、先日なんだかんだでしっかり参加できなかった準備のためのミーティングの報告を聞いていて、非常に座りが悪いというか、TEDxを準備することの全ては、プロボノとかそういう言葉ですらなくて、TEDのガイドラインをクリアしたら、いきなり相手が世界になる。そんな遊びの土俵に乗ることに楽しさを見出せるかどうかなんだって話でしょ?
と、そういうところを共有するところからしっかりスタートしていかなれば、きちんとしたクオリティのものにならないというか、ガイドラインやら世の中に流布しているTEDの動画見てみなさいよと、厳しいものもあるけど、既にあるもののクオリティは、それを超えるために存在していると思えばですね、俺たちのミッションは今はなんだよ。と、きちんと問うておく必要があると見たわけです。

そんな場所にですよ。なんだっていいじゃないプロボノだものって感じでですね、トークイベントなんでイベント運営のプロとかいう人に加わってもらったとして、その人がTEDxやるってことについて、しっかり考えてなかったら、たかだか200人とか300人しか入れられないイベントのために「宣伝も得意ですよ。お客さんに訴求して周知して……」とか、そんなことを口走ったりする場合があるわけです。そうじゃなくてもいきなり、やっぱり会場が一体になって泣く感じじゃないとダメでしょとか、そういうなんでしょう。イベント系やら広報系の例をあげちゃいましたが、学生のボランティアだって一緒ですよ。何処から話を詰めなきゃいけないのかわからないレベルの人のプロボノなら、まず、プロボノとかいう片仮名使う前に、もうちょっとケーススタディを済ませるとか、自分磨きでもしなさいと、そういう話しなわけです。
きびだんご無しで仲間になれるならオーライ。欲得ずくなら必要以上にクオリティは高くないとというか、その欲の炎を超えてこっちにち来いということです。
日本のクソ田舎のTEDxだと思ったら、なんだこのクオリティは!っていうか、日本人じゃないから不勉強なだけで、日本国内ではこの地方都市、重要なところなの?ぐらいの認識をTEDの動画が好きな人たちに持ってもらう必要があるわけですよ、やる以上は。
こういうこと自体が面白くないなら、そこまでであります。今風に言えばブラックっぽいんですが、すり減る人にもオススメとか、そういうんじゃないんで、はい。
世界に広める価値のあるアイディアを氷見から流布するためのビジュアルを、さらっと俺、もしくは私のデザイン力でカバーしてやるぜ!って人、居らんかね!なんか、いきなり世界に晒される土俵あるんすけど、どうですか?って感じで、よろしくお願いしたいっす。

2014年9月26日金曜日

アイディアをシェアして世界が変わるかって、何を見て何を考えてしまうんだって話し。

TEDxを富山県内で開催すべく、普及活動ということでTEDを利用した勉強会の運営に加わって間もなく一年になる。
今月のネタはこの動画だった。

動画から見て取れるプレゼンを上手くこなすためのツボを皆に解説するというのを担当しているのだけれど、動画を見た後、13名の参加者に聞いてみた。
「家に3冊以上詩集はあるか?」
「日本の現代詩の詩人と言われて、誰か名前を挙げられるか?」
「何か、詩をそらんじることはできるか?」
回答は無かった。
「短歌や俳句でもいいから……。百人一首は?」
これも、反応できる人は居ない。

この動画を、いじめられた経験の告白と見ることは簡単だ。いじめ、カッコ悪い。問題意識を持ったり、自分と引き比べて共感してみたりしてもいい。
折角なので、いじめを撲滅するためになにかできるかと考えて、結局なにもしないのはよろしくない。実は、この動画を見て心動かされた人には、簡単に実行できることがある。
このスピーチをしているのは詩人で、昔いじめられていた彼が、皆の前で詩の力を見せつけている動画だ。
だから、彼が発揮している詩の力の存在を信じて、詩人の詩を読もう。

生活の中で、言葉による美的体験を与えてくれるものに触れる機会を、どのくらい意識して持っているだろうか。
言葉による美的体験を作り出す最前線で身を削っているのが詩人だ。
詩人の詩集を買って読む。これだ。
みつをじゃない。詩人の詩だ。折角なので、思潮社って出版社が現代詩文庫というのを出しているから、とりあえずそこから見繕う感じでどうだろうか。

国語の教員が詩の指導ができないと言っても軽く見られたりクビになったりしないのは何故だろうか。
日本語が和歌や俳句という短い定型詩の形式を持っているにも関わらず、いざ「暗唱できる詩はあるか」と問われると「ひとつもない」と答えてしまうのは何故か。

ふるいけや かわずとびこむ みずのおと
なつくさや つわものどもが ゆめのあと
さみだれを あつめてはやし もがみがわ

これだけでさらっと3つ。頓知でもなんでもない。

芸術がわからないひとつの原因は、芸術に触れていないからだ。
触れるモチベーションをくれよなんてのは、単に人生を豊かにする美についての教養を拒否する姿勢だ。
それは浅薄な教養拒否主義の告白に過ぎないが、そこからどうしても離れたくないなら、気の効いた経済学者が詩を読まなかったことによる機会損失と一生のうちに被る経済的被害について算出していないか、心ゆくまでインターネットでも使って探してみればいい。
美しいものに経済効率を求めるからおかしなことが起こるし、美しいものからは心を刺激され、圧倒されることだけを求めればいいのに、そこにすらモチベーションとかいう姿勢から、考え直してみるのも良い。

わからない。はなしが合わない。これだって立派ないじめの根源になる。
美しいものを語る言葉を使う連中とは話しが合わないと感じるなら、まずは言葉に慣れてみることから始めてはどうだろうか。
言葉の暴力には簡単に触れる事ができるのに、言葉の美に触れる事を放棄するのは、それなりの時間を生きて呼吸している大人としてどうだろう。

気をつけて20時間練習すれば、そこそこいける様になると説いて実際にやってみせているTEDの動画がある。

日本語字幕が付いていないので、動画の内容を日本語に書き起こしたサイトのURLも貼っておく。http://logmi.jp/12933
詩に馴染むために時間を使うなら、こんな感じだろうか。
  1. どんな詩人が居るか調べる。
  2. 良さそうな詩集を買ってみる。
  3. 気に入った詩人を見つける。
  4. 詩に慣れるぐらい読む。
  5. 音読や暗唱もやってみる。折角だからスマホを持ってたら上手く声に出せているかもチェック!
詩人になる必要はない。
「深く語ることはできないけれど、なんだかいいものだよ」と、誰かに言える様になるだけでいい。
考えてみよう。そんなものを幾つ持っている?
ここまでくれば、少しは使う言葉も変わっている筈だ。言葉が変われば世界は変わるわけだから、そこから確実にスタートできる。言葉の根源の一部に触れているのだから。言葉の暴力についてもこれまでより深く考え、生活できる様になっている。つまり、行動できる様になっている筈だ。

2013年12月30日月曜日

富山でTEDxをやる準備:プレゼンの起承転結?

富山でTEDxをやる組織を作るために、TEDの勉強会でもしようかという企てに加担することにした。
TEDのトークを見て、みんなで話しをしようよというもの。
最後に振り返りついでにプレゼン講座をして、参加者する人を徐々に洗脳しようと目論んでいる。

今回のネタにしたのは、ジュリー・バースティン「創造力を育む4つの教訓」。
http://www.ted.com/talks/julie_burstein_4_lessons_in_creativity.html

このプレゼンをネタに、聴衆を「掴み」、掴んだ上で自分の伝えたいことを聴衆に「渡す」そんな行為に着目してみよう。という内容で喋ったので、とりあえずまとめておく。

プレゼンテーションで物語を語ろうとすることは非常に非効率だ。構成が不味ければ、だれてしまって何も伝わらなくなってしまう。
起承転結に当てはめている様に見える、なんの魅力も無い通り一遍の説明が世の中にあふれかえっていてもなお、起承転結が重要と信じて疑わないのは何故か、自分に問うたことはあるだろうか。
ジュリー・バーンスティンのプレゼンを、その背景に物語があるという前提で見てしまうと、全く混乱することになる。
彼女はなぜあの順番で事例を紹介したの?一連のストーリーはあるの?
ストーリーを見いだす努力はしても構わないし、事例の並びにも巧みさは感じられる。ただし、このプレゼンテーションは、例示と主張を繰り返して、単純で力強い文脈を確実に浸透させようという構造になっているので、ただ言われたことを素直に聞くだけで良い。
実際に、プレゼンテーションの要素を分けて書き出してみる。

【枕】
1.器を上から写したスライド
一瞬何かわからない美しい写真。
大学時代に作った楽焼きの陶器を今も机の上に置いているという画像の種明かし。つまり、小さな「何?」という興味をひくところからの導入。

2.日本の楽焼きについての解説
「不完全さ故に愛されてきた」というギャップの提示。
ここで、日本では竃から取り出してまだ赤い器を緑茶に漬けるが、アメリカでは大鋸屑にまぶすため煙の匂い服で帰宅するという余談は、後の伏線になっている。
楽焼きによる創造の過程により、創造にはコントロールできるものと受け入れざるを得ないものがある。

3.器を落としてみせる(失敗)
器を落としてみせるが、器は割れない。本来は割れる筈だったと本人は言っている。
割れても割れなくても、創造にはコントロールできるものと受け入れざるを得ないものがあるということは伝えられるパフォーマンス。
経験を受け入れることが必要になる。

【例示】
4.インドで育った映画監督の談話
校庭にあふれる情熱と大麻。突飛に感じられる組み合わせ。
スピーチでの紹介だけでなく、本人の談話を再生。
日常の中にも、ひらめきを受け入れるチャンスはある。

5.重度の識字障害の作家
識字障害の作家。イメージのギャップ。
スピーチでの紹介だけでなく、本人の談話を再生。
課題を受け入れる。困難の克服。

6.ラス・メニーナスから生まれた現代美術
有名な考察が存在している絵、その考察と重なる発見から生まれた創造。
スピーチでの紹介だけでなく、本人の談話を再生。
絵画という技法から、立体に移行する探求。
絵画ではできないと感じた自らの限界を受け入れて、更に前進しての創造。

7.9月11日以降の現場の記録写真
壊滅から再生を信じること。9月11日のテロ現場の記録写真。
スピーチでの紹介だけでなく、本人の談話を再生。
喪失を直視し受け入れる。「撮るしかない」という確信とこだわり。
家族のところに帰ったときに、服に付いていた煙の匂いについて言及。2のパートので服に付いた煙の匂いとの呼応による強調。

【まとめ】
8.経験、課題、限界、喪失
創造力は人にとって不可欠だという主題の提示。

【まとめ2】
9.割れた後、金継した日本の器
壊れてなお、作られたときよりも美しさを増すこと。
創造と破壊。コントロールと受け入れ。人はこれらの循環の中に居るという主題の強調。


このスピーチの構成を、枕、例示、まとめ、まとめ2と4つのくくりがあるから起承転結だとか、まとめはひとつと考えて3つのパートに別れるから序破急だというのはナンセンスだ。
このプレゼンテーションは「簡単な導入」「例となるスライド」「本人の談話」「主題の提示」という構成で繰り返されている。
ギャップやエキゾチックな組み合わせで好奇心を刺激し、主題の提示を繰り返す。つまりは聴衆に対して「掴み」と「渡す」を繰り返している。
彼女はひたすら同じメッセージを繰り返し、例を変えながら主張を強調しているので、敢えて物語的な時間軸があるとすれば、それはジュリー・バースティン自信がこれまでの多くの人々にインタビューしてきた事実がそれにあたる。彼女のキャリアは現在も継続しているので、スピーチの中では完結しない。

このスピーチには、人と対面して、何かを渡すときの動きに似た以下の構造が見て取れる。

1.ものを渡したい相手に声をかける。
2.相手がこちらを見たのを確認する。
3.相手に渡したいものを差し出す。
4.相手の手が出たのを確認してものを渡す。

注意を引き、主題の裏付けになる誰かの声を聞かせ、主題を述べる。
話者となって人前に立つ人間と聴衆の関係は常に、個対多だろうか。
スライドやスピーチを組み立てるにあたって、誰かが言っていたことに盲従するのではなく、自分自身が聞く人に何を渡すのかに気を配りながら喋るイメージで構成すれば、伝えたいことはよりシンプルに伝わる筈だ。