2013年4月3日水曜日

悪ってなんだって話しとか、すげぇっす。


5歳になった娘が誕生日に映画が見たいと、そんな強烈なリクエストがあったので、プリキュアの映画を見に行ったのであります。

そもそも娘はプリキュアがテレビ放映していることを知らず、極めて断片的な情報で勝手に入れ込んでいる部分があるので、実際に動いているのを見せるのも、それはそれで面白いかということで、諾々と同伴しました。
最初はドラえもんとか言ってたんですわ。劇場で、「ドラえもん?」「プリキュア?」「ドラゴンボール?」と目の前にある選択肢を問えば、全く迷わず「プリキュア!」と返事が戻りました。恐ろしいものであります。

年代わりでシリーズを刷新し、女の子の心と親のサイフをがっちりロックするプリキュアシリーズだが、それがシリーズ揃い踏みとなったら一体どんな風にまとめていくものかと思えば、がっちり太い主題を踏まえ、非常に道徳的な内容で、そのあまりの力強さに微動だにできない有様。
悪を為すのは自分の影、理解されないからといって、相手を排除しようとしては元も子もなくなる。きちんと心を伝えることが大切とか、上映後、娘に確認したものの、プリキュアが頑張っていたところにだけ注目して、何も気づいていなかった模様。太い主題が素晴らしく自然に筋書きに馴染み過ぎて、太いままスムーズに展開していくので、家や幼稚園で日常的に怒ったり謝ったりさせられている五歳には、この葛藤よりも、そこから起こる混乱の収束方法にしか注意が行かなかった様子。
プリキュアシリーズの中には、最初はプリキュアと敵対していたものの、戦っているうちにやがてプリキュアに帰順してプリキュアになった連中も居て、敵は自分自身の中に内在しており、コミュニケーションこそが大切であるということを強調しておりました。
絶対的で根源的な敵対などあり得ないという主張だと、そんな理解で構わないですな。
なんでしょうか、日本の平和教育の成果というか、なんだろ。既に盤石じゃないすか?
つうか、「悪」「自分の影」というキーワードでググると、上位に表示されるサイトって、なんだか凄まじいですよ。

俺自身、お寺が経営している幼稚園に通っていたのと、家が浄土真宗で毎月普通にお坊さんがやってきてお経をあげていくので、仏教的な刷り込みってあるもんだなぁと思っているのですけれど、こういった宗教的な背景の無い皆さんの中には、プリキュア的な刷り込みをされる世代も出てくるのではないかと、その可能性を感じさせるものであります。
シリーズも10年目に突入して、5歳でプリキュアを体験した娘さんは15歳。なんとなく潜伏期間を置いて、彼女たちがお母さんになり始める頃にシリーズが一段落していたとしても、ここまで太いと確実にリバイバルありそう。そんな内容です。
特段評価して入れ込むとか、プリキュアはまっちゃったぜ☆ってもんでもないんですけどね。

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