2015年8月7日金曜日

いい加減、共感程度でよしとする態度を捨てて、もうちょっとみんなで頭使ってそれを持ち寄らないか。

進んでいるのやら、停滞しているのやらわからない数日。
結局、先日のお叱りへの返答に対して反応はいただけず、ただ流れで「サヨク」呼ばわりされたことだけを、自分のギャグレベルの現在の到達点として、重く受け止めておくことにしなければならないのか、それとももうちょっと刺激した方がいいのか思案中。
そういえば、ブリスマスのフェイク・ドキュメンタリーを本気でなんとかしたい。氷見のPRにも使えると思うんだがなぁ……。ほら、『おそいひと』は10年以上色あせてないじゃないすか。それを実績としてカウントして欲しいなぁ(下衆顔)。いや、冗談でなく。今ならお安く済ませられます。多分。

某テレビ局にて相談と雑談。
ここ暫くのブログの種明かし。なるほど、それで政治家育てなきゃってブログに書いてたのかって、まぁ、極めて熱いわけだけれども、本来はあまりこの世の役に立ちたいという意識があるわけでもなく、全部戯曲とかそっちに出してしまうわけで、その辺はもうどうしようもないわけです。
あ、ホームページも普通に作ります。
SEO屋とかWeb広告屋の動きが激しいので、同じくらいの予算を管理費名目でいただいてコンテンツ整備します。ってのが最近のトレンドです。ブログ書きの稽古も淡々と行っておりまので、ご用命あればどうぞ。

イーラボにて、たまたま居合わせた、うえるさんに質問。
セラピーをやる人間として、セラピーを必要とする人にありがちなパターンと、それを俯瞰してプロセスを見なければならない立場から、何が見えているのかという話し。
通常は、自分の現在位置を確認しつつ、本当にこれでいいのだろうかという圧力やら不安やらと闘いながら、更に自分を磨いていくわけで、それが本質的に救われる唯一の手段だが、研鑽の努力を他者への共感で代替して、そこで同じことをする仲間なんかを見つけてしまうと、永遠にそこから抜け出せなくなる。
共感程度の強度でまとまる集団というのは、基本的に互いへの依存も弱くて済むので、困難を伴わず、結果として何一つ生産的なことができない可能性を持つ。
なんつうか、これ、普通に朝活とか早起会やセミナージャンキーの皆さんやビジネス本読書家、宗教未満のスピに見られがちな傾向か。
しがみつくのはいいけど、変な姿勢だったり、拠り所が弱いと思わぬコケかたしますよってことなんだけど、なにをもって転んだとするかってのも、そこまでいくと大小あって個々人のケースに入り込んでいくんだけど、こう書いてカチンとくる様な皆さんは、そもそもこの文字列まで辿り着くことはないと予測はしているんだけど、敢えて描くなら、あなたが普段、結構気軽に使っていると推測される、共感って言葉について、これはそもそもなんだろうと、ちょっと真面目に考えてみていただきたいものです。

ってなわけで、なんだか着々と新作に必要な要素が集まってきております。
え、戯曲なの?政治活動とかそういうのじゃなくって?って、そりゃそうでしょ。何を今更。