2016年9月6日火曜日

血パンダ公演『それはサイコロの一番大きな目ではないなにか』前口上

多様さというのは、というか、人はそもそも多様であるというのは、当然のことだと理解しているつもりでは居るのですが、概ね同じものを見て、同じ経験をしていても、人の見解というのは本当にまちまちなのだということを痛感する昨今です。

遠くのことだったり、いちいち立ち止まらなければ、どうってことはない気はするんですが、日常的に細かく違うことを目の当たりにし続けると、いろいろと考えなければならないことも多くなって、個人的には楽しいんですが、こういうことをストレスに感じる人も居るんだろうなぁと、ほっこりしております。

「なぜそんな風に考えたの?」と改めて問うてみると、そんなものを根拠として採用して行動を開始したのか……。と、びっくりする様な場合や、話しを聞いていて、ところどころで、「あ、ここで考えることをやめた」と見て取れるキーワードと出会うのがまた人の罪深いところ。
なぜ、この人は、なんの話しをしていても、そっちにいってしまうんだろう。
と、なかなかそこまでの極端な人に出会うことは少ないですが、人というのは果たして、何らかの糸口を見つけて相互理解を進めていくのが良いのか、関係性というのはどの様に形作られていくべきなのかと、あ、悲劇は既に人の関係性の中にしか存在できなくなっているという血パンダの大テーマに囚われている私の目からは、なんせまぁ、いろいろそんな風に見えてしまうわけです。

いやはや、明日ってなんだ。どっちだ。