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2017年2月27日月曜日

血パンダ公演『Generalprobe』前口上

特に「劇場」を絶対に使わないと決めていたわけでもないのですが、演劇やるにあたって劇場は必須のものではないと、とっくの昔に発見済みなもので、今回、結成以来初の劇場公演となります。
バトンに吊られている照明器具とか、なにもしなくても全暗転できる環境ってのは、やっぱり便利ですね。
「初めて劇場で」ということで「おめでとうございます!」とか言われたりもしましたが、そもそも念願とか全くしてこなかったので、その辺全く目出度くもなんともない、いつもの血パンダ通常営業なので、ご了承ください。

台本を書いて演出をする様になってから30年ほど経ちますが、これは同時に、感情移入がどうとか、共感できたとかできなかったとか、理解できたとかできなかったとかいう、どうにも消費目的の欲望との無駄な戦いとの年月でもあった気がしています。
そういった、どこで覚えてきたのかもわからない演劇を見に来る動機と戦うなんてのはそもそもナンセンスなことで、早々にそういうよくわからないところから降りて、極めて正直に、ただ圧力だけを用意する努力をする様になりました。
本当に悲劇しか模索しないし、演じられている場に吊り込まれた人の日常に、ほんのりで良いので侵入できれば良いと、それを目標にしてきました。

そうなるとかえって、世間的にそういう消費のされかた、期待のされ方をしていない様に見えるジャンルが羨ましかったりするんですが、じゃぁ、演劇やめてそっちやろうかとならないのは、なかなかどのジャンルも演劇ほど上手くマイナスの感情を無造作に放り出してみせることができないからだと、今回の稽古場で再確認したものであります。

Generalprobeとは、本番前に本番と全く同じ形で行うリハーサルのことで、日本ではゲネプロとかゲネとか言います。
日常が止まることなく命の終わりに向かっていく本番と捉えたら、演劇のゲネプロなんてのは、虚構のための完璧な予行演習という、ありえない贅沢な時間で、そりゃもう、出来のいいゲネプロは誰とも共有したくありません。
 
『Generalprobe』大変恐縮ですが、本番をごゆっくりお楽しみください。

2016年9月6日火曜日

血パンダ公演『それはサイコロの一番大きな目ではないなにか』前口上

多様さというのは、というか、人はそもそも多様であるというのは、当然のことだと理解しているつもりでは居るのですが、概ね同じものを見て、同じ経験をしていても、人の見解というのは本当にまちまちなのだということを痛感する昨今です。

遠くのことだったり、いちいち立ち止まらなければ、どうってことはない気はするんですが、日常的に細かく違うことを目の当たりにし続けると、いろいろと考えなければならないことも多くなって、個人的には楽しいんですが、こういうことをストレスに感じる人も居るんだろうなぁと、ほっこりしております。

「なぜそんな風に考えたの?」と改めて問うてみると、そんなものを根拠として採用して行動を開始したのか……。と、びっくりする様な場合や、話しを聞いていて、ところどころで、「あ、ここで考えることをやめた」と見て取れるキーワードと出会うのがまた人の罪深いところ。
なぜ、この人は、なんの話しをしていても、そっちにいってしまうんだろう。
と、なかなかそこまでの極端な人に出会うことは少ないですが、人というのは果たして、何らかの糸口を見つけて相互理解を進めていくのが良いのか、関係性というのはどの様に形作られていくべきなのかと、あ、悲劇は既に人の関係性の中にしか存在できなくなっているという血パンダの大テーマに囚われている私の目からは、なんせまぁ、いろいろそんな風に見えてしまうわけです。

いやはや、明日ってなんだ。どっちだ。

2016年2月28日日曜日

血パンダ公演『夜は』前口上(2016.02.27)

文化を殺して金勘定だけを植え付けるから、ただ生きることから恋愛に至るまで、ありもしない利子の計算が始まり、人の関係はどんどん単純になっていく。
単純な関係しか知らない人間は考えることをせず、簡単に孤独になり、簡単に臆病になり、計算できる欲にだけ忠実になる。その結果、子供は全く計算不能なため、子供を作るという選択は消え、人は絶えていく。

シネコンができるから「街なかに映画をなくしてはいけない」ことが目的だったフォルツァ総曲輪が役割を終えて休館するというニュースに触れて、シネコンで上映される映画と、単館系の映画の違いもわからないという、マーケティングセンスを問う以前の、文化を認識する能力のあまりの低さに度肝を抜かれました。
9年間の映画館運営の果てにこの認識なので、問題は個人の資質ではなく、集団の、もっと致命的な部分にあるのだと考えています。

そんな中で、一般的な認識の枠を超えた場を作りたいというゴールドカレー富山豊田店のオーナー保坂さんから声をかけていただき、今回の公演が決まりました。
フランス料理店が舞台の『夜は』をカレー店で上演できる巡り合わせ。
劇場は最初からあるのではなく、演劇があればそこが劇場になるのだということを体験していただき、場とは何か、枠とは何かを考えてみていただくのもいいかなぁと、そんな風に考えています。

2016年2月24日水曜日

確かに、莫迦なことしてるなぁと思いながら遠巻きに観察することはある。やる奴はやられる。

演じている人間を見るというのは、幼い頃のままごとや、ごっご遊びから人間に刷り込まれた妙な決まりごとというか、習性の様なもので、とりあえずその良し悪しはともかく、演じている状態、演じているのに近い状態を目撃したら、心理的に一定の自動処理があるものだと思っていた。
それこそ、誰かがこう言っていたよと伝えるために、その誰かの発言の部分だけ、口真似まではいかなくても声色が変わる程度でも、それが演じられている状態だとわかる。
微細なものが判断できるのだから、あとはただ見るだけと思っていた。
ところが、世の中そう単純なものでもないらしい。
「バカなことしてるなぁ」というフィルターがあって、そこに引っかかると演じているもへったくれもなく「バカだなぁ」「楽しそうだなぁ」というところで判断が止まるという指摘を受けて、昨日目からウロコが落ちました。

亀吉という名の口パクのカエルから腹話術の練習を「手段の目的化」だと指摘される。

口パク人形が、ホドロフスキーの言葉を聞いて自我に目覚めたかの様にふるまう。

やりとりの内容も構造も、かなり長々と解説はできるものの、そんなことは敢えてするもんでもなし、確かにぶっつけ本番の勢いだけでやっているので、「いい大人がバカなことをしている」ムービーだ。
そうか「バカだなぁ」から先に行かないのか。
なんか作戦考えなきゃなぁ。まだまだクオリティ低いんだなぁ。

あ、真面目にやってる演劇の方の公演がまもなくです。
こちらもぜひ。『夜は』というお芝居で、フランス料理店のスタッフルームが舞台なんですが、それを営業中のカレー屋で演じます。あ、こういうのがいかんのか……。バカフィルターにかかる?バカフィルター?そういえば、『バカの壁』読んでないけど、こういうことへの対処法が書いてある?

血パンダのホームページ
http://blood-panda.net/
血パンダのFacebookページ(『夜は』のイベント立ってます)
https://www.facebook.com/BPchipanda/

2016年2月18日木曜日

箱の運営するってことは、作る側としては終わる気がする。そっちの方が嫌だわ。

映画館兼劇場って感じの文化の中心地の件。
思えばカレーフェスタやTEDxHimiも、ずっとこんな感じがスタートで具体化してやってきてるわけで、今回もそんなノリから始まりでいいじゃないかということだ。
本当に実現できるのかも含めて、ずっと継続して考え続けるし、何年かかってもいい。持ったまま時間経って、腐ってダメになるならその程度のものだったってことだ。
本当は、明敏な運営者が現れてくれれば、そっちの方が俺は自分のことができるので嬉しい。
興味があれば知恵と力を貸しておくれ!あ、金でもいいよ。

映画館兼劇場って感じの文化センターの件。これ実は、都会に出た若者が地元に戻ってくるためにも、結構重要な施設。
劇場がない。映画館もない。ギャラリーもない。公のものは全部埋まってて、現場は優秀かもしれないけど、窓口の奴はちょっとググって裏をとる気も無いのが通常のクオリティだから、何処のコロニーにも属してないみんなには受け皿が無い。皆無。

先に大家さんを発見するよりも、金の準備できてから大家さんにおねがいする方が良さそうだ。ネタの説得力としての金ね。大家さんが持ってるのは不動産だから、向こうはそうそう動けないけど、こっちは身軽。だからせめて、金の分だけでも重くなっておきたい。

クラウドファウンディングは、実際に運営を始められたら、その時には挑戦してみたいネタがあるので、立ち上げはとにかく泥臭いお金集めだ。

【最初の行動?お題ふたつ】
1.お金って、こんな場合どこから引っ張るもの?
自慢じゃないが、パソコンがあればなんとか仕事になるというレートの低さで、ちんたらちんたらやってるので、ちゃんとしたお金の集め方がわからない!
金主を探さなきゃいけないんだが、こんなね、ほぼ手ぶらでネタしかない場合、そもそもどうやって探すものかもわからないので、俺知ってる!って人は教えて。
能書きならある。プレゼン資料作る。えーっと……。事業計画も?まあ、そこら辺は任せろ。

2.みんなでゆるふわひきよせ!
みんなでロト買ってほしい。で、一等当たった人がいたら、当選金額の中から1億+αだけ俺にちょうだい。これ、多分、何気ない遊びで大勢でやると効く気がする。運命の束。束になってかかれば、なんとかなる気がするから不思議!

【おまけ】
フォルツァ総曲輪が今からみんなでギャーギャー言って存続するならそれはそれ、しなかったら、富山市で「文化」とか口走る役所絡みの人間と会うことがあったら、赤ちゃん言葉で優しく話ししてあげる。漢字やカタカナで喋るのもやめる。
これは、覚えている限り飽きるまでやるつもりなんだけど、みんなもどう?

2015年8月13日木曜日

なんだか数日こねまわしていたんですけど、持っていてもふくらんでいくだけなので、日記だよということを思い出して、ちょっと整理して放出。いつにも増してわけわからないし、まとまり無く長いので注意。血パンダとTEDxHimiは人員を求めています。

年明けてTEDxHimiの準備を本格化し、先日血パンダの公演を終え、ずっと頭の片隅で考えていたことがある。
先日、これに追い打ちをかける形で、某所でインタビューの内容から、いつから田舎はダメってことになったのか、どうやって脱出したらいいのかと、自分の中で大問題化している。
これ、前提として、土地に縛られてポータビリティを無くしてどうするって話しもセットなんで、そこを忘れない様に。
目についてどうしようもなかったものが、解決しないまま自分の中でどんどん増幅していって、本当にイライラしているわけですね。
以下、壮大な愚痴ってことで、ワロスワロスでもいいんだけど、いかがなもんだろうか。

個人的には、今どきは田舎でも特に問題ないわけで、個人的には映画を見るのが大変なだけだ。ロードショウを逃したらその瞬間に映画館で見るやりくりすらできない。これはしかしまぁ、我慢できる。
問題は人の頭数だ。
皆さん概ね「田舎でやってもしょうがない」「田舎だからいいじゃないか」とか、「こんななんにも無い田舎で……」という定番のやつに蝕まれている。
でなければあとは、周囲の雰囲気を見ての判断の結果ご一緒できないとか、俺ごときが、私ごときがというのが始まって、何かしようと言っても、そうそう順調には人が集まらない。
さてひとつなにかをしよう、そのための徒党を組もうとなった時に、必要な教養のある人間が簡単に集まることは非常に重要で、田舎では実際これがとても致命的だ。
じゃぁ、教養ってなにさって話しになるけれど、これは、なんかやるぞ。となった時に、そこに意義を感じた各々が、細かく言葉なんて通じなくてもいいから、ちゃんと正直に、我田引水をせずにみんなでどんな行動ができるか。そしてそれを実行していくうちに、何処かの時点でどのぐらい豊かな共通の語彙、認識を持つに至るか。
ここまでのプロセスに耐えられるかどうかが教養の有無のひとつの指標だと考えている。
一人で黙々と何かするんなら問題ないのかもしれないけれど、一人なら極端な話し、人類最後の一人になったとしても同じことだ。あ、流石に誇張しすぎ。

幸い、情報ならインターネットですぐに入ってくるし、今どきは一般的に中学は卒業できているので、大概の日本語は理解できる筈だ。
子どもたちが等しく妖怪ウォッチにはまる様に、大人だってなんだかんだで、いろいろな情報に触れられる筈なんだけれど、結局はどうだろう。実際、多少苦労するものには辿り着いても無かったことになるし、乗っかれる他人のふんどしならいいけど、自力で何かとなると、全くピクリとも動かない。
これは、多様化したからだと思っていたけれど、そもそもそういうもんでもない。手に届く範囲からどのくらい広げられるかってだけで、人間はそもそも一日二四時間、処理能力をフル稼働して生きていないので、知らないであたりまえだってことですよ。
見たり知ったりした瞬間に体が動くのか。そういう情熱を、なんであれしっかり培う雰囲気が田舎には無いんじゃないのか。これはなんでだろう。
仕事の休み。車。パチンコ。ショッピングセンター。禁煙。酒の量。これに、村の揉め事や祭りの話題が加わるだけでも幸せなんですけど、同じ話題がループするんですよ進もうよ。深めようよということなんですが、なかなか無いのです。
とはいえ、最近の世の中には自己肯定やら生き方のTipsやら学びの場があふれているんじゃないのかと見えるんだけれども、結局みんなで何処を見て時間だけ潰して身動きする時間を無くしているのか教えて欲しい。
何かを他所から持ってくるのはいい。どんな風にして自分の居る場所で形にするのか。完コピが上手くいくわけもないし、ただの真似だとそもそも薄っぺらくて根付くわけもないんだから、とりあえずできる範囲でいいから、ちゃんと根付くことしようよと思うわけだ。君のまわりに、君がなんか言ったりやったりしたことを区切りにしている人はいるか?そんな仲間を集めて、誰かのふんどしにそのまま乗っかるんじゃなくて、自分たちのものにローカライズして磨けているだろうか。
ナンバーワンのクオリティがお嫌だからって、オンリーワンを目指したら、それこそ圧倒的なクオリティが無いと、ものの数にも入れてもらえないことの恐怖に気づいておられるだろうか。残れないなら時間つぶしと同じで、それでもいいということは、極端な話し、人類最後の一人に以下略。

こういうのね、さて考えてみようぜとか言ったら、改めてTEDのバカ踊り動画とかで解説されても、頭にくるだけなんすよ。実際のところリーダーシップとかそういうもんでもない。
その辺の、普通に誰でもする分析はもうどうでもいいから、分析だけして踊らないことに価値があるなら、その真の価値についても厳しく問いたいものであります。
俺はそんなこんなで、血パンダ結成までは富山県内で誰一人、改めて演劇やろうってい言ってもあんまり相手にしてもらえなかった。そうこうしているうちに戯曲読んで集まってもらえたものの、いろいろ考えても、通算6年がかりぐらい。非常にありがたいことだが、やっぱり、あらぬ時間のかかりかたをしていると思うわけですよ。
さっきのリーダーシップってことでいえば、俺は血パンダの団長なんですけど、戯曲書いて演出するだけだから、役者が居ないとなんもできないわけです。大道具も制作も自分でやるとか、どんだけやねんって話しですよ。役者のみんなに言わせれば、「俺達書けないもん」って話しになるし、ほとんど場面転換も音も無いお芝居ですけど、血パンダの舞台にピッタリの地あかりを設計して調光してくれる照明さんが居たら、もっと凄まじい舞台になるんですよ。必要なのは、ナンバー2なのかと問われれば、答えは否です。
ある程度の規模にならない限り、マネジメント云々ってのは、できない、やらない奴らの戯言で、始めようやってみようって規模なら、頭働いて体動くやつが集まって何をするかきちんと考えれば、事足りるし、そういう中で長期展望っぽい種をきちんとまいていくことも、視野に入れられればいいんじゃないのかと、そんな次第。で、何処にいて、どうやって集まるのが普通なんだよ。

そうだ。血パンダは劇団員募集してます。TEDxHimiもまだまだ人員不足であります。
血パンダは演劇。TEDxHimiは例のトークイベントを実行する集団だけど、本当は、TEDの精神に従って、いろいろ活動したいところなんだぜ。
というか、ここまで書いててよくよく考えたら、ideas worth spreadingって、いいこと考えたから聞いてくれ!やってみようぜ!ってなんだか普通のことじゃないか。

2015年7月23日木曜日

A5のルーズリーフ使ってみることにします。無地の紙しか使えない体です。

血パンダのミーティング。次回公演は、11月28日、29日でやる方向。
『夜は』というのがありまして、実はこれ、結成の時に書いたんですが、ずっとやってないんですよ。
いかがなもんでしょう。キャストもスタッフも募集します。

専門学校の頃の同級生が大門にカレー店GALOをオープン。
元々、この場所にタージマハールが出店した時に店長をしていたものだが、金沢界隈を回って、四半世紀を経て同じ場所でタージマハールからの独立。
おお、なんだこりゃ。感慨深い。というか、歳取ったなぁ。
今はタージマハールのスタイルだけど、徐々に独自色を出していくとのこと。期待。

Amazonにて、とある書籍を入手。
日本のいわゆるスピリチュアルとか言っている人たちが拠り所にしているものって、一体なんなんだろうか。
幽霊に答え合わせを求め、世界の法則から遠ざかる的な本末転倒というか、結局は占いめいたものや似非道徳につながってなにがおさまるものか、と、ここまで書いたら、本当はあまり気になっていない自分に気づく。脳でなく、手が考えるシリーズ。

2015年7月19日日曜日

三連休の低速モードで失礼します。

概ねWordpressのテンプレートを眺めていた。
なんでデザインとロジックもっと分離せんの?とか、ブツブツいいながら時間が過ぎていく、かなり薄い日々。
MTはperlでもうなにがなにやら面倒なことこのうえねぇし、Wordpressなんて昔から展開した瞬間に臓物ぶしゃーって感じで、ちょっと大きなサイト作ったら速攻重くなるしで、ずっとNucleusの方が好きでした。好きなんですよ。流行らないですね。
Nucleusってのがあって、そっち使いたいんすけどとか言うと「え、MTじゃない理由とか聞かれたら面倒じゃん。とりあえずメジャーどころ使おうよ」とか言われまくって10年ぐらい経つんじゃねぇの?なかなか難しいものですね。

長男の誕生日に伴い戦車はリモコン化。その流れで2台になった。電子工作に入り込む一歩前だが、その前にシャーシ製作の精度をもう少し向上させる必要がある。
せがまれていた妖怪ウォッチの方は、近々全バージョンのメダルが利用可能な新製品が出るとかでグダグダ。そもそもアニメーションも面白くないというか、子供っぽいダメなツボを攻めるばかりの単調さは変わらず、そろそろ飽きられて廃れてもいい頃なんじゃないかしらと思いながら見ている。

初めて脚本を書く高校生のプロットを見る。
さすがに何処で逃げを打ったかが手に取るようにわかるしダサい。見て取れた問題点は、プロットの供給元に確認して答え合わせもできたが、いくら初めてだからって、そこまで見たままというのはいかがなものだろう。
登場人物を先に設定するにしても、予め言い訳要員と見て取れる人間が居たり、起承転結やら伏線やら、どこかで聞いたような形式を意識するあまり着想が死んでいく過程をプロットの段階で目の当たりにする。
まだセリフにもなっていないのに、なんで好き好んで着想を殺していくのか、わけがわからないんだが、でもおそらく、この高校生にとりあえず最初の欲望のままに書き切ってから整合性考えたら?という指導する人とか居ないだろうし、手がかりも無いんだろうなぁ。
具体的な最初の一歩に対して、一般論が役に立たない例。
あ、しかし、ダサいのは読んでいるものがダサいんだと思う。文化的な刺激不足。

2015年7月14日火曜日

なんだろうかこのマッドマックスの再見引力……。本当にじわじわきている。

椅子やら鍵やらを返却して、公演関係は全て終了。
職人は頭だけでなく、手なり体なりを動かしていなければならないというお言葉をいただき、やっている間に年老いてくたばる年齢に足を踏みいれている取り返しのつかなさと向き合っている。
書きます。

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を見てから一週間が経過した。
映画は何かの事情でもない限り、上映中に複数回映画館に行くということは無いのに、じわじわともう一度見たくなってきている。
どうしても構成を見てしまうし、大学でそういう訓練を勝手に受けてしまった自覚もあるため、本当に何度見ようがそれなりに時間でも経って居ない限り、再見で新たな発見というのを経験したことがない。それでも、もう一度見たい。なんでだ。
イムモータン・ジョーの一部かそうでないかということ。
ニュークスが堕落して得たもの。そして、イムモータン・ジョーのウォーボーイとしての転生という重要なアイデンティティを失って為したこと。

まずいな。もう一回行くのか俺。

TEDxHimi準備

夜、TEDxHimiキュレーションチームのSkypeミーティング。諸々ゆっくりと固まっていく。
ところで、経済がキーワードになると、富山県のご先輩がたはどうしても経済効率に固執せざるを得ないのか?
面白い考察が得られそうなお題な気もするが「ごもっともです、効率で良いのでスポンサーお願いします」というわけにもいかないので、TED実行への理解を求めて、結局は県外にも出なければならない予感がある。
文脈を行き来できないことの背景にはそれはそれで、重みもあろうもの。しかし、ちょっと悔しい話しではある。

2015年7月13日月曜日

血パンダの公演『Ostinato』も無事終了で、日記再開であります。

このところ、日記書くどころじゃなかったものの、血パンダの公演も乗り切って、とりあえず書かねばということで……。
こういうのは、そのまま埋もれさせておくのでもいいんだろうけれど、まあ、一興ってことで、今回の上演作品『Ostinato』の前口上に加筆修正してアップ。
初日、6月11日の朝書いたものです。

前口上加筆修正

昨夜、ポルトガル人の写真家、ジョゼ・ペドロ・コルテスが富山県に滞在して撮影した写真の写真集が完成するからデータを送るとか言ってきまして、とりあえずpdfで見てくれ、感想が欲しいよとのことで、いそいそとダウンロードしました。 
ジョゼと最初に会った時に『現代において、悲劇は関係性の中にしか存在できなくなっている』というハナシをポロッとしたときに「なんだよ、わかってんじゃん!」的なことになりまして、こんなことが赤ん坊とか野蛮人の様なカタコトでも通じるもの不思議な気分がしたのですが、そんなジョゼから送られてきた今回の写真集のタイトルが、 
 "One's own Arena" 

ときまして、くっそ誰の?なにするんや?と、富山で見たものの写真集に付けるタイトルとしては、あまりに象徴的なんじゃないのかと思いながらデータを開きますと、写真に入り込んだ人物の視線、それを撮影するジョゼの視点にすっかりやられてしまいました。 
ジョゼの他の写真集もなかなかいい感じで、その場面に至る移動や行き当たった感触がとても刺激的なものでしたが、これはまさに、富山県で実際にジョゼがいきあったものが写っているうえに、その時間感覚が概ね推察できるわけで、これがまた非常に感慨深く、俺は一体何の夢を見させられているのかと、息を殺して見てしまいました。
なるほど、作品製作に対して共通する視点や思想ってものがあると、こんな意味ではあんまり言葉要らないものだなと感じております。 
だからって、俺が撮影する写真がジョゼと似通うかといえばそれは違うし、ジョゼも日本語で戯曲は書かないわけで、そこもまたこうやって出力することの面白いところ。ジョゼも待っているだろうから、全力で感想を返します。 
しかしまぁ、感想自体は大量に書けるけれど、英語にできないや。なかなか細部までは伝えようが無いですが、頑張って箇条書きで感じたことを伝えようかと、大量の言葉が心を渦巻いております。 
ほらほら、英語できないと損でしょ?とかいうのは、こういうタイミングなんでしょうが、これに関してはそうも思わないです。なんでかってのはまた、別の機会に。 
ああ、これも現代の悲劇が発生していく地点ですね。


仕込みの間、近所だってんで、めん八高岡店を連食してしまいましたが、どうもチャーシューに取り憑かれてしまった様です。大盛りチャーシュー飯とか食べたいっす。

二年ぶりの血パンダの公演だったわけですが、考えていることを行動に移して、どうやってクオリティを上げていくか、磨いていくかってのはやっぱり楽しいことだと、いまさら再確認したものであります。
ずっと稽古はしていたわけですが、お客さんに見せないと何かをクリアしたことにならんもんですね、やっぱり。
何をしたら何処がゴールだったり区切りになるのか、入力と出力の適切な関係とは何か、最近は学習ごっこばっかりで、手段が目的化している人たちも多く見られるので、その辺自分でも気をつけながら速度も精度もあげていきたいものです。

あ、ジョゼがpdf見ろってんで、書きそびれた日記があった(w。
書きかけのまま、ここに引用しておきます。

劇場になる空き店舗に搬入などをしたり現場で稽古してみたりで、まぁ、なにがなんだかわからなくなっております。何食か食った飯のうちの2食はチキンラーメンだったわけですが、なんというか、非常時にはこういう飯がいいものですね。
うちでとれたズッキーニとキュウリの浅漬けを安いキムチの中に放り込んでおいたやつも、なんとなく食べごろで飯がうまいです。 
ところで、血パンダにはちょっとした元手をせしめるチャンスがありまして、それ以来、なんとなくその予算で公演を回しております。過剰に自腹切ってないわけですね。
その分、もうちょっとなんかないもんかなぁと思う瞬間もあるわけですが、とりあえずはいい感じで公演にはお金かけずにやってきております。
こういうことをしているとすぐに、夢をどうのこうのとか言われるんですが、なんせまぁこういうものを苦労して作れば、なんだか報われることがあるということを知ったからやっているだけのことでしt

そういえば、血パンダは役者やらスタッフやら募集してますよ。スタッフはある程度経験あると、主に俺が助かりますが、役者はとりあえず演劇やったことない人の方が、いろいろ悩まなくて済む傾向にあります。
変に演劇の経験があると、演技に対する先入観みたいなものを手放すのは、なかなか難しい様で、と、そんなこと言って脅してどうする(w。
なにはともあれ、団員募集しています。

2015年7月8日水曜日

ものは言いようで、空き店舗利用の文化行為だった。しまった。

血パンダの公演『Ostinato』が迫っているわけですけれど、思えば特設劇場シアター血パンダは、高岡大和前の一等地にある空き店舗ですよ。
高岡市民を通じて、高岡市役所とかになんかお願いしてお金せびり取れたり、取れる方法模索できたんじゃないのかと思ったら、残念至極です。くっそ。こういうのに上手に気がついて行政からチューチューするには、コーチかファシリテーターの勉強でもしたらいいのか?もしくはまちづくりに食い込めばいいのか。カフェ開業か。
アートを保護しろ!責任者出てこーい!とか、まぁ、こちとら爽快な演劇とか夢を実現させたいとかいう活動ではないんで、うんこみたいな冗談はさておいて、いや、さておくとしても折角の田舎なんで、そのうち自分たちのアトリエぐらいは、なんとかしたいものです。
風通さんといかんし、電気代と水道代を自分で払ってくれたら好きにしていいよ。とかいう危篤な家主さんが居られたら、お知らせください。
あれ?そのままなんか小屋として使える様にチマチマ平台とか箱馬作っていけば……。いいなぁ。大家さん特権として、そこで行われる催しは顔パスでいけるってのはいかがでしょう。
ご連絡、お待ちしております。

胡乱な話が勃発したので逃避……。

朝からきな臭かったので、それを避けるために『マッドマックス』に避難。とはいえ、文字通り避けているだけでただの逃避でしかなくて、結局は時間取られてしまう。
あ、見たので『マッドマックス』については喋れる様になったよ。
本当に胡乱で、いろんな意味でここに書けない話というのはあるもので、しかも、本来は俺の問題じゃないんだけれど、避けて通るわけにもいかない。
無視していてもいいけど、関係ある話しになった瞬間からとてもややこしいことになるので、最初から関係しておかざるをえない。
なんじゃこりゃ。まるで政治ですね。本当に、徹頭徹尾どこかで勝手にやってくれるだけなら、ただの香ばしい話しなんだがなぁ……。

2015年7月2日木曜日

教室ビジネスの暗部というか、なんだろ。決してプロ論ではない。

来週10日、11日と公演の近い血パンダの稽古上がりで全く着地点なく、あまりに散漫だったたので一旦寝てまとめなおす。

二日ほど連続して「自分が正しい」という主張と対面する。どうにかして自分のロジックを挟むのではなく、なんでそれが正しくないと判断されたのかを考えれば、普通にできることはありそうなものだが、「正しくない」状態では地に足がつかず、そんな状態では何もできない気がするということなんだろうか。本当はその辺が知りたくはあるが、これはやむを得ない。誰が話しても同じ言葉やテンプレートに則った思考はゴミ箱に。

丸パクで独自流派宣言って、武道だと消されるレベル?

夕方、ブログの添削やら何やらの指導をしているパステルアートの先生から連絡。
協会規定のカリキュラムを半分しかクリアしていない生徒から、Facebookで親子パステルアート教室のイベントへの招待が来たとのこと。
協会資格は国家資格というわけではなし、命に関わったり免許がないから罰されるという類のものではないが、その、もう私にもできそうだからやってみようという感覚の正体はなんだろうかと、なかなか重いテーマをいただく。

俺にしても、ブログ添削やらWeb利用法の指導も特に何かの資格を背景にやっているわけではない。
ただ、伝えなければならない価値や、自分のやりたいことをどうやって相手に伝えるかと考えた時に、しっかりとした蓄積がWeb上にあれば、ひっかかってしまった人がむさぼり読むしかないもの、文字通りの網を用意する精度の向上を基本に指導をしている。
情報の整理や作っていく過程で、他人の切り分けというのはかなり必要で、ビジネス必勝本の次のレベルの地味な現場作業だ。真面目な網目づくりには、ビジネス本のテンプレートに収まらない部分も多く、常に進行形の作業になるので、できない思考回路の人には全く向いていない場合もある。
と、ここまで書いたら、わかる人にはそういう着眼点でやるのか、パクっておれもやろう。という風になるかもしれないけれど、そこで違うのは、訓練と周辺知識と場数の差という職人的な技の部分になる。

さて、パステルアートに話しを戻すと、件のまだ訓練途中の生徒の方がやっているのは、一人でお手本を見て描くというカリキュラムのもの。
親子パステルアート教室というのは、俺がブログの添削指導している先生が、自分で模索して始めていることで、実際には描いたり教えたりの過程の中で行き着いたものだ。
訓練も場数も足りないのに、何故、自分にも教室ができると思ってしまったのかといえば、やったことないけど、なんだか出来そうな気がしたから。というところに尽きるだろう。辛うじて上面はなぞれるし、親子パステル教室で、どの様なことが試みられているのかは、俺が指導しているWeb上の記事を読めば、方向性や輪郭は掴める筈。
しかし残念ながら、せめて安定した技術か、ある程度の経験が無ければ、上面から読み取れる親子への効果も、実際にはあまり発揮できず、ただ描いてみたで終わり、他人の好奇心を消費して換金するだけのものに終わるだろう。
パステルアートへの適切なイントロダクションにすらならない可能性が高い。

まとめると、Facebookのイベントで招待かける時に、ライターにブログ教室とか、必勝本的なテンプレートなぞるセミナー受けたけど、なんだかしっくり来ない人たちの面倒を見ている人間に必勝セミナーとかの招待するのは気をつけなきゃいかんってことなんだけど、それはつまり、ブローカーとしてもイントロデュースする人としても質が低いので、結果的に、君がひっぱってくるセミナー屋さんの評価にも関わるから気をつけたまえということでもある。
今回は、本人がやらかしたので、彼女が習い事をするために近寄る先生方にも注意喚起か?
これ、蛇足なうえにミスリード誘うな。いいか。そのつもりで足しました。

血パンダ

血パンダの土曜日の前座をやってもらう璃璃さんが稽古の見学にきてくれる。
声が良かったので、とにかくお願いしてしまったものだが、団員からは「オッサン、そういう女子の騙し方はどうよ」というありがたい反応をいただく。
歌声を披露してもらい、一同納得がいった様子ではあるものの、「うわ、好きそうな声この野郎」と、概ね「いいの拾ったので褒めて褒めて!」とアピールする犬の気分は満喫できた。
璃璃さん、ストレートに半泣きな、いい声がぶつかってきて非常にいいものです。富山駅付近や環水公園界隈で歌っているらしいので見かけたら、ぜひ足を止めて耳を傾けていただきたい。
音楽良かったけど、オマケの演劇が……。という評判を阻止せざるをえなくなり、これまでにない危機感を抱いた血パンダ公演『Ostinato』は10日、11日、高岡大和前の特設劇場で実行!
「いい歳して、これをやるんかよ」という、ひょっとしたら演劇やってた人誰しもが、一瞬挑戦しかけて、あんまりいいもんじゃないかも……。って理由でやめたことを、そのままワーイとやり切ってしまいました。
「仲君、俺も同じこと考えた、でも、これはやっちゃダメだよ」と言いに来るチャンス!
ああ、普段なら戯曲公開するけと、『Ostinato』は無理なんで、公演に来なかったらなんにもわからないです。

2015年6月26日金曜日

血パンダの公演ですよ。

Ostinato

午前様でそのまま力尽きて寝てしまったので、朝っぱらから昨日の日記。
演劇やってまして、血パンダって劇団なんですが、近々公演です。
エンターテインメントなんてのは、選ばれた人気者がやればいいんですよ。そういう人たちの拙い真似っこはしないし、そこに力注いで満足感を模索するくらいなら、最初から違うことします。
ってわけで、好き好んで圧力しかない、わかりにくい演劇やってるんで、そういう覚悟だけして来てもらえると、元本保証はしないですけど、通常、そこそこのリターンはあります。

継続して求めていく価値、その時々のコンセプトとか、そういったことは諸々ありますが、世の中の皆さんというのは、案外そこら辺を外しても、適当なフラグさえ立てればいいというか、悪くても安くても、収まればよしという考え方をしているもんでしょうか。どうも、ベース作ってそれに忠実にやるという動きを理解している人が少ない様に感じる今日このごろ。
経済活動はそれでも大丈夫かもしれないけれど、そうでないものは世の中にはゴマンとあって、さてしかし、どうしたものかと考えることが多くなっています。

コンセプトに対してどう忠実になるかで、遊びの質や楽しさも違ってくるもんですが、こういった時にすぐに出てくる、AはオッケーだけどBはダメってことなら、その境界は何処なの?という問い。
そう問わねばならん段階で、多くはなんでAがオッケーでBがダメということになったのか、その本質を理解していない場合が多くて、本当ならその時点で、向いてないからやめとけと諭せば仕舞いなんですが、なかなかそうもいかないわけで、困ったものです。

何かを実行する集団ができれば、実際にはその集団ごとに厳密に運用される様になる語彙というのができてくる筈で、若者言葉が「仲間の連帯感を高めるために……。」という様な言われ方をしますが、連帯感だけでなく、伝達の効率や何をして何をしないかが、集団内の語彙、言葉の使われ方で決まっていくわけです。
そのうち、あらぬタイミングで、言葉が通じない奴の存在が発覚して、「この期に及んでわかってなかったのか!」という様な事件が勃発するわけですが、集団内の文化の醸成というのは、実際はきちんと脳みそと言語でやることで、そこを面倒がる人ほど実にコンセプトの理解も面倒がるもので、あ、つまり前段の、なかなかそうもいかないというのは、やっぱり間違いですね。
ルールが理解できないなら、このゲームやらなくても死なないから安心して他のゲームやりなよ。というのは、一見酷い話しですが、そもそも人の価値と直接は無関係なので、よしとすべきじゃないかしらと、そんな風にほっこり考える次第。
言葉は発したのか。頭は使ったのか。きちんと確認していきたいものであります。

2015年6月25日木曜日

ホトビジネスのインパクト

TEDxHimiのチームが少しづつ動き出している。
実際には、これから価値を作っていかなければならいノーマークの田舎TEDxで、そもそも来年1月の本番のクオリティが低かったらなんにもならない。
とはいえ、TEDxの看板があればそれでオッケーなので、とりあえずつながっておくということも、不可能ではない。
実行していく以上は、加速して練度も向上させていきたいわけで、斜に構えていては価値の向上に失敗すると考えている。
それでなくても、せめてTEDの動画のなんの価値を誰かに広めようとしたことがあるかという問いにまで口ごもられるわけだから、とりあえず、何か最初のハードルを自分で決めさせてあげるから、それを飛び越えてこっち側に来たまえとしか言いようがない。
成功は分かち合いたいが、当然、失敗の可能性もある。TEDを半端にしか知らない皆さんにはTEDxに関わったんですよと言えば多少の箔は付くのかもしれないが、この遊びの本当に面白い部分は、そんなところにはない。
まてよ?箔さえ付けばいいって連中は、別に面白くなくてもいいのか。これはしまった。
スタッフは絶賛募集中です。価値を広めるとは、どういう行為を言うのか、そもそも価値ってなんだとか、なにをどう広めるのかについて、いろいろやってみませんか?

SMLM

午前中、知人からタレコミ。富山にも「ジェムリンガ」に蝕まれたコロニーがあった。
どれどれと、教わったURLを見に行くと、これがまたとてつもない深さの業を感じさせる。途轍もないと漢字で書き直したい。
しかも、ソーシャルネットワーク界隈で容易に観測されるマルチ文脈との親和性も高く、その香ばしさは、久々に定点観測でもしなければならないのかと五分ほど悩んでしまうレベル。
スピリチュアル、身体、性、女性性。自ら進んで告白していける様に仕向けていく構造。
あまりに熱いので、勢い余ってTumblrに以下のエントリーを上げる。

nakazomblr
http://nakazo.tumblr.com/post/122308226243
考察の行方 
霊感商法だったら商売としてコピーするの難しいけど、ゆるふわスピリチュアルはどこかで占いっぽい妥当さとか、身体感覚みたいなところとかに持っていくことがあって、技術としてコピー可能だったり、商材として扱えるって寸止め感覚のまま、心に入り込んで思い込みに作用するから、そんな意味ではたち悪いな。
自分が体験している状態を、間違って教えられている可能性については、なかなか他人に違うよと言われても、認めるの難しそうだ。
高額の自己啓発に突っ込む奴が、この金で覚悟を買って自分を追い込んで上に行く!のと似たような論法に、更に神秘が交じるわけで、あなたが反発するのも、魂が凝り固まっているせい。とか言われると、その時点で終了だ。
ここにMLMが絡むと、そもそもが信用のストックを消費しながら展開していく宿命上、喉から手が出るほど欲している、クライアントの個人的な納得と忠誠心を入手できるわけで、強い。強いな。なんて強いんだ。
そんなわけで募集します。締め切りは明日の17時。
前金応談と儲け折半で、新時代のSMLM(スピリチュアル・マルチ・レベル・マーケティング)のスタートの理論を教えます。君の覚悟が本物なら、運命は自ずと開ける。
すげぇ将来性のある、社会のためになりそうなビジネスだから、志を応援する意味で大サービス。
だいたい80ページぐらいのパワポ、普通ならこれ、40万相当だよ。って感じの資料を作っとく。無料でつけちゃう。
まずはコメント欄、メンションで挙手。直メッセージは無視すっからね。
覚悟を示せ!
やってらんないっすね。

血パンダの稽古

夜は血パンダの稽古。車が壊れた栗山を拾って呉羽芸創へ。
まもなく本番。役者の仕上がり方はいい感じだが、まだ台本が本当の完成にまではいっていない。
題名は一応、『オスティナート』『執拗音型』『執拗反復』といった辺りから、そのままか、何かこういうことを連想させる題名でいくことにする。というか、明日にはフライヤーを印刷屋さんに突っ込もうと思うので、早々に何か決めねばならない。

2013年7月29日月曜日

背伸びについて考える。

十数年ぶりに劇団を結成して、会場で大道具を制作しているところに、母校の美術部の生徒達が、顧問の先生に引率されてやってきた。
公演は、地元のアートNPOが開催する展覧会に参加している関係で、他の美術作品と同じ場所に舞台を作る。美術部はなんでまた、ぞろぞろとこの場所にやってきたものか、詳しくは聞かなかったが、顧問の先生に作品についてさらっと解説してほしいと言われたので、さらっと解説して、自分で複雑な気分になった。

解説は、概ね以下の感じ。

演劇というのは、大昔は「憎い!殺してやる!」「大好き!死ぬしかない!」という、ものすごい感情で成立していました。
ところが、随分最近になってベケットっていう人が「明日、あのオッサンが来なかったら死ぬしかないね〜」って感じで「待つ」というかなりテンション低い感じでもいけるんじゃね?ってのが提案されて受け入れられて、おお、すげーってなった。
ここから更に現代に進んで、もう、誰かの固有の感情で一本のお話しになるなんてこともなくなって、登場人物の関係性の中で何か描いていくしかないんじゃないかってのが、この劇団血パンダがやっているお芝居です。
今回も、もう無くなっちゃうんじゃないかって仕事場で、皆がそれぞれいろいろ考えてるんだけど、お互い、話しが通じている様に見えて、それぞれ全く違うことを考えていたり、似た様なことを考えている人間が直接ハナシができなかったりと、そんな内容です。基本的に大事件とかありません。
「なんでハナシが通じないの?」とか、「なんで、この間と今、言ってることが違うの?」って気持ちになったことのある人には、丁度いいかもしれないけど、ひょっとしたら、目の前で人が喋ってお話しが展開しているのに、なにがなんだかわかんないってことが起こるかもしれない。

ううん。ぜひ、背伸びしに来てください。

とまぁ、なんだろ。何を喋っとるんだと、俺はと、そんな次第ですよ。
思えば、高校生の彼女たちがこれまで読んだ物語の中に、果たして「憎い!殺してやる!」とか「大好き!死ぬしかない!」ってのが軸になっていないものって、どのくらいあるんだろうか。
強烈なエゴというか、優れた感情というのから脱して展開している物語とか、ちゃんと読まれているだろうか。
背伸びしに来てくださいというのは、数十年前の自分の身に覚えから口走ったもので、背伸びしたい高校生が居る前提ではアリかもしれないけれど、ジャンルの歴史とかどうでも良くなっていたり、莫迦でもオッケーなのが善ってのが、消費側の是になっている雰囲気の今時はどうなの?と、そんな風にも考えてしまう次第。

いや、がんばります。言葉は通じないものだし、戯曲とメソッドは厳しく日本語の現代劇を模索しているけれど、役者が演じているところから更に何か拾える余白があるのが演劇の筈。

そんなわけで、誰にも期待されない場所で、ひっそりと前衛の模索、再開しました。
 劇団血パンダ・トライアル公演「発見」
もうすぐ初日です。