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2013年10月12日土曜日

小ネタを深堀りする観光情報発信

ここにはなにもない。
多分、観光地ではない田舎でよく聞かれる言葉だ。少なくとも、富山県氷見市では氷見には何も無いという人間が多い。こんななにもないところに来てもしょうがない。
日常生活を営む場所で、いちいち見どころを求めて生きている人間は少ない。だから、これはやむを得ないことだ。
高度に観光地化されている場所の住民と、そうでない場所の住民はそこが完全に違い、観光地でない場所に住んでいる人には、敢えてこんな問いかけが必要になる。

「本当になにもないのか?」

氷見市に一体何があるのか。それを細かく掘り下げてみよう。細かなディティールを明らかにすることで、多くの糸口のようなものが見つかる。それを丁寧に発信すれば、氷見という地域そのものに好奇心を刺激される人間に届く。今はそんな時代だ。
ただ漠然と訪れるのではなく、最初からディティールに目がいく様なイントロダクションから始めてもらえば、飯の記憶でも宿の記憶でもなく、そこで過ごした時間全てを持ち帰ってもらえる筈だ。
過ごした時間の記憶の長さと質。これもまた、観光地とそうでない地域には大きな違いがある。
こんな見方をするなら、可能性は何処にでもあると言える。氷見以上に小ネタの宝庫といえる土地もあるものと思う。結局のところ、どんな趣向で日常の時間から離れる手伝いができるか。そこに尽きるし、実際にはそれ自体がとても大きな問題だ。
なにはともあれ、そんな視点でスタートしたからには、これまでと違うものを見る手がかりになるものと考えている。

氷見の小ネタをどんどん叩き込んで行く場所「ひひひひみ」Web版
(残念ながら、ドメインが失効して過去に葬り去られている様です。役所の単年度の事業なんてそんなもんですかね……。)

2011年9月3日土曜日

富山カレーフェスタ2011

(カレーフェスタの組織の性質上、以下の内容は仲個人の視点からの記述で、委員会の公式見解ではないので、その辺はなにとぞ差し引いて読んでください。)


富山カレーフェスタ2011が11月19日/20日の両日、富山市のグランドプラザで開催される。

カレーフェスタ実行委員会のブログ
カレーフェスタのFacebookページ

このカレーフェスタの実行委員会は、もともとTwitterで集まった人間が、Facebookでグループを作り、情報を共有しながらミーティングを重ねて準備に励んでいるという、ちょっと今風の集まりだ。全員のつながりを見ても、Twitterをやる以前から面識のあった人間が委員会の中に3人以上居るというメンバーは稀だろう。
現時点でも正式な委員長は不在。先日新聞の取材を受けた時も、「委員長は?」という質問に「まだ居ないですね。そんな意味ではモダンな組織です」などと答えてしまい、記者さんに苛立たれてしまったのではないかと危惧している。
後日、記者の方に喋った内容と記事を照らし合わせてみるに、内部の人間相手に根掘り葉掘り裏を取ったのは、単に「中心が無い=モダン」という表現にいらっときたから、まともにハナシ聞くのをやめて、記事書くための確認フラグを淡々と立て続けたのではないかと、まさにそんな感じだった。本当に苛つかせていたとしたら、非常に申し訳ない。

単にネットからリアルに流れても、そのまま集合知や個々の力の活用に活路を見出しているだけのリゾーム的な組織というだけだが、世間はまだまだそれに耐えられず、中央集権的な形を好むというのは十分に理解している筈なのに、ありのままを喋るというのは、そんな意味では失敗だし、事前の準備としてそんな形式を整えておくというデリカシーも大切だ。

カレーちゃんサリー着用版
申し訳ないついでにタネを明かせば、イメージキャラクターの「カレーちゃん」など、こういうステキなイラストを提供してくれている、ねぎタンさんに至っては、委員会の人間、誰も会った事が無い。しかし、彼のクオリティや「使ってくれればいいっす!」という一貫した姿勢に、全ての委員が驚嘆し信頼を寄せている。 →ねぎタンさんのpixivの入り口
こういう組織で、アウトプットや行動そのもので個々人がつながることについて何かが不安なら、何が不安なのか教えて欲しい。
個人的にはこんな形には幾度か経験があるし、不安に耳を傾けたこともあるが。これまでのところ、金とか自分の責任に帰結するポジショントークめいた言葉に分解できる意見以外に耳にしたことがない。組織というのは、傍から見ればなんであれ怪しいし、視点が違えば腑に落とすプロセスも違う。

さて、富山のTwitterユーザーの一部でカレーが意識され始めたのは、日曜の昼間からカレーを食うために集まろうぜというTwitterのオフ会が発端だった。そこに12人集が集まり、それ以来、誰かがカレーを食べたとかつぶやこうものなら、\カレー!/\カレー!/とリツイートが帰って来て、タイムラインが\カレー!/で満たされるという現象が始まった。
2010年の8月から9月頃にかけて、「カレー」という言葉が富山でつぶやかれた回数は、全国の水準を軽く越えており、現在も高水準を保っている。
その頃に、食べログに登録されているインド料理の店の数と国勢調査の世帯数を付合わせると、富山県のカレー屋の世帯カバー率が全国3位の高水準であることが発覚した。日本海側で見るとダントツの数字である。

とはいえ、この3位という数字、即座に「それはいいね」となる人間といえば\カレー!/で騒いでいる界隈だけで、他にはピンとこなかったのも確かだ。
富山県内では、高岡でコロッケの町おこしをしてみたり、B級グルメは様々な自治体がそこはかとなく注目しているキーワードだろう。にもかかわらず「カレーが3位」は、「ふうん」「へぇ」で終わるのだ。
ひとつには、やはり「1位」以外には何の価値も無い事、もうひとつはただのチンピラが、ざっくり調べたらこんなでしたという結果に過ぎないこと。単純な説得力不足はあるだろう。ただの事実なんて、誰も喜ばない。
ただ、背景として、富山の幹線道路8号線沿いで、ロシア人と中古車の取り引きをしているパキスタン人の食事場所としてのカレー屋や、「デリー」「タージマハール」など本格系の展開、最近一部チェーンの展開をきっかけに力が入っている金沢カレーとレギュレーションの近い富山の老舗カレー店の存在があることには即座に目が向かない、知識不足というよりは連想力の不足。加えて既存のソースからアクションを起こすこと、その掘り起こしのスタートに関わることに対する腰の重さを感じたことも確かだ。
見過ごされている日常に埋もれた地域の資産というのは、恐らくそこかしこにある筈だ。新たに何かする必要はなく、過去から現在に続いている何かに価値は確実に存在している。何故なら継続しているから。簡単な話しではないだろうか。

などと言いつつ、祭りを中心に据えて人の心に訴求するというのは、古代からお馴染みの中心を作る手法だ。
中心のないモダンな組織とか言っておきながら結局はそこかよ。という突っ込みはさておき、富山はカレーで盛り上がるべきだ。
何故なら、富山県民はカレーという食の存在に価値を見いだし、愛している。統計的に見て外食をしない富山県において、ちょっと調べた程度で本格カレー店の世帯カバー率が高いということが判明する以上、こんなデータから敢えて目を背ける必要があるだろうか。
気覚いてしまった以上、行動しないまま後悔する方が愚かなことだ。

2011年8月5日金曜日

スクリーンツーリズムという言葉を利用して何をするか

8月2日に、富山のサンフォルテで行なわれた『スクリーンツーリズム&観光ICTシンポジウム』を見てきた。
もっと濃い展開になるのではないかという面々が登壇していたものの、微妙に入り口付近をなめただけで終了の時間が来てしまった様な内容だった様に感じる。

スクリーンツーリズムとは上手く片仮名にしたもので、要は映画のロケ地を観光地として利用しようというものだ。『冬のソナタ』がヒットした時の韓国へのロケ地ツアー。逆に、韓国、中国からも日本が舞台になっている映画のロケ地への旅行が話題になっている。アニメの場合、このロケ地ツアーを聖地巡礼と言い換え、2000年代半ば頃からアニメファンの間に、作中に登場する場所に行ってみるという動きが見られる。
富山県であれば、『true tears』の舞台として風景が利用された城端がまさに巡礼先になっている他、今年公開され、各地で単館上映が続いている『ほしのふるまち』でも、原作マンガの時点から舞台となった氷見市内で、背景に利用された場所を巡る人の話しを聞く。

地域にとって、映像、マンガなどのコンテンツを観光に利用というのは、果たしてどの様に実行していくべきなのか、個人的にはその辺りがいまひとつ理解できないでいる。
例えば、私が住んでいる氷見市であれば、巨匠今村昌平の『赤い橋の下のぬるい水』のロケ地で、この作品はカンヌにも出品されている。
この映画については、内容が大人向け過ぎてちょっと使えないというのが正直なところだろうか。タイトルにもなっている「赤い橋」は現在、この橋を赤く塗ったのは塗装業者ではなく、美術スタッフだ。ということがわかる塗装の剥げ方をしており、非常に味わい深いたたずまいになっているが、特にこれを、氷見に来たら見ておくべきものというPRはされていない。
『赤い橋の下のぬるい水』公開当時はPG-15とはいえ、観光客で15歳以下というのは、明らかに氷見市のターゲットではない。むしろ、赤い橋自体は整備しなくても、氷見を訪れて初めて作品を知り、帰宅してから『赤い橋の下のぬるい水』を見て、再び主人公を演じた役所広司の気分で氷見を訪れる50代、60代のおとうさんたちのリピートのきっかけとして、利用できるのではないかと考えるのだが、いかがなものだろう。
ターゲットへの訴求という意味では、どの様にしてターゲットのコンテクストに入り込むかが重要になるのだから、作品そのものが大人向けの良作であればこそ、大人への訴求という条件は十分にクリアできているものと考える。

スクリーンツーリズムは、要は「映像作品の追体験をロケ地でしませんか」という提案で、映像作品を旅のきっかけとして利用しようということに尽きるのだと考えるのだが、そのきっかけとなる映像作品自体は、舞台となる地域には全くコントロールできるものではない。ただ、自分たちにも理解できる、都合の良い良作が次々に目をとめてくれることに期待しつつ、フィルムコミッションを作ってみたり、淡々とロケ地として相応しいと思う場所を紹介してみたりというのは、いつか王子様がという姿勢に見えてしまう。受け皿は無いよりもある方が良い。しかし、積極的に利用する方法については考えられているだろうか。

シンポジウムでは、プロデューサーの阿部秀司氏が、映画を作る時の予算について10億単位の話しをしておられたが、単館系の映画のスタートなど、未だに手弁当だったりとにかくかき集めた300万とか500万という金額でスタートしている。
私がかつて『おそいひと』という作品の企画を立ち上げたときも、若手の芸術家を支援する基金から得た300万円がスタートの資金となった。
先日、この『おそいひと』の監督、柴田剛と会って直近の企画書を見せてもらったが、自分たちで資金調達もなんとかするということで、1200万を調達できれば御の字という規模で計画していた。しかも、最悪パイロット版の製作ということで、300万程度でロケハンとシナハンしながらとにかく撮影するパターンも……。という有様である。柴田の作品は『おそいひと』以降、普通に海外の映画祭にも出品され、現在では長編第一作『NN-891102』にも出品依頼が来る。しかし、国内的な知名度という意味では全く無名だ。
この映画の企画書を柴田剛と一緒に作っていたのは、結構長く続いたビデオシリーズなどを製作していた監督だ。TSUTAYAに行けば彼が製作したDVDがずらっと並んでいるが、それでも恐らく彼自身の名前を知る人は少ないだろう。

昨年、日本の映像文化の発展を促進する公益財団法人ユニジャパンが、まさしく「スクリーンツーリズム促進プロジェクト」としてシナハン、ロケハンに100万円以内という助成を行っていた。柴田剛らが考えていた、ロケハン、シナハン自体を作品に直結していくという方法であれば、この規模の助成が取れればパイロット版作成の1/2〜1/3の資金調達が完了することになる。
映像作家や作品にフォーカスして、情報収集を少しだけ真面目にやれば、国内上映作品のアーカイブやどんな監督がどんな作品を撮ったか、どんな作品が国内ではあまり上映されていない割に、海外に出ているかという事には簡単に辿り着くことができる。そんな意味ではICT活用の基礎部分は整っている。
昨今のアニメーションの公開形態を見れば、従来のスキームにこだわらなければ、パブリシティやマネタイズの面でも、映像作品とICTの親和性は十分に高いことは見て取れる。

映像作品に関わることで何かをしようと考えるのであれば、その根本となる「作品を作る」という点に注目すること、つまり、受け身をやめてスタートを押さえるという戦略は十分に検討の価値があるのではないだろうか。
幾らの予算で、何本の映像作品を世に送り出し、例えばそれを富山県のPR、観光誘客に利用するという長期的な積極策は、十分に立てられるものと思う。