2016年2月28日日曜日

血パンダ公演『夜は』前口上(2016.02.27)

文化を殺して金勘定だけを植え付けるから、ただ生きることから恋愛に至るまで、ありもしない利子の計算が始まり、人の関係はどんどん単純になっていく。
単純な関係しか知らない人間は考えることをせず、簡単に孤独になり、簡単に臆病になり、計算できる欲にだけ忠実になる。その結果、子供は全く計算不能なため、子供を作るという選択は消え、人は絶えていく。

シネコンができるから「街なかに映画をなくしてはいけない」ことが目的だったフォルツァ総曲輪が役割を終えて休館するというニュースに触れて、シネコンで上映される映画と、単館系の映画の違いもわからないという、マーケティングセンスを問う以前の、文化を認識する能力のあまりの低さに度肝を抜かれました。
9年間の映画館運営の果てにこの認識なので、問題は個人の資質ではなく、集団の、もっと致命的な部分にあるのだと考えています。

そんな中で、一般的な認識の枠を超えた場を作りたいというゴールドカレー富山豊田店のオーナー保坂さんから声をかけていただき、今回の公演が決まりました。
フランス料理店が舞台の『夜は』をカレー店で上演できる巡り合わせ。
劇場は最初からあるのではなく、演劇があればそこが劇場になるのだということを体験していただき、場とは何か、枠とは何かを考えてみていただくのもいいかなぁと、そんな風に考えています。

2016年2月24日水曜日

確かに、莫迦なことしてるなぁと思いながら遠巻きに観察することはある。やる奴はやられる。

演じている人間を見るというのは、幼い頃のままごとや、ごっご遊びから人間に刷り込まれた妙な決まりごとというか、習性の様なもので、とりあえずその良し悪しはともかく、演じている状態、演じているのに近い状態を目撃したら、心理的に一定の自動処理があるものだと思っていた。
それこそ、誰かがこう言っていたよと伝えるために、その誰かの発言の部分だけ、口真似まではいかなくても声色が変わる程度でも、それが演じられている状態だとわかる。
微細なものが判断できるのだから、あとはただ見るだけと思っていた。
ところが、世の中そう単純なものでもないらしい。
「バカなことしてるなぁ」というフィルターがあって、そこに引っかかると演じているもへったくれもなく「バカだなぁ」「楽しそうだなぁ」というところで判断が止まるという指摘を受けて、昨日目からウロコが落ちました。

亀吉という名の口パクのカエルから腹話術の練習を「手段の目的化」だと指摘される。

口パク人形が、ホドロフスキーの言葉を聞いて自我に目覚めたかの様にふるまう。

やりとりの内容も構造も、かなり長々と解説はできるものの、そんなことは敢えてするもんでもなし、確かにぶっつけ本番の勢いだけでやっているので、「いい大人がバカなことをしている」ムービーだ。
そうか「バカだなぁ」から先に行かないのか。
なんか作戦考えなきゃなぁ。まだまだクオリティ低いんだなぁ。

あ、真面目にやってる演劇の方の公演がまもなくです。
こちらもぜひ。『夜は』というお芝居で、フランス料理店のスタッフルームが舞台なんですが、それを営業中のカレー屋で演じます。あ、こういうのがいかんのか……。バカフィルターにかかる?バカフィルター?そういえば、『バカの壁』読んでないけど、こういうことへの対処法が書いてある?

血パンダのホームページ
http://blood-panda.net/
血パンダのFacebookページ(『夜は』のイベント立ってます)
https://www.facebook.com/BPchipanda/

2016年2月18日木曜日

箱の運営するってことは、作る側としては終わる気がする。そっちの方が嫌だわ。

映画館兼劇場って感じの文化の中心地の件。
思えばカレーフェスタやTEDxHimiも、ずっとこんな感じがスタートで具体化してやってきてるわけで、今回もそんなノリから始まりでいいじゃないかということだ。
本当に実現できるのかも含めて、ずっと継続して考え続けるし、何年かかってもいい。持ったまま時間経って、腐ってダメになるならその程度のものだったってことだ。
本当は、明敏な運営者が現れてくれれば、そっちの方が俺は自分のことができるので嬉しい。
興味があれば知恵と力を貸しておくれ!あ、金でもいいよ。

映画館兼劇場って感じの文化センターの件。これ実は、都会に出た若者が地元に戻ってくるためにも、結構重要な施設。
劇場がない。映画館もない。ギャラリーもない。公のものは全部埋まってて、現場は優秀かもしれないけど、窓口の奴はちょっとググって裏をとる気も無いのが通常のクオリティだから、何処のコロニーにも属してないみんなには受け皿が無い。皆無。

先に大家さんを発見するよりも、金の準備できてから大家さんにおねがいする方が良さそうだ。ネタの説得力としての金ね。大家さんが持ってるのは不動産だから、向こうはそうそう動けないけど、こっちは身軽。だからせめて、金の分だけでも重くなっておきたい。

クラウドファウンディングは、実際に運営を始められたら、その時には挑戦してみたいネタがあるので、立ち上げはとにかく泥臭いお金集めだ。

【最初の行動?お題ふたつ】
1.お金って、こんな場合どこから引っ張るもの?
自慢じゃないが、パソコンがあればなんとか仕事になるというレートの低さで、ちんたらちんたらやってるので、ちゃんとしたお金の集め方がわからない!
金主を探さなきゃいけないんだが、こんなね、ほぼ手ぶらでネタしかない場合、そもそもどうやって探すものかもわからないので、俺知ってる!って人は教えて。
能書きならある。プレゼン資料作る。えーっと……。事業計画も?まあ、そこら辺は任せろ。

2.みんなでゆるふわひきよせ!
みんなでロト買ってほしい。で、一等当たった人がいたら、当選金額の中から1億+αだけ俺にちょうだい。これ、多分、何気ない遊びで大勢でやると効く気がする。運命の束。束になってかかれば、なんとかなる気がするから不思議!

【おまけ】
フォルツァ総曲輪が今からみんなでギャーギャー言って存続するならそれはそれ、しなかったら、富山市で「文化」とか口走る役所絡みの人間と会うことがあったら、赤ちゃん言葉で優しく話ししてあげる。漢字やカタカナで喋るのもやめる。
これは、覚えている限り飽きるまでやるつもりなんだけど、みんなもどう?

2016年2月17日水曜日

いや、本当に文化との接点ってそんなに軽いもんじゃないって。無いこととか消 えることに慣れすぎ。

再開発しました。シネコンできるから3セクのミニシアターやめるね。というアナウンスの中に、「ミニシアターが担ってた単館系の映画の上映はシネコンで継続すっから」が無いってことは、シネコンでやる映画は、イオンやらファボーレのシネコンでやる映画と一緒かもしれないってことだし、フォルツァ総曲輪のホールの方を使ってる人たちも、そのまま解散でいいの?

なんとなくネット上を探してるんだけど、文句言ってる人をほとんんど見かけない。
Facebookの検索機能の弱さが恨めしいけど、本当にギャースカ言ってる人間が少なくて、そっちにも違和感感じる。というか、なんで文句言わないんだろ。

文化との接点を殺す、センスのかけらもない判断ですよ。9年もやっておきながら、思春期が大人の仲間になるだけの十分な年月を経たというのに、蓋開けてみたらフォルツァ総曲輪って場所から全くなんにも学んでなかったって雰囲気ですよ。
コンテンツの多様さとか、映画館の維持がとかいう決まり文句を持ち出す前に、シネコンとミニシアターの客層の違いが頭の片隅にあったのかすら疑わしいわけですよ。そこに集まっていた人やら客の顔が見えてないんだ。
富山市の3セクですから、富山市マターですよとかって言うんだったら、氷見市の魚々座みたいに、地元民と地元じゃない人間で料金傾斜かけるぐらいして、地元じゃない奴らはイレギュラー。でも、入り口まで来てるんだし、仕方ないから入場させてやるよ。って、そんなことしてないじゃないか。ってことは、金払えば皆等しい客だよね。やんごとなき納税者様には、市の広報かなんかで、ちょっとぐらい上映される映画の情報をあげてたの?

ギャーギャー言わないと、ほらね。一部の愛好家以外は、誰も文句言わないじゃんってなるよ。
ハゲが文句言ってるじゃん「いいね!」するよ。じゃないんだよ。
俺は、場を殺される側なので、完全に一部の愛好家よりも悪い、実際はあんまり関係ない利害関係者。
ハナクソにもならないノイズ。「なんか絡みたくて言ってるんじゃない?」って片付けてもオッケーなカテゴリーに入ってるんすよ。
今までも場所無いねって思いながら演劇やってたけど、自力でなんとかなるわってのも正直なところ。氷見駅前の工事が終わって、氷見キネマが再開したら、単館系のいいやつが回ってくるし、フォルツァ行くよりも近い。
それとこれとは別だ。別だよ。あの場所で、一回でもなんかしたやつ、一本でも映画た奴は、それが自分の血肉になってない。まるで無駄だったってんなら適当でいい。でも、そうでないなら、文句言うべきだ。血肉になったんだろ?おまえ、身を切られたぜ。
でないと、同じ様ななめた真似する奴が、近所で出てくる。平気だぜ。何人居ようが「市民」とは別扱いの「一部の愛好家」ってやりゃいいだけだもの。

文化、みんなの地元にあるでしょ。それだけで満足しとけよ。獅子舞とか曳山とか最高じゃん。映画とか芸術は、なんか適当にチャンネル用意しとくよ。業者も居るし、他にも代わりあるからいいでしょ。って、これはもう、マンガが無いなら絵本を読めばいいよ。嫌なら都会に行け。って言われてるのと同じですよ。
どうやっても代替品にならねぇ。でも、それが認識されてるか疑わしいので、みんなで文句言いませんか?

2016年2月14日日曜日

富山県唯一のミニシアターが、近所にシネコンできるからやめちゃうんだって。

アホみたいな単純計算で申し訳ないんだけど、年会費1万円でフォルツァで上映される映画が一年見放題って賛助会員を2,000人集めたら、フォルツァ総曲輪って存続できるの?
集まるお金が2,000万円。昨年の助成金が1,544万円。
年間かかっちゃうお金って、そんな単純なもんでもないか。
でも、富山市民が418,961人。富山県民で数えたら108万人。その中の2,000人を募るって、数字的には凄くイージーじゃないか?
単館系の映画見たい層が、人口の1%を激しく切るなんてこともないと思うわけだよ。
文化大事って建前で動かなきゃいけない新聞とかテレビ局なんかに、率先して結託して協力してもらえればいいだけな気がするよ。
とりあえず、中日新聞のWeb版から引用。
http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/news/CK2016021102100010.html

 富山県内唯一のミニシアターとして市民や映画ファンに親しまれてきた富山市総曲輪のフォルツァ総曲輪が9月末で映画上映を休止する。6月に近くの再開発ビルでシネマ・コンプレックス(複合映画館)が開館するのを受け、市と運営する市出資の第三セクター会社「まちづくりとやま」が判断した。9年間にわたり館を支えたファンからは惜しむ声が上がりそうだ。(松岡等)

 フォルツァは、市中心部から映画館が次々に廃業した二〇〇七年二月、閉館後の映画館を活用してオープン。当初はまちなかで映画を見られる環境を維持しようと、市民有志らが運営する公設民営の施設としてスタートした。現在は市の補助金を受けて「まちづくりとやま」が運営している。昨年の補助金は千五百四十四万円。