2014年9月26日金曜日

アイディアをシェアして世界が変わるかって、何を見て何を考えてしまうんだって話し。

TEDxを富山県内で開催すべく、普及活動ということでTEDを利用した勉強会の運営に加わって間もなく一年になる。
今月のネタはこの動画だった。

動画から見て取れるプレゼンを上手くこなすためのツボを皆に解説するというのを担当しているのだけれど、動画を見た後、13名の参加者に聞いてみた。
「家に3冊以上詩集はあるか?」
「日本の現代詩の詩人と言われて、誰か名前を挙げられるか?」
「何か、詩をそらんじることはできるか?」
回答は無かった。
「短歌や俳句でもいいから……。百人一首は?」
これも、反応できる人は居ない。

この動画を、いじめられた経験の告白と見ることは簡単だ。いじめ、カッコ悪い。問題意識を持ったり、自分と引き比べて共感してみたりしてもいい。
折角なので、いじめを撲滅するためになにかできるかと考えて、結局なにもしないのはよろしくない。実は、この動画を見て心動かされた人には、簡単に実行できることがある。
このスピーチをしているのは詩人で、昔いじめられていた彼が、皆の前で詩の力を見せつけている動画だ。
だから、彼が発揮している詩の力の存在を信じて、詩人の詩を読もう。

生活の中で、言葉による美的体験を与えてくれるものに触れる機会を、どのくらい意識して持っているだろうか。
言葉による美的体験を作り出す最前線で身を削っているのが詩人だ。
詩人の詩集を買って読む。これだ。
みつをじゃない。詩人の詩だ。折角なので、思潮社って出版社が現代詩文庫というのを出しているから、とりあえずそこから見繕う感じでどうだろうか。

国語の教員が詩の指導ができないと言っても軽く見られたりクビになったりしないのは何故だろうか。
日本語が和歌や俳句という短い定型詩の形式を持っているにも関わらず、いざ「暗唱できる詩はあるか」と問われると「ひとつもない」と答えてしまうのは何故か。

ふるいけや かわずとびこむ みずのおと
なつくさや つわものどもが ゆめのあと
さみだれを あつめてはやし もがみがわ

これだけでさらっと3つ。頓知でもなんでもない。

芸術がわからないひとつの原因は、芸術に触れていないからだ。
触れるモチベーションをくれよなんてのは、単に人生を豊かにする美についての教養を拒否する姿勢だ。
それは浅薄な教養拒否主義の告白に過ぎないが、そこからどうしても離れたくないなら、気の効いた経済学者が詩を読まなかったことによる機会損失と一生のうちに被る経済的被害について算出していないか、心ゆくまでインターネットでも使って探してみればいい。
美しいものに経済効率を求めるからおかしなことが起こるし、美しいものからは心を刺激され、圧倒されることだけを求めればいいのに、そこにすらモチベーションとかいう姿勢から、考え直してみるのも良い。

わからない。はなしが合わない。これだって立派ないじめの根源になる。
美しいものを語る言葉を使う連中とは話しが合わないと感じるなら、まずは言葉に慣れてみることから始めてはどうだろうか。
言葉の暴力には簡単に触れる事ができるのに、言葉の美に触れる事を放棄するのは、それなりの時間を生きて呼吸している大人としてどうだろう。

気をつけて20時間練習すれば、そこそこいける様になると説いて実際にやってみせているTEDの動画がある。

日本語字幕が付いていないので、動画の内容を日本語に書き起こしたサイトのURLも貼っておく。http://logmi.jp/12933
詩に馴染むために時間を使うなら、こんな感じだろうか。
  1. どんな詩人が居るか調べる。
  2. 良さそうな詩集を買ってみる。
  3. 気に入った詩人を見つける。
  4. 詩に慣れるぐらい読む。
  5. 音読や暗唱もやってみる。折角だからスマホを持ってたら上手く声に出せているかもチェック!
詩人になる必要はない。
「深く語ることはできないけれど、なんだかいいものだよ」と、誰かに言える様になるだけでいい。
考えてみよう。そんなものを幾つ持っている?
ここまでくれば、少しは使う言葉も変わっている筈だ。言葉が変われば世界は変わるわけだから、そこから確実にスタートできる。言葉の根源の一部に触れているのだから。言葉の暴力についてもこれまでより深く考え、生活できる様になっている。つまり、行動できる様になっている筈だ。

2014年9月9日火曜日

田舎でも、面白おかしくIngress。

近隣の啓蒙派はどういうわけか、万里独行無双型のプレイヤーばかりで、CFどころか、ポータルを青にすれば間を置かずにやってきて壊していくので、おかげさまで低レベルプレイヤーの早期育成に全く困らない。
ただ、精神衛生にはあまりよろしくないのも確かで、そういうゲームとはいえ、賽の河原とは斯くの如きかと思わないでもない。
が、こうなると人間また楽しみを見つけてしまうもので、ここを潰したら来るだろうか、ここにこんなリンクを張ったら飛んでこないだろうか。こんなことしたら、あんなことをしたら、やった以上にいろんなことされるんだろうか……。
などと考えながら、自分のできる範囲と時間を工夫してプレイに励むわけだ。

万里独行無双型

田舎のIngressは車移動が常。
近隣の啓蒙派が概ね万里独行無双型と言ったが、その中でも、八月の半ば頃から抜群のプレイ時間を誇る綺羅星の様な啓蒙家が居る。
一応は社会人らしいと、たまたま補足した別の啓蒙家から、それとなくは聞き出しているものの、朝恐らくは客先に直行ということで始業前の時間からプレイを開始し、あわよくば直帰をもぎ取って、ともすれば隣県のポータルにも足を伸ばす力の入り方に、我々抵抗派一同、恐れをなしている。
朝の部、午前の部、午後の部、夕方の部、夜の部、深夜の部と、全く抜かりなく、ともすれば終了の場所と次の日の開始の場所が近い場合には、すわ車中泊かと、とにかく抵抗派連絡用のハングアウトでも、彼の話題が出ない日は無い。

今日の昼のできごと

今日、少しでかける用事があり、なんとなくルートを思いついたので、多少の寄り道にはなるものの、都合4カ所のポータルを落とし、リンクを張りながら往路、目的地からの復路でなんとか多重を完成させられないかと考えて動いてみた。
ポータルをひとつ落とし、自動車で8分の場所にある次のポータルを奪取。
そこでハックしても鍵が出ずに難儀していたところ、先に落としたポータルに早くもお運びがあるとアラートでわかった。件の啓蒙家だ。平日の昼前だ。
さて、当初考えていた多重リンクの点を変えたものか、どのみち帰りも寄れるから今はとりあえず、あまり考えずにおくか……。という調子で、とりあえず2番目のポータルから3番目のポータルに移動しそこを解放したぐらいのタイミングで、2番目のポータルが攻撃されているアラートが出た。付いて来た。
都会ではひっくり返したり、ひっくり返されたり日常茶飯事かもしれないが、平日の昼間に敵エージェントに後を追われるなんて経験をした人は少ないのではないだろうか。最初のポータルと2番目のポータルの距離は車で8分。2番目のポータルと3番目のポータルの間は車で4分の距離だ。
意を決して2番目に戻ってみた。居なかった。
そこには、L7とL8のレゾネーターが挿されたポータルが残されているのみで、噂の無双啓蒙家の姿は無かった。とりあえずポータルを取り戻して、もう一度3番目のポータルに戻る。そこにも姿がないことを確認し、4番目のポータルを目指す。
が、走り出して3分もしないうちに、攻撃のアラートが出る。彼だ。
この時点で、私は4番目のポータルに向かう事を諦めた。多重を張ってから攻撃してくれれば、せめて、CFのひとつも作ってから攻撃してくれれば、餌食としても、もっと美味しかったものと思う。

今日の夜のできごと

そもそもが一昨日のことになる。
抵抗派の先達から、隣県の山中に作ったポータルが生えたものの、すっかり道を忘れてしまって放置してあるという話しを聞いた。
場所は思い当たる。確認したところ、まんまと啓蒙家に発見されて、レベル1のポータルとしてintel map上では発見しにくい状態になっていた。ガーディアンのメダル目当てだろう。どちらにせよ、啓蒙派に場所が知れている以上、このポータルの存在を明らかにしなければならない。
それ以上に、これを私が取れば、恐らくはこのポータルを落としに、無双啓蒙家が万難を排してここを落としにくることだろうと、そんな期待をした。
昨日、その山間部の手前の地区に用事があったので、それをこなすついでに早速そのポータルを奪取し、レベル5にしてわざと長いリンクでCFを作った。ここまでが昨日のこと。
今日の夕方のことだ。昼に私を追ってきた無双啓蒙家が隣県で活動していることを確認した。直帰からの小遠征と見て取れ、あるいは山中のポータルにも立ち寄るのではと期待はしたものの、距離的にも車で1時間以上かかる。恐らく、彼に土地勘は無いものと思うし、日も暮れかけていて、到着する頃には暗くなっている時間だ。
だが、彼は期待を裏切らなかった。僻地ポータルを破壊し、一本挿しでもなんでもなく、きちんとレベル5ポータルを構築して、レアのシールドとフォースアンプを挿していった。
さて、その僻地からの戻りが問題だ。彼がホームタウンに戻るには、遠回りするか、暗い山中を行かねばならない。
1時間ほどで下山して、何処かを攻撃しながらホームに戻るものと思っていたが、2時間以上音沙汰がなく、少々心配になり始めているものである。
Ingress恐ろしい遊戯……。

少し心配になりましたが、どうやら啓蒙派8ポタ脇でのんびり補給しているところを目撃された模様。少しだけほっとしました。
地元民の他はちょっと抵抗を感じる場所を混ぜ込みながら、これからもポータル申請に励みます。

2014年9月1日月曜日

平常時は無敵扱いの愛で地球が救われたことがないから、愛は地球を救うって宣言したら強いフレーズになる。これ、大声で言うにはセンスやそれらしい覚悟が必要ですよ。

残念ながら中学に入った辺りから24時間テレビを見ていないので、もう30年近く縁遠い番組なのだけれど、毎年みんな飽きないなぁと思いながら、今年も近年のループネタ、「ボランティアとギャラ」「仕込みやらやらせ」という話しで盛り上がり、なんだかんだで、みんなテレビ大好きだよなぁと、それはもう、ネット経由でも十分に目に入るので、つらつらと考えていた。

諸々の啓発と、いわゆる弱者やハンディキャッパー、社会的なマイノリティな皆さんと、そうじゃない人々が、立場の違いから生じる互いのロジックとエゴを丹念にぶつけあうだけの24時間テレビをやれば、万事解決じゃないだろうか。
あとは、露悪的にならないバランス感覚にお金を十分にかけて、そういう番組に対して、地味過ぎとか辛いとか、そういうことを理由にオワコンとか抜かす奴を吊るし上げるネット工作員も組織してガンガン雰囲気作ればいいんじゃないだろうか。

『愛は地球を救う』と言い続けるには金がかかります。当たり前。普通に不可能への挑戦を叫んでいるわけだもの。新規顧客を獲得する以上のコストかけないと、どうにもなりませんよ。本当に救う様になったらハッピーなのに、みんな文句ばっかりですよ。
こんなんじゃ、下りのエスカレーターを並々と水入れた紙コップの水をこぼさない様に走りながら、上に豆腐を配達しようとしているみたいなもんですよ。
だからこそ、やり方がクールじゃないからダメ呼ばわりされるわけで、それが昨今、インターネッツのおかげでクールじゃねぇなと下るエスカレーターの速度が加速しているわけですよ。
現状、全国で「いいこと」に協力しているつもりになっている人々は十分に組織されているんじゃないかと、そんな風にも見えているわけで、風評が本格的になって面倒なことにならないうちに、「ボランティアとギャラ」「仕込みやらやらせ」とかでループして喜ぶ様な邪魔な芽は摘んでおくのが丁寧な仕事じゃなかろうかと考えるものであります。負けないでいただきたい。

命を削っているこん平師匠に大歓声あげている連中はTwitterで確認しているので、本当にもう、テレビの前の皆さんというか、ネットとテレビを併用している皆さんを、剣闘士が残虐な方法で死なないとおさまらないローマ市民の出来損ないみないたいな状態からなんとか救い出して欲しいものであります。
というか、命削るのも仕事ってメンタリティじゃないかと推察できる人に、わざわざ命削らしてる段階でノーアイディアだよ。
明敏に皆さんを満足させられるのは、きっとテレビだけだ。で、テレビでしか実現できないってことは、そういうテレビ番組には大勢の人が関わらないと成立しないと思うから、当然お金かかる筈だ。です。

あれ?見てないから言えるだけかな。実際、24時間テレビ見たら腹立つかな。
というか、こんなことに頭使いたくないので、本当に来年からはお願いしたい。
俺は自衛のために夏の終わりにネットつながない期間をもうける方向で今から修行しようと心に誓いました。

なんと!書きながらなんとなく思い出した『タイトルの魔力』Kindle版だけになとる!