2011年8月1日月曜日

Web上に何かを出力するスタンス。

Twitter、Facebookが日本国内でなんとなく定着して、それぞれの使い方が模索されている中で、ブログやmixiを辞めたという話しも普通に耳にする様になって久しい。
日本人は、Blog登場以前からWeb日記を公開して互いの日常を報告しあうという習慣も持っていたわけだが、それを当時話題になったSNSにしっかりと組み込んだのがmixiだったと考えている。

Web日記と、それを書きたい、読みたいという日本人のメンタリティが大きく変化しない限りは、mixi自体がどうなるかはともかく、mixi的な場は無くならないだろうし、それぞれのプラットフォームの持つ時間性や、場の特製を考えると、Google+の今後の最適化を以てしてもBlogとWeb日記が消えることはないだろう。
Twitterが流行した時に放棄されたブログやWeb日記は、実際のところ筆者にとっては、時間性のそぐわない出力先だったのかもしれないと推測している。
これは、何を書いていたかというよりは、どんな姿勢が筆者にとって自然で、最適だったかということに直結していたということだ。
日々の細かなネタの報告であれば、実際、Twitterの軽さと速さ、フォロー関係の適度な距離、それが練れてきた際の類は友を呼ぶが故の居心地の良さは、十分な満足感を与えてくれる。写真との連携も容易で誰かからのコメントも軽く得られる、素晴らしいプラットフォームだ。
同じ理由で、mixiで充足しているユーザーは、現時点でもmixiから別のサービスに移動する必要を感じていないものと思う。

何故、そこに出力するのかということを考えた場合、その全てを承認欲求と片付けてしまっては少し寂しいものもあるだろうが、自分が見た事、聞いたこと、自分の考えを誰かに伝えたいと思うこと自体が、全ての出力の原動力だと思われる。
いろいろな意見はあるだろうし、数字としてアクティブユーザーの動き云々というデータもあるかもしれないが、人と人の自然なネットワークというのは、結局は類が呼ぶ友であり、同じ匂いの仲間というものにどうやったら会えるのかということに尽きていく。
IT系の仕事をしている以上、ここに商用、ビジネスでの利用という要素を加えて考察しなければ、誰からも評価されない日記になっていしまうのでもうひと頑張りするが、果たして人は、自らの特性をしっかりと見極めて出力しているのだろうか。また、それをきちんと指南してくれる業者や参考書と出会えているのだろうか。
Twitterで人に絡まれることは、可能性として考えられる。基本的に、顔見知りから数hop程度にしか伝播しない筈のFacebookのコメント欄ですら意見の相違を目の当たりにすることがある。
何かの行動と良しとみるか、不適切と見るかは、そのまま、プロフェッショナルとしての姿勢の問われ方、ターゲットとしている客層へのアプローチに直結している。この点について、良い仕事をすると見せるために、どこまで口を閉ざしていられるかのバランスが、とても重要な要素だということを教えてくれる本や、そこまで突っ込んだ勉強会の類いは少ない様に思う。
となれば、結局はどこの企業で躾けられたか、起業前の経歴はどうかというスタートラインから日本の会社はなかなか抜け出せないのではないだろうか。

口を開けば、誰の仲間かわかる。その事実にあまり目が向けられないまま、これまで以上の人が、自分の時間性にあわせて公に近い場所で出力し続ける時代になっている。自分の作品を書くという初期衝動の実現からドロップアウトした身としては、いろんな場所にいろんな形式の出力先があって、非常に複雑な気分だが、楽しくもある。

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