Facebookがユーザーの感情操作の実験をしていたそうで、倫理に反するとか騒がれてますが、確かに気分は悪いですね。
最近、Facebookユーザーを対象に、本人の了解なく一週間にわたる感情操作実験が行われていた。予算の一部は陸軍から出ている。この研究は、ユーザーのニュースフィードの内容が、ユーザー本人の感情形成に影響を与えるかどうかを発見することを目的とし、歪曲されたコンテンツを見た後の投稿内容のトーンを測定することによって判断するものだ。とはいえ、人間なんてのは、近くに居る誰かに影響されるのは当たり前で、Facebookともなれば、本当ならちょっと縁遠い人の行動やら感情まで見えてしまったりするんですよね。
70万人近いFacebookユーザーが、ポジティブあるいはネガティブに偏ったコンテンツを見せられた。研究の結果、ポジティブなニュースフィードを与えられたユーザーはよりポジティブな内容を投稿し、ネガティブなニュースフィードを与えられたユーザーはネガティブな内容を書き込んでいたことがわかった。
http://jp.techcrunch.com/2014/06/30/20140629facebook-and-the-ethics-of-user-manipulation/
そうなると結構客観的にボスとかリーダーへの追随やら、馴れ合いのコロニーやら、職業やら出自の違いやら、罪の無いルサンチマンの噴出(笑)なんてことは、日常的に観察できるわけじゃないですか。
そこを更に操作しようだなんて不潔よ!とか、そういうことなんだけど、そもそもFacebookやってたら妙な耐性が付く様に思えるんですが、ダメ?俺だけ?
何かを見て何かを考える前に、感情に走っちゃいかんですよ。テレビ相手に本気で怒ったり泣いたりする人とか、いまどきはドン引きするじゃないですか。
訓練されていない個人は、普通に感情を垂れ流すんですよ。そこに対しては「腹でも減てるのか?」「ハグが足りないのか?」「いい気になるなよ、このエロガッパ!」とか、愛らしいツッコミの応酬でハハハと笑うのが、平成の世で推奨されるインターネッツ江戸しぐさってもんでしょ。
アホのコロニーにアホと言ってはばからない勇気と、そのアホと同じ様なアホコロニーを持たない奴だけが、アホにアホと言えるんだぞ自問しろ。というジーザスクライストの教えがおぼろげにだけど記憶に刻まれていることを、改めて自覚させてくれる。Facebookってのは、そんな風にありがたい存在だと考えるわけです。
読まなあかん本が多過ぎて時間は無いんだけど、なんとなくで生きるには人生が長過ぎると思える程度にインターネッツは機能しいて、ネット見てたらよくわかるのが、立ち位置が違えばロジックも違うってことで、だからこそ、全一の何かに従しようぜ!みたいなことをしている連中が、いかに不健全かがよくわかると思うんですけど、いかがなもんですかね。
ネガでもポジでも、絶対位置は同じで、それこそ人を巻き込んで共感程度で集金したり、カモったりカモられたりで組んず解れつしない分、ネガ側人達の方がマシな気がしますよ。
ネットを捨てて町に出ろってことじゃなくて、普通に頭使おうよ。お前は誰だ?ってことですよ。
インターネッツのこうしたサービスについて言うなら、マーケティングされない権利は必要かもしれないけど、まだまだ先の話しになりそうだから、地味に自己防衛しようぜということでもいいかもしれない。
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