2015年9月1日火曜日

なにおまえみたいなチンカスが靖国の話し?とか、そんな感じで恐縮です。それはそうと、どっかにMincraftのサーバにできそうなPC余ってないですか?

黙々と考えているとろくなこともないもんで、やっぱり出力していくことは必要という9月のはじめ。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

チューニングはじめました

マインクラフトのサーバをチューニングしようと黙々と項目出してますが、そもそも10年前のマザポのマシンでCPUがPentium3です。誰か中古の適当なPC捨てられずに持ってたらください。
アイディアとしては、LinuxでRAMディスクに放り込んで動かせば、いい感じなんじゃないの?というところ。
もうしょうがないので、家のルーター兼Mincraftサーバとして運用すりゃいいんすよね。最終的にはそんな感じに収まる方向で目論んでます。
5人ぐらいで遊べりゃいいて話しなので、メモリ8G積んでシステムごとRAMディスクに放り込んで、ハードディスクは完全にバックアップ。Core i3ぐらいのCPUがガンガン回ってりゃなんとかなるんじゃないかなぁ……。
とか、中古のマザボやらなにやらも眺めながら、手元にある古PCの解体廃棄も進めております。
マシンにお金がかけられないからチューニング。ずっと昔、先輩に聞いたニュージランドのゼロヨンの現場のようですが、まぁ、なんとかなるのかしら。

大阪への行き来といろいろ考えたこと

8月も終わろうというタイミングで、大阪の布忍神社に行ってきまして、宮司から招集かかって実際に集まるまでに数カ月というのも、いかがなものかと思いつつ、子連れ強行軍してきました。
サービスエリアでやってる妖怪ウォッチのスタンプラリーをやりつつ、ひたすら進むわけです。帰りも同じくそんな調子でした。
Ingressも同様なんすけど、途中のハックも忘れてなかったんですが、こちら、本当は150ぐらい欲しかったユニークは、ろくに稼げずじまい。なんともはや。

そもそもなんで招集かかったのかという用事は、とうにうやむやになっておったのですが、なにはともあれ、とてつもなく久しぶりの布忍神社でありました。

本当は酒飲みながらのんびり他の話ししたかったんですが、こんなご時世なんでそうもいかず、結局は日本人がそもそも何を畏れ敬っていたのかなんて話しになったわけですよ。
なんつうか、あれっすよ。靖国神社って、なんでその機能を各地の神社に完全に任せないんですかね。もしくは、ゆるい上位互換ぐらいにとどまっておけばいいのにと考えた次第。そもそも組織がどうのこうのとか、そういう手続きっぽいのは置いといて、いかがなもんでしょう。

靖国神社のサイトの「靖国神社について」http://www.yasukuni.or.jp/history/detail.html)のページによれば、明治天皇の命により、明治維新界隈で亡くなった人を祀るための神社を作ったという話し。なんでそこからガンガン膨れたものだろう。
最後のパラグラフ『靖国神社と日本人』のこれですよ。
我が国には今も、死者の御霊を神として祀り崇敬の対象とする文化・伝統が残されています。日本人は昔から、死者の御霊はこの国土に永遠に留まり、子孫を見守ってくれると信じてきました。今も日本の家庭で祖先の御霊が「家庭の守り神」として大切にされているのは、こうした伝統的な考えが神道の信仰とともに日本人に受け継がれているからです。そして同様に、日本人は家庭という共同体に限らず、地域社会や国家という共同体にとって大切な働きをした死者の御霊を、地域社会や国家の守り神(神霊)と考え大切にしてきました。靖国神社や全国にある護国神社は、そうした日本固有の文化実例の一つということができるでしょう。
なんでこう、そもそもは普通のレベルの話しな筈なのに、わざわざ靖国神社にまとめてややこしくするのかって話しですよ。と、こんな風に表現すると簡単にしすぎですかね。
明治天皇が必然的にやらなあかんかった崇敬と、それ以降のことって今ひとつ違う感じがあるんやけど、そこら辺いかがなもんなんだろ。
そこで祀るってことで何がしたいのかって話しというか、明治天皇が明治維新を経て、そこに神社を置いた理由は確実にあるわけで、本来期待される機能に対しての純粋さって保たれてるんだろうか。
最近の英霊ってのは、放っておいたら菅公みたいに雷落とす可能性ってあるんすかね。維新の皆さんは、ひょっとしたらあるかも。や、これは現実の現象としてというより、何かをそう見做す畏敬の形としてって話しなんですけど。
そういうことも含めて、断面としての明治維新、廃仏毀釈、それ以降の戦争と敗戦と、そういったことの前後について考えていきつつ、靖国ってどうよ。先祖ってなんだよというのを考える必要はある筈。

で、明治維新以降ってのを見渡したら、やっぱり天下国家じゃなくないかと、そんなもん、昔から無かったというか、西洋から輸入して無理やり運用しているだけのもんじゃないのかと、そんな疑いすらチラホラ感じる昨今ですよ。
やっぱり、個人やらご家庭レベルでの普通の崇敬とか、氏神様とか、みんなの足元はどうなのってところから、あ、ようやくこの辺で、いつもの左右揃ってもうちょっと真面目にやらないのなんなの?って話しにつながりそうですね。

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