2014年7月17日木曜日

おまんこをカジュアル化するためには何が必要って、逮捕は幸先の良いスタートじゃないか。がんばっていただきたい。

【7月16日の夜、寝る前にFacebookでつらつらと書いたものを、ちょいと要望があったので、多少書き直してこちらに転載】

オッサンがたまにまともなことを言っているのでシェア。
流石であります。意見が合う合わないは世の常。やっぱり普段から横目で見ておかねば。
以下、引用は冷泉彰彦氏のブログから。

漫画家で美術家の「ろくでなし子」氏が逮捕されました。「わいせつ電磁的記録頒布」という容疑で、警視庁保安課が逮捕したと発表しています。問題視されたのは、女性器を「下卑たものとして扱うな」とか「自分にとっては手足と一緒」だという同氏の主張を込めた一連の創作活動の一部についてでした。
 報道によると、ろくでなし子氏は女性器をかたどった小型ボート(ネット上で見るとバナナボートのパロディのようです)を制作するためネット上で寄付を呼びかけ、寄付をした人に3Dのデータを配ったことが問題とされているようです。
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2014/07/post-664_1.php 

全文引用してもアレなんで、読んでください。思想信条というのは、こうやって大事にしなあかんと思うので、後はだらだらとまとまりなく書き垂らして本日の営業を終了します。
俺としては、ろくでなし子の活動自体は特段熱烈に支持するものではないんだけれど、皆が普通に共有している概念を脅かしたい。「おまんこ」を今の状態から変えてしまいたいという意図については、よく伝わってくる。
なんの臆面もなく手前味噌で恐縮だが、セーフプロジェクトでも、皆さんの語彙を積極的に汚染するわけで、概念を変えるというのは、俺もやりたいことではあるので、気持ちはわかるつもりでいる。

幸いなことに、セーフプロジェクトを通じて「みつを撲滅」を叫んでも今の日本では逮捕の理由にならないし、オマンコではないけれど、作戦チンポッポーは昔から利用させていただいていて、Twitterなんかではシモネタやらくだらないことを適時挟んでおけば、多少突っ込んだ意見をつぶやいても、ややこしい人に絡まれにくい上に、この煙幕に耐性のある人間とは適度に刺激しあえるという便利技。これは普通に成立する。
「あの人、ちょっと頭がおかしい……」といろんな人に思われてしまう諸刃の剣だけれど、なんつうかTwitterはあくまで適度に頭使う娯楽なので、煩わしいのは嫌だし刺激は大事だから、積極的に変な人でいいや。というのが私のスタンスであります。
ろくでなし子は、今の世の中で作戦チンポッポーだけが成立して、作戦マンコッコーが成立しないのはおかしいって言っているわけですよ。
男女は平等だろうし、確かにおかしいという彼女のロジックは、多分誰もが理解できる筈だ。この点は支持したい。

支持といえば気になるのは、猥褻な3Dデータを買ったとされる男性の存在。
彼はお巡りに「バカ!こんなもん猥褻のつもりで入手すっかよ!おちつけ!」と言えたのか言えてないのか。
テキトーに共感する程度の奴を、こういった、ちょっとラジカルかもという活動に引き込むのは危ないってことを、今回はよくわからせてくれた様に思う。

ってわけで、芸術の連中は芸術の言葉で、テクノロジーの連中はテクノロジーの言葉で、フェミもアンチフェミも。
各々の思想信条の部分が問われている。斜に構えたペンネーム使ってる女のマンコのプロジェクトだけにくだらないとか思うかもしれないけど、そこをなんとかしたいってのが活動の本質だっただけに、捨てた奴から脱落していく素敵な構造になっている。
そういえば、法律の人達は安定して法廷でどうするってロジックに落とし込んで行って、それはそれでマンコのカジュアル化という意図から少しずれていくのが面白いところ。
卑猥か卑猥じゃないかでないと成立しないんだろうけれど、おまんこの解放ってのは、猥褻なままでいいので、チンポぐらい気軽なものにしろよということと理解している次第。

そう思うとやっぱり、「逮捕は美味しいからがんばれ!」と、本人に伝えるのが一番なんじゃないのかと考えるわけだ。彼女にはここで頑張っていただいて、回り回って「ええじゃないか」につながらないかなぁと、ほのかに期待しております。かなまら様だけじゃなくて、桃色の巨大な女性器の神輿もガンガン繰り出されるわけですよ。夢の様ですね。

ところで、今みたいな状態だと、コンセプトが複雑で大事なものほどクラウドファウンディングの利用は無いっすね。足下ぐらぐらになっちゃう。
作品制作に金を引っ張ってくる才能がますます重要になってきている様子は、暫く前に世界の御大アーシュラ・K・ル=グウィン先生を絶望の淵に叩き込んだジブリのアレがとっくに証明していますな。『おそいひと』以来、久々に本気でネタを転がしている身として、プロデューサー大募集であります。
さぁ、明日もがんばろう。

2014年7月3日木曜日

Facebookがユーザーの感情操作実験ですって

[じわっと継続しそうなネタなんで、とりあえず現時点を書き留めておきます。]

Facebookがユーザーの感情操作の実験をしていたそうで、倫理に反するとか騒がれてますが、確かに気分は悪いですね。
最近、Facebookユーザーを対象に、本人の了解なく一週間にわたる感情操作実験が行われていた。予算の一部は陸軍から出ている。この研究は、ユーザーのニュースフィードの内容が、ユーザー本人の感情形成に影響を与えるかどうかを発見することを目的とし、歪曲されたコンテンツを見た後の投稿内容のトーンを測定することによって判断するものだ。
70万人近いFacebookユーザーが、ポジティブあるいはネガティブに偏ったコンテンツを見せられた。研究の結果、ポジティブなニュースフィードを与えられたユーザーはよりポジティブな内容を投稿し、ネガティブなニュースフィードを与えられたユーザーはネガティブな内容を書き込んでいたことがわかった。
http://jp.techcrunch.com/2014/06/30/20140629facebook-and-the-ethics-of-user-manipulation/
とはいえ、人間なんてのは、近くに居る誰かに影響されるのは当たり前で、Facebookともなれば、本当ならちょっと縁遠い人の行動やら感情まで見えてしまったりするんですよね。
そうなると結構客観的にボスとかリーダーへの追随やら、馴れ合いのコロニーやら、職業やら出自の違いやら、罪の無いルサンチマンの噴出(笑)なんてことは、日常的に観察できるわけじゃないですか。
そこを更に操作しようだなんて不潔よ!とか、そういうことなんだけど、そもそもFacebookやってたら妙な耐性が付く様に思えるんですが、ダメ?俺だけ?
何かを見て何かを考える前に、感情に走っちゃいかんですよ。テレビ相手に本気で怒ったり泣いたりする人とか、いまどきはドン引きするじゃないですか。
訓練されていない個人は、普通に感情を垂れ流すんですよ。そこに対しては「腹でも減てるのか?」「ハグが足りないのか?」「いい気になるなよ、このエロガッパ!」とか、愛らしいツッコミの応酬でハハハと笑うのが、平成の世で推奨されるインターネッツ江戸しぐさってもんでしょ。

アホのコロニーにアホと言ってはばからない勇気と、そのアホと同じ様なアホコロニーを持たない奴だけが、アホにアホと言えるんだぞ自問しろ。というジーザスクライストの教えがおぼろげにだけど記憶に刻まれていることを、改めて自覚させてくれる。Facebookってのは、そんな風にありがたい存在だと考えるわけです。

読まなあかん本が多過ぎて時間は無いんだけど、なんとなくで生きるには人生が長過ぎると思える程度にインターネッツは機能しいて、ネット見てたらよくわかるのが、立ち位置が違えばロジックも違うってことで、だからこそ、全一の何かに従しようぜ!みたいなことをしている連中が、いかに不健全かがよくわかると思うんですけど、いかがなもんですかね。
ネガでもポジでも、絶対位置は同じで、それこそ人を巻き込んで共感程度で集金したり、カモったりカモられたりで組んず解れつしない分、ネガ側人達の方がマシな気がしますよ。
ネットを捨てて町に出ろってことじゃなくて、普通に頭使おうよ。お前は誰だ?ってことですよ。
インターネッツのこうしたサービスについて言うなら、マーケティングされない権利は必要かもしれないけど、まだまだ先の話しになりそうだから、地味に自己防衛しようぜということでもいいかもしれない。

2014年4月18日金曜日

いわゆる“キュレーション”のレベルの件

今朝、Facebookで目撃した動画。
※実物が存在しているので、リンク貼りますしネタにもしますが、閲覧数は稼がせたくない!そんな困った状態なことをここに告白します。
http://feely.jp/278/で紹介されてたもんですが、曰く、
たったワンフレーズの言葉を変えるだけで、全てが変わってしまうそんなことを感じられる動画です。

まさに、いわゆる「キュレーション」でスピリチュアル系のセミナー屋の動画の文脈が微妙に変わる瞬間ですよ。
そんなウンコの様な現象には、もう歯止めが効かないものですかね。なんか、広告料みたいなお金でも発生してるんでしょうか。
で、このスピリチュアルなセミナー屋が動画の閲覧数だけを取り出して、多くの人に支持されています!とかいう風に宣伝したら、その数に騙されてまたセミナー屋にお金を渡してしまうスパイラルにみんなで加担という流れ。
俺も今こうやって動画を共有してるんで、自分のブログを汚して、連中に加担しているというなんともいえない状態なわけです。

ちなみにこれ、お金が沢山放り出されるんじゃなくて、みんなから声かけられまくって触られまくってお金も、という描写にすれば、看板書き換えてるネェちゃんの靴を触るってのと対比もできるし、ワンネスとかそういうスピリチュアル主張とも絡められてもっと皆さんの意識に刷り込めるものがあったろうに、残念ながらこんな構造。


  • 謎めいた一人の女が何かをして去り、その結果利益がもたらされる。
  • 彼女の靴にしか触れることができない。彼女は上位存在。
  • 利益を得られて初めて、改めて彼女から肩に触れてきて、それでも何があったのかという全貌は明かされることがない。


スピリチュアルなものは、あくまでも不過視で感じ取ることしかできないけれど、利益を得る事はできるし、改めてしみじみ感じてもオッケーという理解があってのシナリオだってことですよ。
更に一段突っ込めば、言い方変えて効率よくマネーをゲットだぜ!という制作側のシンプルな深層心理も、そのままビンビン伝わってきます。
おお、作品ってのはマジで内発なんで、とにかくフロイト的な防御をするか、全部どばーっと出すかしなきゃダメって教訓を思い出しましたよ。自分でやるときは気をつけます。
なにはともあれ、キュレーションとかやってる連中も含めて、透けて見えるんじゃなくて、透かして見るってのも大切ですね。
一番いいのはスルーか?俺が率先して失敗していて、大変申し訳ないんですけど。

2014年1月9日木曜日

なんでこんな結果になるのか考えてみる。

娘が漢字に挑戦したいと言いだし、聞かれたらその漢字をなんと読むのか教えていた。
そのうち、「そら」は漢字でどう書くのか、色の名前を漢字で書くとどうなるのかという質問が始まり、聞かれるままに漢字を書いてやる様になったが、言われるままに書いていると簡単に難しい字に行き当たる。そうなるとすぐにオーバーヒートして質問しながら寝てしまうので、漢字ドリルを買い与えた。
で、誇らしげに、漢字が書ける様になったと言って書いてみせた最初の成果がこれ。


一から八までなんだけれど、なぜ十までじゃないのかと聞いたら、ドリルでは違うページだったからまだ練習していないとのこと。ドリルの都合で、彼女の中では八までで一区切りになった。
なんだその区切りはという違和感はあるが、数は数えられるものの、まだ桁が上がっての区切りの感覚も育っていないものと思う。ひょっとしたら、性格も関係しているかもしれない。

彼女の視点では八までを練習してそこで一区切りという感覚が自然で、九と十は一緒に覚えてしまうものではなかった。
人間、慣れてしまうことで、違う視点を想像できなくなることはよくあることだという話しもそうだし、何かのフォーマットを選択するにあたって、本当にそれでいいのかということの検討も必要だ。
例えば、この漢字ドリルがそうだ。寝てしまうから、なんとなく対象年齢だけを見て漢字ドリルを買い与えたけれど、きちんと概念のグループめいたことを考えて、一から十、ひょっとしたら百や千も同時に練習できる様にレイアウトしてあるものを選ぶべきだったかもしれない。

これはホームページや様々な情報発信の施策でよくあることだが、何かを見て「あれと同じものがいい」ということを決める前に、それがいいなと思ったのは何故か、本当に自分達もそれと同じでいいのかということを確認すべきだ。
完全なコピーが成立するわけもなく、いまどきはターゲットや予算、費用対効果を考えるという決まり文句も出てくるのに、結局はただ型だけをなぞって制作された結果、全く誰からも見向きもされなかったり、アクセスの傾向を見たら単純に通り過ぎられているだけだとわかる回り道を、苦労してWeb上に登場させることになる。
ターゲットを想定したところまでは良かったが、ターゲットの視点についての考察や、自分達がそのターゲットに向けて発信すべきものについて全く考えていなかったり、真似したい「あれ」ありきで実際はそれがひな形としては不適切かどうかは一顧だにされないために、ニーズってなんだっけ?という事態に陥り、当然のことながら体感できる効果も薄いため、ITはいつまでも活用するために勉強が必要なものという扱いを受けることになる。
考えることをやめずに、きちんと活用できるものを作っていきたいものだ。

ちなみに、ドリルのレイアウトについては、あくまで例でしかない。せめて百まで同時というのはそれに越したことはないだろうが、個人的にはこの八までというのがかえって面白いと思っている。
字を覚えたい、本を読みたいという娘の好奇心には全力で協力するが、言語と概念で縛られる前の感覚というのは、とても興味深いので極力放っておきたい。
今、そういう矛盾した立ち位置に居る。

2014年1月3日金曜日

どこにどんな風に定着させるか考えている。余剰分を書き留めておく。

君に新しい肩書きを考えろとを指示してくれた人は、それをさらっと理解して支持してくれただろうか。では、意味が解らないという反応に対して、どんな対処法を教えてくれた?ちゃんとケツを持ってくれる人なの?
名刺交換する様になって何年か経つけれど、そういう疑問を無視しておくのをそろそろやめにしたい。

新商品と一対一で対応する新しい名前なら問題ない。
それと限りなく近い形で記号表現と記号内容の一致が簡単に見てとれる造語にも、そんなに問題はない。
だが、新しい名詞を作ろうとする試みには、それなりのエネルギーが必要だ。
誰もが知っている単語の中に組み込まれる方が、新しい単語を知ってもらうよりも格段に有効だということを、地味で心はときめかないかもしれないが、考えてみて欲しい。
知ってもらうということは、認知の段階からスタートで、これを軽く考えていると見られるケースは結構多い。
世の中には伝言ゲームというのがあって、日常にそれに似た現象もあることは既にご存知の通りだろう。うろ覚えの芸能人の名前を連呼するといった類いの笑い話もそうだ。
関心を持ってもらうだけでいつまでも足踏みしてしまって、新しい名詞はそれ自体が定着せず、結局は定番化できないというケースは世の中に蔓延している。
関心の薄い層にもそれなりに間違いの無い形で、中立よりも肯定寄りで記憶してもらうことが、キャズムとやらを越える長い道のりの中にあると考えれば励みにならないだろうか。

新しい分野を開拓する気概で新しい肩書きを考えて名乗る場合は、気概は気概で置いておいて、なるべく記号表現と記号内容が単純に一致する様に考えるべきだ。選択した語彙の意図しなかったところから、修行の深さや守備範囲まで見透かせてしまう場合がある。間違っても、語感だけで決めてはいけない。
遠回しにでも「意味の分かんない造語ですね」といった否定のされ方をした時の反応までセットで判断材料にされることを自覚していたり、肯定的に把握して有効活用している人間が少ない辺りに、そういうことを好む業界のタコツボ構造も見え隠れしている。それは、近年ソーシャルネットワークがそこはなとなく可視化してくれていて、別の岸辺から見ているだけの身としては、とてもくすぐったい。

2013年12月30日月曜日

富山でTEDxをやる準備:プレゼンの起承転結?

富山でTEDxをやる組織を作るために、TEDの勉強会でもしようかという企てに加担することにした。
TEDのトークを見て、みんなで話しをしようよというもの。
最後に振り返りついでにプレゼン講座をして、参加者する人を徐々に洗脳しようと目論んでいる。

今回のネタにしたのは、ジュリー・バースティン「創造力を育む4つの教訓」。
http://www.ted.com/talks/julie_burstein_4_lessons_in_creativity.html

このプレゼンをネタに、聴衆を「掴み」、掴んだ上で自分の伝えたいことを聴衆に「渡す」そんな行為に着目してみよう。という内容で喋ったので、とりあえずまとめておく。

プレゼンテーションで物語を語ろうとすることは非常に非効率だ。構成が不味ければ、だれてしまって何も伝わらなくなってしまう。
起承転結に当てはめている様に見える、なんの魅力も無い通り一遍の説明が世の中にあふれかえっていてもなお、起承転結が重要と信じて疑わないのは何故か、自分に問うたことはあるだろうか。
ジュリー・バーンスティンのプレゼンを、その背景に物語があるという前提で見てしまうと、全く混乱することになる。
彼女はなぜあの順番で事例を紹介したの?一連のストーリーはあるの?
ストーリーを見いだす努力はしても構わないし、事例の並びにも巧みさは感じられる。ただし、このプレゼンテーションは、例示と主張を繰り返して、単純で力強い文脈を確実に浸透させようという構造になっているので、ただ言われたことを素直に聞くだけで良い。
実際に、プレゼンテーションの要素を分けて書き出してみる。

【枕】
1.器を上から写したスライド
一瞬何かわからない美しい写真。
大学時代に作った楽焼きの陶器を今も机の上に置いているという画像の種明かし。つまり、小さな「何?」という興味をひくところからの導入。

2.日本の楽焼きについての解説
「不完全さ故に愛されてきた」というギャップの提示。
ここで、日本では竃から取り出してまだ赤い器を緑茶に漬けるが、アメリカでは大鋸屑にまぶすため煙の匂い服で帰宅するという余談は、後の伏線になっている。
楽焼きによる創造の過程により、創造にはコントロールできるものと受け入れざるを得ないものがある。

3.器を落としてみせる(失敗)
器を落としてみせるが、器は割れない。本来は割れる筈だったと本人は言っている。
割れても割れなくても、創造にはコントロールできるものと受け入れざるを得ないものがあるということは伝えられるパフォーマンス。
経験を受け入れることが必要になる。

【例示】
4.インドで育った映画監督の談話
校庭にあふれる情熱と大麻。突飛に感じられる組み合わせ。
スピーチでの紹介だけでなく、本人の談話を再生。
日常の中にも、ひらめきを受け入れるチャンスはある。

5.重度の識字障害の作家
識字障害の作家。イメージのギャップ。
スピーチでの紹介だけでなく、本人の談話を再生。
課題を受け入れる。困難の克服。

6.ラス・メニーナスから生まれた現代美術
有名な考察が存在している絵、その考察と重なる発見から生まれた創造。
スピーチでの紹介だけでなく、本人の談話を再生。
絵画という技法から、立体に移行する探求。
絵画ではできないと感じた自らの限界を受け入れて、更に前進しての創造。

7.9月11日以降の現場の記録写真
壊滅から再生を信じること。9月11日のテロ現場の記録写真。
スピーチでの紹介だけでなく、本人の談話を再生。
喪失を直視し受け入れる。「撮るしかない」という確信とこだわり。
家族のところに帰ったときに、服に付いていた煙の匂いについて言及。2のパートので服に付いた煙の匂いとの呼応による強調。

【まとめ】
8.経験、課題、限界、喪失
創造力は人にとって不可欠だという主題の提示。

【まとめ2】
9.割れた後、金継した日本の器
壊れてなお、作られたときよりも美しさを増すこと。
創造と破壊。コントロールと受け入れ。人はこれらの循環の中に居るという主題の強調。


このスピーチの構成を、枕、例示、まとめ、まとめ2と4つのくくりがあるから起承転結だとか、まとめはひとつと考えて3つのパートに別れるから序破急だというのはナンセンスだ。
このプレゼンテーションは「簡単な導入」「例となるスライド」「本人の談話」「主題の提示」という構成で繰り返されている。
ギャップやエキゾチックな組み合わせで好奇心を刺激し、主題の提示を繰り返す。つまりは聴衆に対して「掴み」と「渡す」を繰り返している。
彼女はひたすら同じメッセージを繰り返し、例を変えながら主張を強調しているので、敢えて物語的な時間軸があるとすれば、それはジュリー・バースティン自信がこれまでの多くの人々にインタビューしてきた事実がそれにあたる。彼女のキャリアは現在も継続しているので、スピーチの中では完結しない。

このスピーチには、人と対面して、何かを渡すときの動きに似た以下の構造が見て取れる。

1.ものを渡したい相手に声をかける。
2.相手がこちらを見たのを確認する。
3.相手に渡したいものを差し出す。
4.相手の手が出たのを確認してものを渡す。

注意を引き、主題の裏付けになる誰かの声を聞かせ、主題を述べる。
話者となって人前に立つ人間と聴衆の関係は常に、個対多だろうか。
スライドやスピーチを組み立てるにあたって、誰かが言っていたことに盲従するのではなく、自分自身が聞く人に何を渡すのかに気を配りながら喋るイメージで構成すれば、伝えたいことはよりシンプルに伝わる筈だ。

2013年12月21日土曜日

今後のこともあるので「みつを」撲滅について

みつをやみつを的なものについては折に触れて攻撃を続けていて、それにしても君はみつをが嫌いだねぇという話しなんですけど、あれは危険なものなので、なんで攻撃するかについて改めて詳らかにしておこう。

人間、生きていくには自分以外の他人と関係しなければならず、関係が生じれば、その濃さに応じた承認を必要としてしまう。
それこそ、接点ができればその瞬間に自分とあの人はどんな関係なのか、勝手に定義してしまう。
みつをはその辺の困難に目をつけて、他者無しで楽になろうぜとよびかけている。
自分だけの世界を見て楽になろうぜと勧められてるんだから、それを受け取った瞬間になんとなくほっとするのは当たり前。
でも、そこが問題。
自分じゃない人間を相手にして、疲れたり傷ついたりおかしくなったりするという摩擦に、自己肯定を持ち出してもなんにも解決しないし、そのまま他者との関係に晒され続ければ、順当にすり減ったり関係が変になっていくだけです。
他者は消えない。君と彼らとの間に流れている時間も止まらない。
世界との接し方として、なにがどうあれ先ず自分を肯定するなんて、そんなのが心にいいわけないじゃないか。他人は消えてなくならないし、それこそ自分一人だと生命の維持すら難しいのが人間ですよ。
みつをの言葉を受け入れるなんてのは、自分しか自分を認めてくれる人間が居ないとか、その手の寂しいことが口から出てしまう状態に陥る最初の一歩です。
世の中に自分だけってことはないわけで、大なり小なり衝撃はあるんだから楽天的にいこうぜってんならまだ正常ですけど、安心して自分を肯定してればなんとかなるよってところにとどまってるわけで、まやかしでも最悪の部類ですよ。
楽じゃないのは当たり前だからこそ、楽天的にいくのが大事なわけです。
全員がみつをの言葉の通りに生きる様になったら?
ブツブツと自分を励ましてるだけのへっぽこ二等兵を束ねて、こいつら使えねぇなぁって舌打ちしながら使役する人が、のんびり搾取の方法を模索する世の中になりますよ。勘弁です。