とりあえず、何も考えずここに日記を書きなぐる方向で、ちょっと自分のペースを調整する。
ここ2日ほど、後輩の柴田剛とSkypeで話しをしていた。3月11日の震災で、少なくとも暴力的な祝祭が全てを包み込んで終わる様な物語りを終わらせて、果たして何があるのかということをずっと模索していた。祭りは始まりでしかない。
ひとつの答え、二人の共通認識は、昨年の12月に出ているが、そのプロットはそのまま放置されている。
昨日、今日で、その応用ともいえるコンセプトがひねり出せた。あとは剛任せというのが悔しいところだが、また紆余曲折するのであれば、その時にまた考えよう。
もったいないので、どうにか映画にしてしまって、沢山の中学生や、噂を聞いてドキドキしながらレンタルビデオ屋をさまよいブツを探す様な高校生に見せたい。見た瞬間はわからなくても、見さえすればいいというのは、『おそいひと』の時も同じ。再上映の噂を聞いて映画館に走れ。
剛の映画がけっこうきちんと映画の文法に則っていると口走ることに、誰も躊躇しなくてもよくなればいいだけじゃないのかとは思うが、仕事となると、そういうことは関係なくクリアしなくればならないところもあり、なかなか難しいのだろう。
午後、小矢部の「マリオのパン」に行こうと途中まで出るが、他の電話連絡などしているうちに中途半端な時間。母から、ちあきちゃんの不在の可能性を聞いていたので、電話すれど誰も応じず、行くのを中止する。
高岡の{仮}に寄って千葉に業務連絡。ddコマンドの完了に時間がかかりまくる件、何かWebで見かけたという話しを聞くが、帰宅して調べてもそれらしいものは見つからず、とあるところから預かってきた2テラのハードディスクのコピーが……。
いままでとは全く違う速度でエラー吐いているので、もう一晩放置してみる。
読書
講談社学術文庫『スッタニパータ』に手を付ける。高校の倫理の時間とかのタイミングで手を出していたら、いろいろ変わっていただろうか。『仏教思想のセロポイント』と『アップデートする仏教』を経てみると、なんとも味わい深いというか、ブッダの揺るがなさが形容しがたく、そう感じている自分に、あらぬ本読んでしまった後の取り返しのつかなさを覚える。
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