2017年2月27日月曜日
血パンダ公演『Generalprobe』前口上
バトンに吊られている照明器具とか、なにもしなくても全暗転できる環境ってのは、やっぱり便利ですね。
「初めて劇場で」ということで「おめでとうございます!」とか言われたりもしましたが、そもそも念願とか全くしてこなかったので、その辺全く目出度くもなんともない、いつもの血パンダ通常営業なので、ご了承ください。
台本を書いて演出をする様になってから30年ほど経ちますが、これは同時に、感情移入がどうとか、共感できたとかできなかったとか、理解できたとかできなかったとかいう、どうにも消費目的の欲望との無駄な戦いとの年月でもあった気がしています。
そういった、どこで覚えてきたのかもわからない演劇を見に来る動機と戦うなんてのはそもそもナンセンスなことで、早々にそういうよくわからないところから降りて、極めて正直に、ただ圧力だけを用意する努力をする様になりました。
本当に悲劇しか模索しないし、演じられている場に吊り込まれた人の日常に、ほんのりで良いので侵入できれば良いと、それを目標にしてきました。
そうなるとかえって、世間的にそういう消費のされかた、期待のされ方をしていない様に見えるジャンルが羨ましかったりするんですが、じゃぁ、演劇やめてそっちやろうかとならないのは、なかなかどのジャンルも演劇ほど上手くマイナスの感情を無造作に放り出してみせることができないからだと、今回の稽古場で再確認したものであります。
Generalprobeとは、本番前に本番と全く同じ形で行うリハーサルのことで、日本ではゲネプロとかゲネとか言います。
日常が止まることなく命の終わりに向かっていく本番と捉えたら、演劇のゲネプロなんてのは、虚構のための完璧な予行演習という、ありえない贅沢な時間で、そりゃもう、出来のいいゲネプロは誰とも共有したくありません。
『Generalprobe』大変恐縮ですが、本番をごゆっくりお楽しみください。
2016年9月6日火曜日
血パンダ公演『それはサイコロの一番大きな目ではないなにか』前口上
2016年8月26日金曜日
力加減について考える
いろいろ手伝っていただけるとありがたいので、案内はその都度。
2016年6月30日木曜日
なるほど、その神社でパワーを貰ったんですねとか言いたくなったら、懺悔の念をこめて俺の手伝いをしてください。ひきよせも禁止。
そこで少し認識を新たにすることがあったので、現時点の記録。
神様に何か祈願して、それが叶ったらお礼参りに行くわけだけれど、例えば商売繁盛みたいなことをお願いして、繁盛したお礼に手ぶらで行く人は居ない。ありがとうございましたと、いう感謝の念と奉納するものもお金も、繁盛の度合いによって増えていく。
そういうのが夥しくなれば、放っておくこともできないので、神社という「場」は、当然神域ということで清浄にされ、盛んになる。盛んになればそれは単純に「ご利益」があるって話しになり、そこには益々人が集まる。
かなり乱暴な略だけれど、見て取れるものを言葉に変えるならこういう循環だ。
様々な場所で人が集められ、そこで「場づくり」や「チームビルディング」が意識されている。その場で得られたことに対して「目からウロコだった」とか「気づきを得た」とかいう決まり文句が聞かれるが、それが盛んになる神社のような循環を得られるのかといえば、誰かそんなことを意識しているだろうか。
感謝の念とか、ご利益なんてのは、神様相手のこと。人が集まって何かをする場合、そこのニュアンスはちょっと置いておいて、考えてみてほしい。
人が集まって何かをする場の循環。「世代交代ができない」とか「マンネリ」という言葉はよく聞かれる。
それを「魅力づくりに取り掛かろう」「マーケティングしよう」とかいう、できもしない具体性を欠いた思考停止向けの決まり文句で片付けるのではなく、自分たちができる範囲のことで、何をしていないかを考えれば、現状万全の対策を講じているということは、ほぼ無いのではないだろうか。足りないこと、やっていないことの把握と、把握したらやるだけ。それをしていない。
「できないからやっていなかった」ということもあるかもしれない。本当に必要なことなら、「できない」を「できる」に変えて実行すればいい。どちらにせよ、これまでと違って見えているのだから、暗中模索よりは格段にマシな筈だ。
2016年2月28日日曜日
血パンダ公演『夜は』前口上(2016.02.27)
単純な関係しか知らない人間は考えることをせず、簡単に孤独になり、簡単に臆病になり、計算できる欲にだけ忠実になる。その結果、子供は全く計算不能なため、子供を作るという選択は消え、人は絶えていく。
シネコンができるから「街なかに映画をなくしてはいけない」ことが目的だったフォルツァ総曲輪が役割を終えて休館するというニュースに触れて、シネコンで上映される映画と、単館系の映画の違いもわからないという、マーケティングセンスを問う以前の、文化を認識する能力のあまりの低さに度肝を抜かれました。
9年間の映画館運営の果てにこの認識なので、問題は個人の資質ではなく、集団の、もっと致命的な部分にあるのだと考えています。
そんな中で、一般的な認識の枠を超えた場を作りたいというゴールドカレー富山豊田店のオーナー保坂さんから声をかけていただき、今回の公演が決まりました。
フランス料理店が舞台の『夜は』をカレー店で上演できる巡り合わせ。
劇場は最初からあるのではなく、演劇があればそこが劇場になるのだということを体験していただき、場とは何か、枠とは何かを考えてみていただくのもいいかなぁと、そんな風に考えています。
2016年2月24日水曜日
確かに、莫迦なことしてるなぁと思いながら遠巻きに観察することはある。やる奴はやられる。
それこそ、誰かがこう言っていたよと伝えるために、その誰かの発言の部分だけ、口真似まではいかなくても声色が変わる程度でも、それが演じられている状態だとわかる。
微細なものが判断できるのだから、あとはただ見るだけと思っていた。
ところが、世の中そう単純なものでもないらしい。
「バカなことしてるなぁ」というフィルターがあって、そこに引っかかると演じているもへったくれもなく「バカだなぁ」「楽しそうだなぁ」というところで判断が止まるという指摘を受けて、昨日目からウロコが落ちました。
亀吉という名の口パクのカエルから腹話術の練習を「手段の目的化」だと指摘される。
口パク人形が、ホドロフスキーの言葉を聞いて自我に目覚めたかの様にふるまう。
やりとりの内容も構造も、かなり長々と解説はできるものの、そんなことは敢えてするもんでもなし、確かにぶっつけ本番の勢いだけでやっているので、「いい大人がバカなことをしている」ムービーだ。
そうか「バカだなぁ」から先に行かないのか。
なんか作戦考えなきゃなぁ。まだまだクオリティ低いんだなぁ。
あ、真面目にやってる演劇の方の公演がまもなくです。
こちらもぜひ。『夜は』というお芝居で、フランス料理店のスタッフルームが舞台なんですが、それを営業中のカレー屋で演じます。あ、こういうのがいかんのか……。バカフィルターにかかる?バカフィルター?そういえば、『バカの壁』読んでないけど、こういうことへの対処法が書いてある?
血パンダのホームページ
http://blood-panda.net/
血パンダのFacebookページ(『夜は』のイベント立ってます)
https://www.facebook.com/BPchipanda/
2016年2月18日木曜日
箱の運営するってことは、作る側としては終わる気がする。そっちの方が嫌だわ。
思えばカレーフェスタやTEDxHimiも、ずっとこんな感じがスタートで具体化してやってきてるわけで、今回もそんなノリから始まりでいいじゃないかということだ。
本当に実現できるのかも含めて、ずっと継続して考え続けるし、何年かかってもいい。持ったまま時間経って、腐ってダメになるならその程度のものだったってことだ。
本当は、明敏な運営者が現れてくれれば、そっちの方が俺は自分のことができるので嬉しい。
興味があれば知恵と力を貸しておくれ!あ、金でもいいよ。
映画館兼劇場って感じの文化センターの件。これ実は、都会に出た若者が地元に戻ってくるためにも、結構重要な施設。
劇場がない。映画館もない。ギャラリーもない。公のものは全部埋まってて、現場は優秀かもしれないけど、窓口の奴はちょっとググって裏をとる気も無いのが通常のクオリティだから、何処のコロニーにも属してないみんなには受け皿が無い。皆無。
先に大家さんを発見するよりも、金の準備できてから大家さんにおねがいする方が良さそうだ。ネタの説得力としての金ね。大家さんが持ってるのは不動産だから、向こうはそうそう動けないけど、こっちは身軽。だからせめて、金の分だけでも重くなっておきたい。
クラウドファウンディングは、実際に運営を始められたら、その時には挑戦してみたいネタがあるので、立ち上げはとにかく泥臭いお金集めだ。
【最初の行動?お題ふたつ】
1.お金って、こんな場合どこから引っ張るもの?
自慢じゃないが、パソコンがあればなんとか仕事になるというレートの低さで、ちんたらちんたらやってるので、ちゃんとしたお金の集め方がわからない!
金主を探さなきゃいけないんだが、こんなね、ほぼ手ぶらでネタしかない場合、そもそもどうやって探すものかもわからないので、俺知ってる!って人は教えて。
能書きならある。プレゼン資料作る。えーっと……。事業計画も?まあ、そこら辺は任せろ。
2.みんなでゆるふわひきよせ!
みんなでロト買ってほしい。で、一等当たった人がいたら、当選金額の中から1億+αだけ俺にちょうだい。これ、多分、何気ない遊びで大勢でやると効く気がする。運命の束。束になってかかれば、なんとかなる気がするから不思議!
【おまけ】
フォルツァ総曲輪が今からみんなでギャーギャー言って存続するならそれはそれ、しなかったら、富山市で「文化」とか口走る役所絡みの人間と会うことがあったら、赤ちゃん言葉で優しく話ししてあげる。漢字やカタカナで喋るのもやめる。
これは、覚えている限り飽きるまでやるつもりなんだけど、みんなもどう?
2016年2月17日水曜日
いや、本当に文化との接点ってそんなに軽いもんじゃないって。無いこととか消 えることに慣れすぎ。
なんとなくネット上を探してるんだけど、文句言ってる人をほとんんど見かけない。
Facebookの検索機能の弱さが恨めしいけど、本当にギャースカ言ってる人間が少なくて、そっちにも違和感感じる。というか、なんで文句言わないんだろ。
文化との接点を殺す、センスのかけらもない判断ですよ。9年もやっておきながら、思春期が大人の仲間になるだけの十分な年月を経たというのに、蓋開けてみたらフォルツァ総曲輪って場所から全くなんにも学んでなかったって雰囲気ですよ。
コンテンツの多様さとか、映画館の維持がとかいう決まり文句を持ち出す前に、シネコンとミニシアターの客層の違いが頭の片隅にあったのかすら疑わしいわけですよ。そこに集まっていた人やら客の顔が見えてないんだ。
富山市の3セクですから、富山市マターですよとかって言うんだったら、氷見市の魚々座みたいに、地元民と地元じゃない人間で料金傾斜かけるぐらいして、地元じゃない奴らはイレギュラー。でも、入り口まで来てるんだし、仕方ないから入場させてやるよ。って、そんなことしてないじゃないか。ってことは、金払えば皆等しい客だよね。やんごとなき納税者様には、市の広報かなんかで、ちょっとぐらい上映される映画の情報をあげてたの?
ギャーギャー言わないと、ほらね。一部の愛好家以外は、誰も文句言わないじゃんってなるよ。
ハゲが文句言ってるじゃん「いいね!」するよ。じゃないんだよ。
俺は、場を殺される側なので、完全に一部の愛好家よりも悪い、実際はあんまり関係ない利害関係者。
ハナクソにもならないノイズ。「なんか絡みたくて言ってるんじゃない?」って片付けてもオッケーなカテゴリーに入ってるんすよ。
今までも場所無いねって思いながら演劇やってたけど、自力でなんとかなるわってのも正直なところ。氷見駅前の工事が終わって、氷見キネマが再開したら、単館系のいいやつが回ってくるし、フォルツァ行くよりも近い。
それとこれとは別だ。別だよ。あの場所で、一回でもなんかしたやつ、一本でも映画た奴は、それが自分の血肉になってない。まるで無駄だったってんなら適当でいい。でも、そうでないなら、文句言うべきだ。血肉になったんだろ?おまえ、身を切られたぜ。
でないと、同じ様ななめた真似する奴が、近所で出てくる。平気だぜ。何人居ようが「市民」とは別扱いの「一部の愛好家」ってやりゃいいだけだもの。
文化、みんなの地元にあるでしょ。それだけで満足しとけよ。獅子舞とか曳山とか最高じゃん。映画とか芸術は、なんか適当にチャンネル用意しとくよ。業者も居るし、他にも代わりあるからいいでしょ。って、これはもう、マンガが無いなら絵本を読めばいいよ。嫌なら都会に行け。って言われてるのと同じですよ。
どうやっても代替品にならねぇ。でも、それが認識されてるか疑わしいので、みんなで文句言いませんか?
2016年2月14日日曜日
富山県唯一のミニシアターが、近所にシネコンできるからやめちゃうんだって。
集まるお金が2,000万円。昨年の助成金が1,544万円。
年間かかっちゃうお金って、そんな単純なもんでもないか。
でも、富山市民が418,961人。富山県民で数えたら108万人。その中の2,000人を募るって、数字的には凄くイージーじゃないか?
単館系の映画見たい層が、人口の1%を激しく切るなんてこともないと思うわけだよ。
文化大事って建前で動かなきゃいけない新聞とかテレビ局なんかに、率先して結託して協力してもらえればいいだけな気がするよ。
とりあえず、中日新聞のWeb版から引用。
http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/news/CK2016021102100010.html
富山県内唯一のミニシアターとして市民や映画ファンに親しまれてきた富山市総曲輪のフォルツァ総曲輪が9月末で映画上映を休止する。6月に近くの再開発ビルでシネマ・コンプレックス(複合映画館)が開館するのを受け、市と運営する市出資の第三セクター会社「まちづくりとやま」が判断した。9年間にわたり館を支えたファンからは惜しむ声が上がりそうだ。(松岡等)
フォルツァは、市中心部から映画館が次々に廃業した二〇〇七年二月、閉館後の映画館を活用してオープン。当初はまちなかで映画を見られる環境を維持しようと、市民有志らが運営する公設民営の施設としてスタートした。現在は市の補助金を受けて「まちづくりとやま」が運営している。昨年の補助金は千五百四十四万円。
2016年1月31日日曜日
虫からの電話
本にはただずっと「?」と書いてありました。
そんな本の意味をリンゴを食べながら考えていると、電話がかかってきました。
虫からです。
虫は今、エジプトのピラミッドの頂上に居て、そこから謎の足跡が見えると言っています。電話で様子を聞いていても、なんのアイディアも浮かびません。秘密を解明するための鍵も鍵穴も皆目わからないので、とりあえず、虫のいるエジプトに行くことにしました。
2016年1月28日木曜日
TEDxHimi2016を終えて
各地のTEDxから応援に駆けつけてくれた皆さんに感謝を。ありがとうございました。
特に、仕事をふらない前提だったのに、いきなり映像のオペ席に座らせてしまったTEDxKyotoの金谷さんには、タスクやら人員の最終的な管理を見ていた身として、穴があったら入りたい感満載でおります。ありがとうございました。
氷見でやる意義?
TEDxHimiは、日本海側初というだけでなく、日本の5万人規模の都市で行われた最初のTEDxらしく、準備開始当初から、こんな質問を受け続けました。「なぜ氷見?」「氷見でやる意義は?」
お決まりだとは思います。
この質問に対しては、本当に嘘くさいところまで、どこまでも遡って最もらしいことは答えられるんですが、おそらく、この質問をする人が満足する答えが、私自身の口から出ることはありません。
氷見でやる理由もなにも、場を作り、そこに集い「Ideas worth spreading」をやれと定義されて、TEDからTEDxHimiのライセンスを受けているファウンダーが「Ideas worth spreading」やるから力貸してよと声を出しているから、それに力を貸してTEDxHimiを実行するだけのことで、それ以上の本質はありえないと考えています。
トークイベントは「Ideas worth spreading」のひとつの手段。紙を綺麗に切るのはハサミがいいのかカッターがいいのか、道具を選ぶ理由を聞かれても、適材適所でとか、手元にあるもんで切りなはれとか、カッター派ですとか、ハサミ派ですが握り鋏はちょっと……。とか、そうならざるを得ないのと同じです。
こういった戸惑いはあったものの、富山県内、氷見市内からの支援には非常に熱いものがありました。今後、いかに地元に受け入れられていくか、氷見市界隈はTEDxを開催している場所だということを、地元の皆さんに自慢してもらえるようになることも、ひとつの指標であると見ています。
初回を終えて
初回を終えて、全体のスケジュールが最低でも二週間、できれば一月半前倒しにできていれば、今見えている範囲でのクオリティの向上は実現できるのではないかと考えています。今の時点で、やり足りないとか、もっとうまくやりたいと考えた関係者に対してはもう、このエントリーが「ありがとう。お疲れ様。次回はもっと前倒しでいこうぜ」と、これが最初の発声です。
ファウンダーも既に、次回のテーマのアイディアを思いついたらしく、そんな内容のコメントをFacebookで目撃しています。そんなわけで、よろしくね。
『トークイベントの会場の熱や圧力をどのように高めていくのか』スピーカーに対して集中せざるを得ない環境の作り方と演出の問題。
今回も、空間そのもの、開始から終了まで一貫した意図がありました。今後もそれは変わりません。
会場の制約、予算との兼ね合いはあるものの、こちらはその都度、様々なアイディアを投入できそうです。
カメラで撮影した場合にどう見えるかという問題もあります。
切り取られた絵についても、しっかりと見ていきたいと考えています。
次回からは、段取り合わせを最低でも二回以上は確保したいものです。
『参加者の会場での快適さや居心地の良さはどのように確保するか』機能的にはかなりしっかりこなせていたロビー周辺ですが、参加者に快適に楽しんでもらう、少し避難する場所としては、今回は少し手薄だったかもしれないと見ています。
会場の制約もありますが、これも今後の課題。
『ゴミの減量。そもそもゴミを出さない方法は無いのか』
参加者に提供するものの工夫も含めて、いろいろと困難は見えますが見えるものは隠れているものよりも解決は楽な筈。
全体が200人程度のトークイベントなら、完全にコントロール可能なのではないかと見ています。
私自身は、この三点についてのアプローチを中心に、今後もTEDxHimiのクオリティを向上させる努力を継続していきたいと考えています。
とにかく、私自身はそうでもないですが、スタッフの多くが半分は優しさでできていることで、悪く出た目もあるように感じています。なので、スケジュール前倒ししようぜ。
もう一点、とりあえず条件はどうあれ、なんとかするしかないという風に考えなければ、何も前に進まないということが、多くの場面で見られました。フォーマットもレシピもないなら作るしかないわけで、この模索の方法を共有することの難しさを改めて感じました。今回のTEDxHimiは、裏方としては、0から1を作る作業でもあったわけです。
当然、各地のTEDxのフォーマットをありがたく参考にし、利用させていただいたことは言うまでもありませんが、それを氷見で具体化するにはどうしたらいいのかという点での模索も多くありました。これはもう、一回やったので、ある意味クリアです。
なにはともあれ、スタートラインにはどうにか立てたわけで、早々に、次回の準備に入りたいと思います。
2015年12月28日月曜日
冬の遊びに備えろ!
サイコロをふるスペースがないので、缶にいれております。
これはこれでガラガラ音が出て楽しいのと、サイコロが飛んでいって気が散らないので良い感じ。
5歳でもガンガンいけます。みんなもどうだい?
結構本気というか、誰かが遊んでいる様が見たかったりもするので、思い切りAmazonに誘導しちゃうんだぜ!
2015年12月25日金曜日
その火を飛び越して来いと、初江が言ったのとは全く関係のない話し。
こちとら、自分が楽するためのスクリプトとかを、稀になんとなく数行書くことがあるだけで、プログラマーじゃねぇから、とにかくちゃんと拾えるのかどうかってレベルから、いちいちおっかなびっくりよ。
もうね、関数リファレンスとか見ながら、あー、やべー。でも、これはもうwhileの中なんだし多分これで回せば全部取れて、出力も……。
とかやるわけですよ。思ったものが拾えました。出ました。出た。
でもね。なんでコンマで区切って出力するの?やだ、そんなことお願いしてない。
というか、いろいろそういうのをfunction.phpで定義しないためにもプラグインに頼ったりしたわけですけど、これに関しては、そちらも守備範囲の外なの?と、暫く悶絶します。
しょうがない。出てるもんは入れてる筈だから、こいつの形をデフォルトで定義している場所に行き当たれば、思ったとおりにできる筈!どこやねん!
というか、そんなわけでWordpressCodexで言及されてるファイルに行ったら、確かになんかそれらしいことは書いてあるけど、コンマは何処に消えた。もっと奥なのか!Wordpressの奥の奥か!
絶望して別の方法を探すわけですけど、それがあなた。
探して試したら一瞬でポンですよ。だって、そっちの方法なら、自分でその場で出力を定義できるわけで、今までforeachとかね、配列に突っ込んだりしていたのそれがあんた、ほんの一行やないか……。いえ、それが関数ってもんですよね。細々とした手続き、ありがとうございます。
- キーワードをそのものズバリしか知らないので、直に触る方法を発見してそいつをこね回す。
- そうこうしているうちに、別の言葉も発見して、もうちょい便利にやってくれる方法を見つける。
支配されろ!この幸福に飼われろ、って、そうですよね。仕組みを選ぶってのはそういうことでした。
雑念が多すぎて、プログラマー全然向いてないと言われたもんですが、ひしひしと噛み締めてしまいまうクリスマスイブでした。
2015年12月22日火曜日
もういい加減、剃らなくていいぐらいハゲないかなぁ。
いつからここにあったものか記憶にないが、この缶を使っている最中に、なにかの理由で新たなシェービングクリームが家に持ち込まれ、その都度利用が中断されてきたものだ。
中断の理由は様々で、旅行先で買ったシェービングクリームを使い切るためだったり、試供品を貰ったり、なぜか何処かから新しいものが持ち込まれたり、そうしているうちに、缶が錆ていき、切れたものと勝手に勘違いされて新しいものが補充されることもあった。
結局何年使い続けたものかわからないが、このシェービングクリームは中身が切れることなく使い続けられ、そしてその見てくれや、代わり映えはしないが、その時々の理由で別のシェービングクリームによって利用が中断され続けた。
今日も、風呂場で泡を出してから、そういえばこのシェービングクリームは切れないままだが、一体どうなっているものかと思い、改めて手にとって振ってみたところ、どうも最初に泡を出すために手に取った時よりも格段に軽く感じられた。
振った瞬間には中身のある様な感触があったのに、改めて泡を出してみると、弱くガスが出るだけで、全くそんな気配は無かったが、ついに使いきってしまった様だ。
日常から魔法が消える瞬間というのは、決まってこういう風だと改めて知ることになった。
2015年11月29日日曜日
算数よりも、こういうのの方が問題かもしれないと思いつつ苦笑い。
今、国語の時間でやっている「ずーっと ずっと だいすきだよ」で、主人公は誰かというやつに納得いっていない様子。
幾度か読んだ後に曰く「やっぱりおかしいが。“ぼく”はエルフの話しをしとる人やから、話しの主人公は“ぼく”じゃなくてエフルで、“ぼく”は話しをする人やよね」
この間、授業を見に行った時に俺もひっかかったところ。なんだ一緒じゃんと思うものの、あんまりそういうところにこだわると、ろくなことがないのは、小学校低学年の頃に父がアホほど経験済みだ。本当にろくなことがない。
さて、大変もうしわけないが、こだわりすぎて先生と衝突しちゃダメよってこと以外にいいアドバイスないや。
とりあえず、物語には「主人公」と「話者」というのが出てくるやつがあるんだけど、あんまり複雑な感じで考えてもしょうがないから、他にもいろんなのを読んでみようよとお茶を濁す。
なんとなく検索してみたら、教材として使っている模様も書かれている。娘の授業でも似たようなことをしていたので、定番の進め方なんだろう。ここでも主人公は誰かを討論させるだけで、話者の話しはしないみたいだし、結論も出さない。
ひっかかるところは、いくらでも拾うんだが、どうやって娘に不満を持たせないかというか、娘のガスを抜くかという問題がある気がしてきている。
http://www.geocities.jp/bzbzbzkoji/1nen/zuuttozuttodaisukidayo.html
2015年11月12日木曜日
困ったままの男
まったくなにも変わったところのないただの男でしたが、道を歩いていて、サイコロをひとつ見つけました。何気なくそのサイコロを拾って、橋のたもとまでくると、次は天秤を見つけました。
男は、サイコロと天秤、どちらかを選ばなければならない気がして困り果てます。
なにせ、この二つのどちらかを選ぶというのが、これまでのなんでもなかったただの一生のなかで、本当に重大なことだと、直感したのです。
男が悩みに悩んでいるうちに、時間が経ちすぎて、世界の法則にまで影響が出始めます。
魚は用事がなくても木を登り、流れ星は消えてしまわないで地上に挿した蹄鉄があれば、それをくぐって再び空に帰るのです。
一回寝て起きてしまえば、なんとかなるですって?笑いごとじゃないんですよ。
さすがにあまりのデタラメはよろしくないということで、世界で起こる突飛なことはかなり控えられているんですが、男はまだ、どちらか選べなくて困っています。あまりに長く困りすぎて、橋につきものの何かになってしまい、あらゆる橋のたもとに立ち尽くす様になりました。
それが証拠に、どこかで新しい橋がかかった瞬間に、じっと目を凝らして橋のたもとを見れば、困り果てた男の姿を一瞬だけ見ることができる筈です。
2015年11月11日水曜日
落ちてきた項目
その百科事典の「L」の項目は、すべて流星と一緒に、地球の外からこの本に落ちてきたものです。
なので、それが確かに「L」の項目だというのに、見ても全く意味がわかりません。
それでも人は、「L」の全ての記述に雷に打たれたような衝撃を感じ、この本を他の人には見せたくない。見られたくないという風に考えてしまうのです。
しまいには、この本を巡って戦いまでおこってしまいます。
そんなこととは関係なく、季節は巡って花が咲くというのに、一体どうしてそうなるのか、誰にもわかりません。
でも、実際に「L」の項目を見たら、あなたもそんな気持ちになるはずですよ。
2015年11月10日火曜日
昔の人
今はもうそんなものがなくなってかなり経ちますが、そのころはものすごく高い建物がたくさんあったのです。
その頃、人間はまだ蜂が通信の役に立つことも知らず、わざわざ電話という道具などを使って、苦労して離れた場所の人と通信をしていました。すごく高い建物というのも、そういう苦労のひとつです。
人間はかつて、そういうおかしな苦労をしていただけではなく、いろいろなものに突き動かされて向こう見ずな冒険や、公園の噴水をお風呂にする様な、考えられないことを繰り返していたのです。
ご存知の通り、あの目を見張る様な素敵なできごとを境に、今の人間はそういう馬鹿げたことをしたくなったり考えたりしてしまう性質に、うまく鍵をかけられたので、そんなことはもうしませんけれど、やっぱりなんだか驚きですね。
なにはともあれ、あんまり難しいことを考えないで、居心地のいい家でのんびりしていたいものです。

2015年11月6日金曜日
なにしてまんねんって風邪ひいてまんねんというか調子悪いっす。毎年この時期こうじゃないか?大丈夫か?
頭いてぇなぁと思いながら、治ったりまた痛くなったりというところに、ほんのり目ばちこ出てみたり、葬式やら報恩講やらで右往左往してたらあっさり11月ですよ。
だらだら頭痛かったり治ったりを長引かせてるのもやめにして回復せんとろくなことなさそうなんで、ちょっと真面目に寝ることに……。とか言いつつ、バタバタしてて調子悪いとどのみち手は止まっていたわけで、そっちの方がいかんということで、日記であります。
先日から、あれやこれやで小矢部のマリオのパン屋さんの全粒麺のネット通販に手を染めております。
http://shop.mariopan.net/
十月末は欠品やばいんじゃないの?と、ヒヤヒヤしていましたが、どうやらそれもクリアできそうな様子。ガンガン出荷したいものであります。
で、この全粒麺、なんかもっと食べ方の提案しなきゃねということで、いろいろ計画練ったりハナシをしたりしております。
和風のダシはどうよ、カレーうどんはどうよ、トマト鍋のシメはどうよというところから、あわよくば富山産でダシの素になりそうな乾燥しいたけやら煮干やらを小分けの袋にして販売とか、カレーうどんのレシピとスパイス小分けにして売ろうよという算段もしております。
スパイスの方は、マリオさんのところの方針で、なんだかんだで体冷やす方向寄りになるので、冬はやらないということで、お目見えは来春ですな。
とか言いつつ、ぼんやりカレーのことを考えていると、ついつい食べたくなるもので、なんだか先日から狂ったように手抜きのカレーで欲を満たしております。
食べに行かないのかといえば、そもそも全粒麺のカレーうどんのイメージから欲がきてる様で、不思議と自作一択。
こういう突発事故の様な欲を満たすには、SBから出ている中辛のカレールゥのフレークがなんとも便利でして、これ適当に野菜切って肉と一緒にフライパンで少量の水で火を通したところにトマトジュースとコンソメキューブ突っ込んで、一緒にカレーも放り込むと、もう普通に一人前のカレーができちゃいます。本当に、なんも考えなくてもできる。お好みでスパイスでもなんでも突っ込みなはれという代物。
それにしても、ルゥというのは、なんともいえない堕落を引き起こすもので、こういう手抜きはいかんですなと、再確認させられている次第。
私、家を出ての自炊生活を経た後、カレーとか肉ジャガを母親の手料理と結びつけて持ち上げるのは、「わかりやすさ」で思考を止めることを目的とした悪辣な様式の固定のひとつだと主張しております。カレーも肉じゃがも、自分の食べたい様に作れないなら、菓子腹でブヒブヒ言っておけと、お母ちゃんの作ってくれる料理の中には、もっと地味で自分では率先して作って食わないけれど、美味いものがあるんじゃないのかと、そこです。や、無い場合もある。
それにしたって、漫画の『深夜食堂』なんかを見れば、モチーフになり得る食と記憶、イメージなんてのは、もっと多様でいいということは、理解できる筈。
そこですよ。流布したイメージが先か料理しなくなったのが先かとか。面倒なハナシの入り口です。
や、それはさておき、今見たら、amazonでまとめて二缶とか買えちゃうのか。これもこれで、恐ろしい世の中ですね。ただの欲ならさっと満たせるわけで、じゃぁ、そこからどうすんのかというところ。
S&B 赤缶 カレーミックス200g×2個
2015年10月21日水曜日
塔の中の炎
炎は、どれだけの大きさかもわからないほど、途方もない大きさの亀の背にある塔の中で、世界の始まるなお前から、ずっと燃えていました。
これが誰のものなのかについては、多くの見解があり、世界に文明が登場するようになってからこのかた、多くの宇宙人の文明も含めて、様々な意見が交わされ、争いも起きていました。
それこそ、気が遠くなるほど長く、いろいろと話し合われていますが、亀と塔と炎は多くの文明にある程度の痕跡が見られ、真面目に話し合いをすればするほど、全く埒があかなくなって誰もが困り果てるのでした。
そんなことがずっとずっと続いていたのですが、やがて、話し合いにこなくなる人たちが出てき始めました。そんなときは決まって戦争の準備をしていたりするので、また戦争になるのかと皆が肝を冷やしましたが、全く音信がなくなってしまったので、調べるとこれまでとは様子が違っていました。
話し合いに来なくなった人々は、塔を自分たちのものだと思い詰めるあまり、塔の炎の記憶を失っていて、それが自分たちのものだと考えること自体を忘れてしまっていたのです。
自分たちが住まう惑星が球体であることを発見し、世界の大きさほどもある亀など、どこにも存在の余地が無くなってしまった文明もありました。
そんなわけで、この島には、あらゆる思惑を持つ者は立ち入らず、この場所の存在にもこれ以上関わらない方が良いのではないかと、そんな風に話し合いが決着しました。塔の炎を大切に思いつづけるには、そうするのが一番の様です。
そんなわけで塔の他には、長い争いの後、ようやく復活した草原に住まう蜂や花たちだけを残して、もうだれもそこには近づかないことになったのです。
それからというもの、別々惑星や、時間、世界に住まう人々が会って話しをすることもすこしづつなくなっていきました。
あらゆる灯火が炎から電灯に変わるよりも、ずっと前のお話しです。



