細かいことは割愛。
いや、ありがちなテンプレを見ると、つい茶化したくなるというか、そういうテンプレートをこちらも持っているわけで、普通に香ばしい一日。
なんだろう。単純なテンプレに則って決まり文句を口走って生きている大人というのは、自分がアホだと言われる可能性について目を瞑る能力に長けているというか、こちとら日々自らの無能を指摘されて、「おまえという奴は相変わらず精進が足りない」と言われないかと怯えて努力をしているんで、もうちょっとドキドキしながら生きてみないかとお誘いしたいものだ。このスリル、やめられないんだぜ。
田舎には何もないというテンプレ
朝っぱらから「富山県には目玉になる観光地がないからアウトレットモール云々」という文字列をFacebookで見かけ、それでは例えば立山室堂に日々押しかけているあれは地獄谷から転び出た亡者の影をカウントしているものかと度肝を抜かれたものだが、要は「田舎にはなにもない」というのの延長だろう。とはいえ、アホというか節穴の目で幻を見て暮らしている幸せ者には変わりない。こういう幸せ者が「誰が政治家になっても何も変わらない」というクチとかぶっているのだろうと推測するのだが、なにせ、地元民から情報を求めて「富山行きたいけど、なんかある?」と問われても、かなり自信満々で「何もない。金沢へ行け」と答えるので、邪魔なことこの上ない。
帝都界隈に寄生しているネズミ帝国の近所にでも暮らせば、もっと幸せになれるんじゃないかと思うのだよ。くだらない不満を漏らすなら、幸福になる努力を本気でしていただきたい。
捕鯨
で、昼にはこれ。http://www.sankei.com/entertainments/news/150712/ent1507120013-n1.html
国際的な非難が集まる日本の捕鯨やイルカ漁に関して、ニューヨーク在住の実力派映画監督、佐々木芽生さんが賛成派、反対派の意見を取り入れたバランスのとれたドキュメンタリー作品を発表しようと製作に取り組んでいる。過激団体シー・シェパードのポール・ワトソン容疑者がこの動きをキャッチし、フェイスブックの個人サイトに、彼女は「クジラ、イルカへの虐殺」を正当化しようとする「プロパガンダ映画監督だ」と中傷する声明を発表した。
そもそも、命を食べずに生きられる者だけが他人の食ってるものに文句言ったり石投げたらいいんじゃないだろうか。
クジラやらイルカとなるといつも見かけるのが、イルカに関して言えば「かわいい」「癒やされる」とか、「日本人はクジラ食べるほど飢えてないわけだし……」やら「クジラなんて美味くもないものを……」というやつだけれど、こちとらクジラが穫れればありがたくいただくこともある土地の生まれ。美味しいんだよ。普通に美味しいんだ。
漁師の皆さんには、クジラは入ればボーナス的なもの。イルカはいかに傷めつけてとにかく追い払い、漁獲を守らなければならない厄介な相手だ。
日本人が反捕鯨に同調する文脈で捕鯨に目を向けるのは何故か。
かわいいやら癒やされるという手合は、現物を見たらかわいそうで二、三日牛豚鶏魚も食えないだろうからどうでもいいけれど、「飢えてない」「不味い」という反応に納得し、その意見を我が物として自らも言い出す連中が居るのは一体どういうわけだろう。
本当にそんなことを実感してのことか、当人に聞きたくなるが、ひょっとしたらネットで作り上げられた攻撃用のテンプレートのコピペで本人なんてのは居ないのではないかとも思う。そんな意味では上等のテンプレートだ。
世の中は実感にあふれている。マトンってのはそんなに美味いものだろうか。羊には愛らしいイメージないだろうか。なんで食うんだ。
イノシシの脂の獣臭さ、ハズレを引いた時のあの取り返しのつかない不味さ。大丈夫か?
不浄な豚を美味いと言って食っている我々を、イスラム教徒はあからさまに軽蔑するだろうか。流石に牛食ったらヒンズー教徒に悪くないか。虫食う地方あるだろ。
なにが言いたいかといえば、いちいち他所様の食い物とか、そこにまつわる諸々を莫迦にするんじゃないってことですよ。
食うために囲って繁殖させて殺してるわけで、人間に置き換えてみろ。ナチスでもやってない残虐行為だぞ。牛豚は畜だからいいってもんでもないだろ。命ですよ。
弱った捕虜によかれっと思ってゴボウ食わせたら木の根食わされたとか言われて捕虜虐待で戦犯扱いされたとかいう有名な話もあるわけで、これ、実話かつくり話か確認はしていないけど、なんせ反捕鯨の連中ってのは結局欧米のキリスト(イヤマテ、以下自粛)
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