2015年7月3日金曜日

不思議なもので、一気読みできてしまう新書というのはなんだか残念な気分になる。

書店にて『荒木飛呂彦の漫画術』という新書を目撃。思わず購入してしまったものだが、とりあえず丁寧に良くまとまってはいるものの、この感覚が理解できなかったり、ある程度の経験的な蓄積が無かったりすると、例示自体が理解できずに混乱する部分もあるのかもしれないと感じる。
どんな感覚を身につけ磨いていくかということになるのだけれど、単純に経験してみるだけではにわかには理解できないことというのもあり、それを言葉説明するのは、なにかと難しい。
説明できない部分は感覚として身に付けるしかないというところに、もう少し踏み込めなかったものかと、執筆構成にアドバイスをした人が理解できなかったり踏み込めなかった部分の記録とかがあれば、そっちを読んでみたい。
そういえば、一応内容が加速していくなかで危険な名言があった。
褒められて伸びるのは子供だけで、むしろミスや失敗から次の作品へのヒントを貰い、書き続けられるのだと思います。
現場では伝わらない系なんだけど、ここに至らなければ、何事も長続きできない気がする。
ここに至らなくてもいいってことで、使い捨て前提で諸々端折ると、飲食店の洗脳朝礼みたいなものに行き着くものと見る。

夕方、シェフと打ち合わせで出てきたネタを、井波の彫刻師の人に聞いてみる。
突然の胡乱な話しからも、実行する時の問題点をしっかりと割り出してくれる。
些細なことだが、やってみなくてはわからないと片付けることも、文字通り思考停止。見習わなくてはならない。

なにをどんな言葉で言い表すか。
厳密さを欠いて問題ないことと、とにかくしっかりと把握していくための言葉を磨かなければならないことはある。
縁の吟味は難しいが、とりあえず縁だと感じたとしても、与えず受け取らずをしなければならない相手というか、そういう関係も少なからず存在しているものと思う。
全てが縁となり、例えば悪縁、良縁の二極で片付けられるものかといえば、それも大雑把な話し。
価値観の違いで人は殺しあってしまうものだが、だからこそしっかりと考えなければならないし、どこまで突き詰めても、結果殺し合いというのではダメ。
とはいえ、そんなもんでしょ?とりあえず経験。というのが、どんなことになっても、身になる体験で、しっかり次につながるのか。その辺りを忘れてはならない。
というか、次につながるって何?という感覚の養成を、大人になるまでにやらなきゃいかんってことだな。

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